岩手県大船渡「ちょっぴりボランティア」記(4)

有難う、富山鉱泉沢の湯さん

有難う、富山鉱泉沢の湯さん

廃線になった大船渡線の鉄道あと。バス道路になる。

廃線になった大船渡線の鉄道あと。バス道路になる。

7月24日、「これがボランティア?」と思うけれど
24日朝、大船渡を発って帰京しました。朝、3泊した富山鉱泉の宿に支払いに行ったら、「素泊り1泊4千円」とあったのに「3千円でいい」というのです。シーツも浴衣も出してもらったのに。おまけにヤクルトのパックまでくださいました。道中水分が要ると気を使ってくれたのです。
ほんとうは昼ごろ、廃線になった大船渡線の代替バスで気仙沼まで行き、そこから一ノ関へローカル列車で出て帰ろうと思ったのですが、それは本数が少なく、うかうかすると東京に着くのは夜遅くなると言われて急きょ一ノ関行き直行バスにしたら、これがまた朝早い。やむなくそれに乗りました。行きとは違いますが陸前高田・気仙沼を通って走りました。陸前高田の市役所はプレハブのままでした。
バスの中で考えました。「これでよかったのかしら?」という思いです。「何も役に立たなかった」と忸怩たる思いでした。

でも、「来てよかった」という実感がありました。その一つは「現地を見ることが支援」という言葉の意味が分かったことです。今回はほとんど「見学ツアー」みたいなものでしたが、書物やニュースで見るだけではつかめない実感を自分のものにしました。そこから「自分たちは何をしたらいいか」考えることができると思います。
しかし、それには条件があると思う。今回は山田夫妻がすでに何回も訪問、「地元の人間よりよく知っていますよ」とお墨付きを頂くほど状況に精通していたことが、わたしの「見学」を有意義にしました。今回案内してもらったところは「たまたま」被災地を見に行ったのではなく、山田夫妻が精選して「ここだけは」と連れて行ってくれたのです。そいう「つなぎ役」は地元の人がすれば簡単と言われるかもしれませんが、そして今回もいろいろ案内や助言をしてくださる方に出会いましたが、みなさんにはそれぞれ仕事もあり生活もあり、忙しいときもあって「迷惑ではないか」と遠慮したいときもあります。そんな時、ボランティアで来ている山田さんのような方が活動の一環として案内してくださるなら、安心だしてついて行けるし、よくわかる。こういう「ボランティア・コーディネーター」の役割が大事だということを痛感しました。
「ボランティア・コーディネーター」のすすめ
じつは、この「ボランティア・コーディネータ―」という発想は、わたしの弟から学びました。彼は、定年前の59歳で退職して福祉の専門学校に入り、「介護福祉士」の資格を取って高齢者施設で7年間も、まったく無償のボランティアをしてきたという「変わりもの」です。「これからは、年金で何とか生活きる高齢者は、元気な間ボランティア活動をして社会に還元すべきだ。それが助け合いと自治の精神」というのが持論で、らいてうの「協同自治の相互扶助社会」論に共鳴しているわたしとしては一も二なく賛成、ついでに「思ったことは必ず実行」するというのもらいてうの信念ですから、結局彼にくっついて施設でのボランテァイをつづけた経験があるのです。そのときも彼のコーディネートで施設の職員とも利用者ともコミュニケーションをとることができました。らいてうの家がこんなに忙しくならなければずっとやっていたかったのですが、残念ながら「二足のわらじ」ははけませんでした。今でも、夏は涼しいらいてうの家に高齢者をお招きして、お茶を出したりおしゃべりしたり、お昼寝したりしたらいいだろうなと思うときがあります。

というわけで、今わたしの悩みは、「また来てね」と言われたことにどうこたえるか、ということです。「現地に行かなくても、こうやって文章で発信したらいい」という人もいますが、わたしはわりと「現場主義」なのです。山梨で歴史の教師をしていたときも、学生に「スニーカーを履いたおばあちゃん教授」とからかわれながら、学生をヒロシマ、沖縄、第5福竜丸、韓国ナヌムの家(元「慰安婦」だったハルモ二たちの家)と連れて歩き、定年直前には「これで最後」とアウシュビッツまで希望者を「授業の一環」として連れていきました。費用はもちろん自費でしたから、これもボランティアと言えば言えますが。このときは、ついてきてくれた学生に現地での橋渡しをするコーディネーターの役割を私がつとめたわけです。

山田夫妻は、わたしに「無理しないで」と気遣いながら「10月にまた行きます。そのころ大船渡のサンマは逸品ですよ」とけしかけて?います。
わたしにボランティアの手ほどきをしてくれた弟は今闘病中です。
「オレ、人の役に立つことをしたかな」というのが彼の口癖でした。少し先走りですが、彼の「生きたあかし」のために、「そんなことしないで」としり込みする本人を説得?して彼の書いたものを自費出版することにしました。『よねジイ、介護福祉士になる―59歳からのフーテン学生日記』というタイトルです。一人でもボランティアに目覚めた人間を育ててくれたのだから、役に立ったじゃん」と評価してやりたい。それには「また来てね」という声に応えなくては…。悩んでいます

カテゴリー: Uncategorized パーマリンク

岩手県大船渡「ちょっぴりボランティア」記(4) への1件のフィードバック

  1. 4巻全部読みました。読んで良かった。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中