古田足日さんと『わたしたちのアジア・太平洋戦争』(童心社)

『わたしたちのアジア・太平洋戦争』 童心社 2004年

『わたしたちのアジア・太平洋戦争』 童心社 2004年

 今朝の新聞で、古田足日さんが亡くなられたことを知りました。

 児童文学の大家として「仰ぎ見る」存在でしたが、一度だけいっしょに仕事をさせていただいたことがあります。2004年に童心社から『わたしたちのアジア・太平洋戦争』(全3巻)を出した時、先生のご指名で編集委員に加わりました。その前に『父が語る太平洋戦争』という本を出され、その後「戦争体験を父=男だけで語るのでは不十分」とおっしゃって、女性史をやっているわたしと、もう一人若い女性の文芸評論家(当時はまだタマゴだった?)を指名されたのだそうです。

 この企画は、ものすごく時間がかかりました。それは子ども向けの読み物のなかに、戦争の悲惨な体験と同時にどのように「加害」の視点を取り入れるかをめぐって議論したからです。日本の軍隊が戦場で行った残虐行為や強姦、慰安婦問題を含めて避けて通るわけにいかない、しかし大切なのは読者である子どもたちに「ひどいことがあった」と理解してもらうだけでなく、今の自分たちが戦争というものにどう向き合うのか、「遠い昔の話」ではなく「いま」の問題として考えてもらうにはどうすればいいか、そうした観点をめぐって何年間!も資料を読み、“論争”したのです。

  その結果どんな本が出来たかは、ぜひ実物を読んでいただきたいと思います。わたしも母の戦争体験を書きました(第3巻)。6人の子を育て、ただ一人二番目の息子が中学3年で少年兵として志願するのを止めることが出来ず、16歳で“戦死”させてしまった経験を、「自分の戦争責任」として戦後ずっと背負い続けてきた体験です。「何も知らなかったからって許されるものじゃない」というのが1994年に亡くなった母の遺言でした。

けれども、なんといってもこのシリーズの圧巻は、第一巻の冒頭に古田さんが書かれたご自身の戦争体験であったと思います。1927年生まれの古田さんが、どうして「愛国少年」の道をたどったのか、そこにどんな世の中の「しくみ」があって「天皇のために死ぬ」ことを「美しい」と思う自分がつくられていったか、「うたがう」入口はあったのになぜふかめようとしなかったのか…。「忠君愛国大君のため―ぼくはアジア・太平洋戦争のなかでこう育った」は、著名な作家が遺した「時代と向き合う」真摯な姿勢に満ちています。

 この本では日本人の体験はもちろん、「元慰安婦」や「朝鮮人兵士」、東南アジアの犠牲者などにも登場してもらい、その「証言」に歴史資料や年表もつけて3冊で1000ページにもなってしまいました。「とても児童書とは言えない」と言う人もいましたが、わたしたちは子どもだけでなく親や教師、市民の方たちにも読んでほしいとおもったのです。

それから10年、もう一度古田さんのむすびのことばを思い起こしたいと思います。

「憲法九条はいう。『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し

国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段と

しては、永久にこれを放棄する』。

ぼくはこれをまもっていきたい。」

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