書いても書いても返せない借金のように追いかけてくる原稿。

「読んでから書くか。書いてから読むか」などと悠長なことを言ってはおられません。5月は読みながら書いていました。まず連休の前半で『平塚らいてうの会紀要』9号(6月刊行予定!)に「平塚らいてう生誕130年、らいてうの家10周年にあたって―今受けつぐもの」という長い長い文章を書きました。冗長と批判されることは必至ですが、力尽きてそのまま出してしまった・・・。

その後すぐに突然『婦人通信』誌から巻頭エッセイ「わが愛」を書くようにとの要請。ここには結構いろいろな人が書いていて、わたしもいつか書かせてもらえないかと思っていたのですが、6月に出るのだから6月に戦死した兄の事を書こうと思ったら、「シンポの宣伝をしてあげるからその話題を」といわれてしまい、けっきょく2種類書いて「野の花野の鳥と「いのちの平和」」という題のほうを使いました。ボツにしたほうは6月になったらこのブログにアップしますね。

それだけではすまず、「平塚らいてう自伝」や「著作集」を出してきた大月書店が、今年創立70周年で記念文集を出すから書くようにといわれ、これも急きょ書きました。タイトルはなんと「レーニンかららいてうまで」というのです。さらに「平塚らいてうの会ニュース」は毎号わたしに書かせるので「いくら会長でも人使いが荒すぎる」と抵抗したのに、4月号は「記念の年だから書いて」といわれ、これで終わりかと思ったら7月号には「朝ドラとらいてう」を書け、ですって。それより会で今年中にらいてうの生涯を簡潔に紹介する小冊子を出そうと決めたのはもう2年近く前で、主原稿をわたしが書くことになっているのに、それに全然手がつきません。魔法使いじゃあるまいし、「書け」といわれたらなんでも出てくるわけじゃないと固辞したのに、どこ吹く風です。この点に関してはわたしは絶望的なのですが・・・。

ほんとうは、この春までに「わたしのらいてう伝」を書くはずでした。好意的な出版社があったのです。でもこの間催促がきて単行本1冊分をまだ一行も書いてないと言ったら絶句されました。それなのについ数日前、児童書の権威ある出版社から「児童向けに『知のパイオニア』というシリーズで、これまでの「偉人伝」風伝記とは全く違う本を出したいと口説かれ、「あなたじゃないと書けない」ですって。出版事情困難なおりから「書いて」といわれることにはこたえねばならないと思うし、思うことを書かなければ「死んでも死にきれない」と思うのですが。こうやってブログで憂さ晴らしをしている次第です。

そして6月、これまた突然ですが大船渡の仮設住宅が「撤収」されることになり、3日にお別れ会をすると聞いて「わたしも行っていい?」と手をあげてしまいました。轆轤石の仮設住宅はわたしが最初に訪ねたところで、住民のみなさんも支援員さんもすてきな方ばかりだったところです。大阪の山田さんは行けないので「ひとりで大丈夫?」と心配され、「行けます」と大見得切ったけれど、定宿の沢の湯は自炊道具一式もっていかなければ泊まれない(今まで山田さんにオンブ)。駅の近くに宿を探そうと、市議になったばかりの田中さんに問い合わせたら「うちに泊まりなさい、仮設住宅まで送ってあげる」とすすめてくださいました。うーん、やっぱり独り立ちは難しい。おくればせながら当選祝いに一升もっていくか、と思案中です。

 

 

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