「壁に耳あり、障子に目あり」を覚えた時 

少しいい気分になったと思ったら、今日12月10日は「特定秘密保護法」施行の日でした。12月8日から2日しかたっていないのに。さすがに新聞は「戦時中気象情報も国家機密とされ、天気予報も紙面から消えた」というような記事を載せていましたが、それで、わたしも思い出してしまいました。

「壁に耳あり、障子に目あり」というのは「隠し事は思わぬところからもれる」という古くからのことわざなんですってね。わたしは長い間、これは戦時中に発明された標語だと思っていました。そうです「ぜいたくは敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」と同じように。だって、日米開戦の1941年に国民学校一年生になったわたしたちにとってこの言葉は、「国の命令」と同じくらいの意味があったのです。もちろん子どもですから、国家機密に当たるようなことは知るわけがない。でも、この前大船渡図書館で見つけた『綾里村銃後だより』が戦地の兵士に故郷のことを知らせたい一心で書いた故郷の便りの中に暴雨風雨に見舞われた」と書いたばかりに警察から咎められ、「始末書」を書かされた顛末(10月13日付を見てください)もその一つです。

わたしの兄が16歳で特攻隊要員として「戦死」したことは何回も書きましたが、兄は国内の茨城県土浦海軍航空隊で1945年6月10日、アメリカのB29という爆撃機で爆撃されて死んだのです。でもそのこと自体が新聞には報道されず、2か月後の8月15日がやってきて家族は「これでお兄ちゃんは帰ってくる」と喜んだものです。「戦死」の公報は9月になってから届きました。軍の基地が爆撃されて少年兵だけでも300人近く死んだというのに、その事実はかくされていたのです。兄がどんなにして死んだかさえわかりませんでした。わたしは戦後40年以上たってから生き残った人たちを訪ねて最後に遺体をみたという人を見つけ、防空壕から伝令に出た途中で爆風のため倒れたらしいという推測を聞くことが出来ましたが、わたしが個人的に聞いて歩かなかったら何もわからなかったのです。

その一方で監視体制が徹底していたから、うっかり戦争に悲観的なことを言おうものならたちまち警察に呼びだされます。わたしたちはよく「湖畔の宿」の替え歌を歌った覚えがあるのですが、その歌は「反戦的だ」というのでうたった子どもが警察で説諭されるという事件もあったことを、戦後知りました。その替え歌は「昨日生まれた豚の子は/ハチに刺されて名誉の戦死」にはじまり、「豚の遺骨はいつ帰る/〇月〇日の朝帰る/豚の母ちゃんかなしかろ」と続くのですが、これがなぜ「反戦歌」かというと「豚の子」は日本軍、「ハチ」はアメリカ軍、だから日本軍が負けることを予測した歌だというのです。この歌を歌っていた子が警察に呼びだされたのは、誰かが「密告」したからでしょう。これは戦後復刻された『特高月報』という記録にあります。悪名高い「特高警察」です。いやいやわたしも歌ってたものなあ・・・。銭湯の女湯でお産婆さんが「近頃取り上げる赤ん坊が栄養不良が多くて心配だ」と話したら、それが「敵を利する(日本の兵力が弱くなることを暴露している?)」とこれまた警察に呼びだされた、などという話もあります。戦争の女湯での話が警察に伝わるって?もしかして女湯にいた誰かが?そういう時代だったのですねえ。

「集団的自衛権」で自衛隊員が異国の地で「戦死」しても国民に知らせない、などということになるのでしょうか。それとも「名誉の戦死」と靖国神社にまつりあげるのでしょうか?もちろん、そんな日の来ることを予想するべきではないのですが。沈黙してはならぬと思い、ブログを書き続けています。14日は衆議院議員選挙。せめて秘密保護法に賛成した連中に「ノー」と言わなくては。

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