「東京大空襲を語り継ぐつどい」に参加しました。

先日お知らせしたこの会に講師としてお招きいただき、参加してきました。「東京大空襲・戦災資料センター」主催。このセンターは早乙女勝元さんが先頭に立ち(多分私財を投じて)、さらに東京大空襲を体験されたかたをはじめ多くの方の寄付によってできた民間施設で、今年14周年です。「らいてうの家」を建設するとき「自力で建設運営する記念施設」が成り立つかどうか、聞きに行ったことがあります。そのとき早乙女勝元さんは「建てるだけならつくれるが、自力で運営するのは大変だよ。やめた方がいいのではないか」と助言してくださったのですが、その「忠告」を聞き入れないでつくってしまった「らいてうの家」は、早乙女さんの予言通りアップアップしています。それでも10年持ちこたえてきたので、ともかく今年10周年記念行事だけはやり遂げたいと、よろめきながら走っているところです。

こちらのセンターの来館者は、小中学生を含め年間1万人を超えているそうで、そこはらいてうの家と大違いですが、会員は高齢化もあって減少気味だとのこと、らいてうの家と同じ苦労があることもわかりました。けれども小中学生の見学学習をキチンと組織していること、スタッフに若い方が参加していること、意識的に「次世代への継承」を事業として進めていること、空襲体験者の証言を映像として記録する仕事を続けていること、新しい資料の発掘研究公開に取り組んでいることなど、学ぶべきことがたくさんありました。残念ながららいてうの会には今それだけの取り組みをする人手と能力がなく、役員も高齢化や健康問題、家族の介護等で新しいことに手が出せない状態です。ここをどう突破していくか、考えなくてはならないと痛感しました。

それはさておき、つどいは会場いっぱい330人余りの参加でした。「憲法前文」の弾き語りで知られるきたがわてつさんの歌、「1945年3月10日は私の6歳の誕生日でした」という体験者の証言、そして証言記録の上映、小学生の学習感想文の発表と盛りだくさんで、初めから参加したわたしにとっても勉強になりました。これだけやれば、もうわたしの話などなくてもいいのではないかと思いましたが、それでもマジメに準備してきたので檀に上らないわけにいかない。実は2時間分くらいのレジュメと資料を用意したのですが、わたしの持ち時間は40分でした。あわてて短縮を試みましたが、いささか不消化な部分が残り、忸怩たる思いでした。

東京大空襲 16.3.600089

これから登壇。キンチョーしています。

それでも直接の戦争体験者が老いて行くとき、「体験の継承」はなぜ必要か、安倍首相は「戦後70年談話」で「戦後世代に加害責任を負わせるわけにいかない」と聞こえのいいことを言ったけれど、あれは「戦争責任をきちんと解決して次世代に引き渡す」のではなく、「加害」の事実を「無かった」ことにして次世代に隠してしまおうという意味にしか取れない。それは「慰安婦」問題に端的に表れているけれど、自国の国民に対しても「東京大空襲」の被害者の国家賠償請求訴訟に対して「受忍(がまん)せよ」と認めず、責任をとらなかったことにもあらわれていると思う。「被害体験を語るだけでは、加害責任を自覚できない」という声があるが、被害体験を一人ひとり、今なお語らないでいる方たちに口をひらいてもらい。語れるようになることで、自らの人間としての尊厳の回復が可能になるとともに、ここからはじめて他者(日本が侵略した国の人びと)がこうむった「被害体験」を受け止めることができるようになるのではないか、そこに働くのが「想像力」だと思う。自分が戦争を体験しなかった世代、シリアにもイラクにも行ったことがない日本の人びとが、過去の「戦争」で何が起きたか、今世界で何が起こっているかを「想像できる」力を持つことが今必要ではないか。

ざっとこんなことをわたしの母の戦争体験―息子の少年兵志願を止めることができず、16歳の「兵士」として戦死させてしまったことを、「自分の責任」と自覚して「二度と戦争で子どもを死なせる母親をつくらないためには何をすべきか」と考え続けた一生―を紹介しながらお話したわけです。終ってから早乙女勝元さんがあいさつされ、「自分もほぼ同じ考え」とフォローしてくださったのでほっとしました。終わってから早乙女さんのサイン入り編著書『平和のための名言集』(大和書房2012)を記念に頂きましたが、ルソー、チャップリンからマーティン・ルーサー・キング、魯迅、石川啄木から井上ひさし、吉永小百合、澤地久枝等々「366の名言、至言、警句を古今東西にわたって」収録したという本のなかに、なんと母米田ひさの一言も入っていたのにはびっくり仰天。母があの世で目を回しているかもしれない・・・。早乙女先生、有難うございました!

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早乙女勝元編著『平和のための名言集』 「武器ではなく言葉を持とう」というのが気に入りました。

そこに引用された母のことばというのは、わたしが聞き書きしたものですが「ほんとうのことを知らないというのは、戦争に賛成しているのと同じことだったのよ。わたしは吉二を戦争で死なせた罪があるの。無知という罪が、ね」という一句でした。なお平塚らいてうも入っています。これはらいてうの家常備図書にしなくては。

うれしかったのは、会場で思いがけない方がたに出会ったことです。メールのやりとりだけで「らいてうの家に行きたい」と言って下さった方も来てくださり、もう20年近く前にわたしと同じようにお兄さんが少年兵だったということで知り合った方が会場に来てくださっていました。彼女自身も東京大空襲で家族を亡くし、兄は戦死、という体験の持ち主です、ずっとお会いしてなかったのに、お互いに元気でいることを喜び合いました。初対面の方が「わたしは3月10日に両親を失い孤児になりました」と話しかけて来られ、「でも覚えている母は、戦時中らいてうさんと一緒に活動したことがあると言っていました」とおっしゃるのでまたびっくり。戦時中のことですし、1942年にはらいてうは茨城県に疎開してしまうのですからそれ以前です。「覚えていることがあったらぜひ聞かせて」と別れましたが、なんと人間のつながりというのは不思議なものか、と感じ入りました。

ついでにきたがわてつさんのCD『自由よ!』(「日本国憲法前文」が入っている)も買い、早乙女さんの新装文庫版『蛍の唄』も買って、お土産にお花までいただき、重たい荷物を抱えて春雨のぱらつく夜の街を帰ってきました。

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「東京大空襲を語り継ぐつどい」に参加しました。 への1件のフィードバック

  1. 高野 哲郎 より:

    ご苦労様でした。お聞きしたかったですね。

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