「選択的夫婦別姓」を早く!「通称呼称」では解決できないこと

「選択的夫婦別姓」と「女性の再婚禁止期間」を定めた現行民法は憲法違反、と訴えた裁判は、最高裁が大法廷を開くことになり、「初の憲法判断」が出されるのではないかと期待されているという記事が出ました。

「選択的夫婦別姓」については、わたしも結婚以来その実現を要望してきた一人です。わたしの「米田佐代子」というなまえは戸籍上存在せず、いわゆる「通称」です。1959年に結婚するとき、わたしは法律婚を選びました。憲法24条によって戦前の「家」制度が廃止され、「婚姻は両性の合意のみに基づく」とあるのを信じたからです。しかし姓を「どちらかにする」といわれてハタと困りました。わたしは今のままでいたいと思いましたが相手も同じ気持ちです。彼に無理やり姓を変えさせれば、「婿に行ったのか」とか「女房の尻に敷かれた」などとあらぬことを言われるだろうことをおもんばかった、といいましょうか。「事実婚」など考えられない時代でした。

それでも姓を変えて名乗る気になれず、届ければ互助組合から「結婚祝い」がもらえたのを棒に振って、1年くらい職場に結婚届を出しませんでした。それがみつかって、書類に「米田」と署名すると「文書偽造?」になるなどと言われ、やむなく結婚届を出しましたが、「自分の研究論文は米田名で発表させて」とかけあって、「旧姓」のままにしてもらいました。しかし、当時の文部省の個人科学研究費を米田佐代子で申請したら通ったのはいいのですが、あとから「戸籍名で申請しなおすように」と指示され、やむなく「訂正」。名簿も婚姻姓で印刷されるようになりました。ある年の新入生歓迎集会というのに出たら、隣の席にいた新入生に「都立大学には女性史の先生がいると聞いていたのですが、教職員名簿になまえがありません。おやめになったのでしょうか」と聞かれて絶句したことがあります。「ははあ、わたしはユーレイみたいな存在なのだ」と思いました。

もっと困ったのはパスポートです。子育てに忙しく、海外の学会へ行くようになったのはずっと後ですが、パスポートは戸籍名しか認められませんでした。学会には「ヨネダサヨコ」でエントリーしてあります。当日会場でパスポートの提示を求められ、「なまえがちがう」と言われました。これに懲りて次回1995年の更新のときは「両姓併記」を申請しました。これがけっこうややこしく、窓口でさんざん待たされたあげく、たらいまわしにされ、「なぜそんなことをするのか」としつこく聞かれてキレた記憶があります。「海外でその姓を使わねばならない理由」がないと認めないのだそうです。

なんとか成功して95年の第4回世界女性会議北京フォーラムにはそれで行ったのですが、99年にアウシュビッツへ行くとき2000年まで有効だからだいじょうぶと思ったらポーランドへ行くには「残余期間不足」と言われ、あわてて「継続」を申請したら、「両姓併記」はその都度書類をそろえなければ無効だというのです。時間がなく、涙をのんで逆戻り。10年間そのままでした。その間にもいろいろあり、友人が外国のホテルを予約してくれたのはいいのですが、ホテルでパスポートを出すとやはり変な顔をされました。乏しい語学力で説明するのか、と思ったらフロントのほうで面倒くさそうに「Befor marriage? After  marriage?」と聞き、事なきを得ましたが。以後グループで行くときは必ず「パスポート名義でホテルを予約して、参加者名簿には米田で」と念を押さなくてはならなくなりました。

10年目に更新の時期が来たとき、わたしは外国語に翻訳された論文リストやら出席学会のエントリカードやらをごまんと用意し、何か言われたらケンカしようと窓口に出向きました。ところが今度は書類などさっと見ただけで「OK」です。この15年間にそれだけ風向きが変わったのでした。但し、「両姓併記」はあくまでもローマ字表記のところだけです。日本語のサインは「戸籍名」のみ。つまり国内では認めないが、海外で仕事上困るという人には認める、というわけ。決して姓の表記を自由に認めたわけではありません。そもそも「戸籍制度」が「夫婦同氏強制」の原因です。「世帯制度」や「相続制度」も含めて日本は、戦前とは違うけれど法律婚主義と血縁主義、男性優位主義の「家族システム」なのです。わたしがなぜ夫を世帯主とする家族から分かれて、自分が単独世帯主になったかについては、また別に書きます。

1990年に山梨県立の短大に赴任した時は、もうあきらめて「カリキュラムは戸籍名でしかたないが、学内の紀要に発表する論文は米田で出したい」と申し出たのですが、教授会でも県庁サイドでもモメました。「秩序が乱れる」という発言には口あんぐり。ですから短大の卒業生のなかには今でも戸籍名の年賀状をくれる人もいます。そのたびに「はてこれはわたしのことかしら」と思ってしまい、「自分は米田なのか、そうじゃないのか」と思う時があります。おちゃらかしては申し訳ないのですが、こういうのって「姓同一性障害」じゃないかしら。

10年以上前に民法改正のうごきがあった時、わたしは意見書を提出し、こうした経過にも触れて「選択的夫婦別姓」の早期実現を要望、「願わくは、わたしが生きている間に、あるいは生きていても自分で手続きできないような状態になる前に、実現していただきたい」と書きました。

それから10年以上経ち、わたしはまだ生きていますし、書類を書く能力もあります。でもそういうことができるのもあとわずかです。このまま死んだら「化けて出たい」ところですが、いやその前に安倍首相のところに化けて出なくては、と友人に言ったら「あの人には通用しないから、そのまえにたたかえ」と言われてしまった…。最高裁に要請文を出さなくちゃ。

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