2014年、『平塚らいてうの平和思想』を書きたい

『青鞜』1913年新年号より

『青鞜』1913年新年号より

「年賀欠礼」ですが…

2014年がやってきました。昨年12月に末の弟を見送りましたので、「年賀欠礼」ですが、このことはごくわずかな方にしかお知らせしませんでしたので、年賀状をくださった方も大勢おられ、有難く拝受いたしました。いずれ「寒中お見舞い」を出さねばならぬと思っていますが、できるかどうか…。新聞紙上で「喪中はがきを出したら年賀状がこなくなり、さびしかった」という声も見かけました。

じつはわたしも今年は80歳の大台に乗りますので、そろそろ年賀状も「引退」したいと思っているのですが、久しぶりに会った教え子や「らいてうの家」でお会いした方からの新しい賀状、「今年こそらいてうの家に行きたい」という添え書きのある文面などを読むと、やはり続けることにも意味があるかな、と思案中です。

「年賀欠礼」といえば、あの『青鞜』2年目の1912(明治45)年7月30日明治天皇が死去、大正と改元されました。国を挙げての「諒闇」の時代ゆえ、1913年(大正2)年の諸雑誌新年号はいずれも「年賀欠礼」の広告を掲げたのですが、『青鞜』は堂々と「賀正」という挨拶を載せています。これは、彼女たちが反天皇制だったからではなく、たぶんそういうしきたりを知らなかったのではないかという気もするのですが、同じ誌面の東京堂は「年賀缼禮」なのに、東雲堂は「欠礼」と言わず「改年に際し各位の幸福と健康を祈り申候」としているところをみると、この時代にも天皇の死去で「欠礼」と言いたくない意識があったのかもしれません。ところで昭和天皇の時はどうだったかしらん…。

というわけで、われら老夫婦も「終活」の時期を迎えたようです。懸案の「墓所」は樹木葬を選んだのでほっとしていますが、それだけでは済まないこともわかりました。それも書きたいと思いますが、正月早々の話題としてはいささか問題?なので、後日改めて―。いただいた年賀状には、わたしよりお年を召した方からも「秘密保護法をはじめ、戦前に逆戻りする時代は許せない。命ある限りがんばりたい」というご挨拶をいただいています。わたしだってがんばるつもりですからね。

  「こころよく 我にはたらく仕事あれ」

石川啄木は「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」とうたいましたが、わたしも「死ぬまでに」書きおおせたいと思うことがあります(仕事かどうかはわかりませんが)。仮のタイトルは「平塚らいてうの平和思想」です。

昨年秋、『季論21』という季刊誌22号(2013秋号)の「日本人の思想」というシリーズに「平塚らいてうの平和思想をめぐって」と題する小論を書きました。これはすでに『平塚らいてうの会紀要』創刊号(2008)に書いた拙稿「平塚らいてうの平和思想」をもとに、その後の新資料や知見を加えて書いたものですが、きっかけは昨年1月にNHKテレビ(E テレ)の「日本人は何を考えてきたのか」シリーズで平塚らいてうと市川房枝が取り上げられ、わたしも少々出演したことでした。この番組は良心的な取り組みでつくられたといえますが、同時にわたしが考えてきた「らいてうとその時代」の核心ともいうべき「らいてうの平和思想」についてはまだまだ市民権が得られていないことを実感したからです。

令孫奥村直史氏もらいてうのもっとも重要な選択であった戦時期「疎開」の事実が伝えられなかったことに疑問を持たれ(この点はその後この番組の書籍化にあたっていくぶんか追加された)、前掲『紀要』6号(2013)に「平塚らいてうと15年戦争」と題する論考を寄せてくださいましたが、これからも示唆を受けて書いたのが上記の小論です。一般的に平塚らいてうは戦後平和運動にめざめた、と言われますがそうではないというのがわたしの出発点でした。これは12,000字程度の「短い」ものながら、これからわたしが書きたいことの「レジュメ」のつもりでした。その内容は同誌を読んでいただくほかないのですが、1,000円もするのでとりあえず項目だけ紹介します。ご希望の方はFAX03-5840‐8928 (『季論』21編集委員会)へ。 

「平塚らいてうの平和思想をめぐって」目次と論点

はじめに

Ⅰ らいてうの平和思想の原点

 (1) 「自然と一体化する自己」の発見

 (2) 「母性」の発見

 (3) 「世界民」と協同自治社会」の発見

Ⅱ 戦時下の「錯誤」と「沈黙」

 (1) 戦時下におけるらいてうの「錯誤」

 (2) 「抵抗できる自信がない」時代の選択

Ⅲ 戦後における「平和思想」の再構築

 (1) 日本国憲法」との出会い

  (2) 「世界連邦思想」と「非武装・非交戦」

  (3) 「愧じる」発言と「女性がつくる平和」の思想

 むすび―21世紀における「平和思想」の課題とらいてう

 

 わたしが考えているのは、一つはらいてうの平和思想の原点を、若い日の信州滞在に始まる一連の自然認識と生命観、その具体的な発現としての出産体験、第一次世界大戦後の国際的平和認識と運動等々のなかから発見しようということ、もう一つはNHKの番組でも取り上げられたらいてうの戦時下の言説と行動の位置づけと戦後平和思想の再構築―「ただ戦争だけを敵」とし、あらゆる国家に「戦争をする権利」を認めないという平和主義―、そして今国際的に生み出されつつある「平和構築におけるジェンダー主流化」の流れの先駆的思想家としてのらいてうの再発見、というのが主な内容です。「そんなのあたりまえ」とも割れるかもしれませんが、戦後のらいてうがこうむった毀誉褒貶の数々をおもいうかべると、こうしたらいてう像はまだ確立していないといってもいいと思います。これまでにもわたしはシカゴのジェーン・アダムズのハルハウスや上海の魯迅記念館などを訪問し、新発見もしてきましたがまだ未整理です。これをもとに新書1冊分くらいは書きたい。どこか出版してくださるところはないでしょうか?

 

神様、どうかわたしにもう少し時間と体力と思索力をください!

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2014年、『平塚らいてうの平和思想』を書きたい への1件のフィードバック

  1. 終活には20年早いよ。今年99歳の友人をロスアンゼルスから小田原に招待します。

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