阿智村が舞台の映画『望郷の鐘』を観ました。 

12日、中国残留孤児をテーマにした映画『望郷の鐘』を観ました。2013年長野県阿智村に開設された満蒙開拓平和記念館と連動した映画です。長野県は戦時中満蒙開拓団に最も多くの人びとを送り出した県で、阿智村もその一つです。自らも開拓団の教師に乞われて「満洲」にわたった阿智村の僧侶山本慈照さんが、帰国後「中国残留孤児」となった子どもたちを日本の父母に会わせたいと奔走した事実をもとにしたドラマです。満蒙開拓団の歴史については知られているとおり、一方で国策のため日本政府に「だまされて」送り出された被害者であると同時に、約束されたはずの土地は現地の中国人から奪ったものであり、日本の中国侵略の片棒を担がされた「加害責任」を負わされた歴史があります。しかもソ連参戦後、開拓団を守るべき日本の軍隊(関東軍)はいちはやく逃げ出してしまい、開拓団の男たちまで召集されて女性や子どもたちは苦難の逃避行の末に「集団自決」を迫られたことも事実です。その過程で家族と引きはなされてシベリアに送られた山本さんが、奇跡的に帰国を果たし、行方不明の団員たちの消息を訪ね続ける姿を中心に構成されています。厚生省も外務省もそっぽをむくなかで、彼のもとに殺到する「残留孤児」たちからの手紙を支えに、日本への帰国をと訴え続けた山本さんが寺で打ち鳴らす「望郷の鐘」がシンボルになっていました。

わたしは「残留孤児」たちが、帰国してからも日本語ができず「お前は中国人」と言われたり、仕事も見つからないという苦しみの中から、「国は孤児たちに支援を」という裁判を起こした時、支援者の一人として何回か傍聴に通いました。結局裁判では国の責任は問われず「敗訴」したのですが、それがきかっけになって国が不十分ながら「孤児」たちへの支援策にとりくむようになったのです。その裁判で知り合った「孤児」の一人が「看護助手」の仕事につき、難解な医療用語を含めて日本語習得のため奮闘したいきさつを知って、わたしの所属していた総合女性史研究会(現在は総合女性史学会)で「女性とリテラシー」というテーマを取り上げた時お招きしたことがありました。

わたしがなぜ裁判を支援することになったかというと、わたし自身も1938年から39年にかけて「満洲国」の奉天と呼ばれた都市で暮らしたことがあるからです。今は瀋陽ですが、そこで父が満州国の官吏だったのです。母は子ども5人を連れて夫について行き、わたしの兄や姉は現地で学校に通いました。父はその後も新京などに赴任したのですが、母は翌年子どもを連れて帰国してしまいました。戦後父が亡くなってから、母は現地で体も大きい中国人を日本人が威張ってアゴで使っているのを見ているうちに、「今に何かむくいが来るのではないかしら」と不安に思ったと書いています。父もその後帰国しましたから、わたしたちが敗戦まで現地にいることはなかったのですが、もしずっと暮らしていたら、わたしたちだって「残留孤児」にならない保証はなかったのではないかという気がしたのです。映画監督の羽田澄子さんも記録作家の澤地久枝さんも「大陸」で暮した経験があり、「満蒙開拓団」についてひとかたならぬ関心を寄せておられます。

阿智村には、もう一つ思い出があります。ここは「平成の大合併」の時も合併せず、「小さくても輝く自治体」を掲げて独自の途を歩んでいる村です。そこの昼神温泉に母と行ったことがありました。母が幼いころ家に「寝覚の床」という写真があり、「どんなところだろう」とずっと思い続けていたというので、木曾の寝覚の床を訪ねた時に立ち寄ったのです。母は大変喜んでくれ、

<ひるかみは/「昼神」だった温泉郷/伝説はやはり「蒜噛み」だった>

という短歌を手帳に書きつけました。これはヤマトタケルがこの地の峠を越えるとき白鹿に化身した悪神が現れたので、蒜を噛んで吐きかけたところ消え失せたという伝説を指しています。長年思っていたことが確かめられた、と喜んだのです。それが母との最後の旅行だったような気がします。

いつか、阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪ね、昼神温泉に泊まろうと思うのですが、南信飯田は交通不便でなかなか行けません。いつか…。

なお、この映画は東京で観ました。「戦後70年、日中関係の未来をひらくつどい」が9月11-13日と開かれ、そのプログラムの一つでした。浅田次郎さんの講演や合唱など多彩な催しでしたが、全部参加できなかったのが残念です。「軍事パレード」を誇示する中国ではなく、平和を望む人びとと対話をしたい。「歴史認識と東アジアの平和フォーラムで出会った人たちとの再会を期待して10月31-11月1日の「沖縄フォーラムに参加します。

「日中関係の未来をひらく」

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阿智村が舞台の映画『望郷の鐘』を観ました。  への1件のフィードバック

  1. 村久木康司 より:

    米田さんは、以前のブログできものマイムの松井朝子さんの
    写真を載せていましたが、以前、載せた松井朝子さんのきものマイムの写真以外で
    松井朝子さんのきものマイムの写真を沢山いっぱい載せテクノ戴けないでしょうか?
    極力、今すぐにでも早くお願いします。米田さん、お願いします。

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