10回目の大船渡その1 三陸鉄道に乗って吉浜へ  

ひょんなことからわたしひとりで大船渡へ行くことになりました。津波から5年余り、わたしたちが通った大船渡の仮設住宅も、一部を残して「撤収」されることになり、なじみの深かった轆轤石仮設住宅で「お別れ会」があると聞いたからです。轆轤石は、猪川小学校の校庭に建てられ、子どもたちはずっと校庭で遊んだり運動会をすることができませんでした。やっと県や市で「復興住宅」がつくられ、そこへ引っ越す人が出てきたのです。自力で自宅を新築した人もいます。それでも復興住宅の抽選に落ちたり新築のメドが立たなくて仮設に残っている人は、別の仮設に「集約」されるのだそうです。3月に訪問した時すでにかなり「空室」の表示が出ていて、「6月末には閉鎖」と聞かされました。いつも3月の次は7月と決めていたのですが、それではもうみなさんと会う機会はなくなるのね、と思っていたので、6月3日にお別れ会と聞いて、駆けつける気になったのです。田中英二さん君代さん夫妻が「泊めてあげる」と言ってくださいました。

そこで、前日の2日、どうせ行くなら、と盛岡まで足を延ばし、お気に入りの県立美術館で東京で見損なった「モランディ展」を見てから新花巻経由で釜石まで行き、そこから三陸鉄道に乗って田中さんのご自宅のある吉浜まで行きました。

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岩手県立美術館のモランディ展

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懐かしの三陸鉄道。今日の車両は「応援団」の顔写真入りではなやかに。

田中さんのお迎えでおうちまで一直線。「7時過ぎるとご近所の方が見えるのですよ。皆さん朝が早いから夜集まることはめったにないけれど、3日後の5日に宮古で岩手県の母親大会があるので、あなたに母親大会の歴史を解説して貰おうと思って」と君代さん。大急ぎで心づくしのお夕飯をいただきました。それが帆立やタコのおさしみ、イカの煮物、新鮮な野菜サラダ等々、とても食べきれません。

そのうちにもう何人かの方がやってきました。ところが誰よりも先に見えたのは男性の菊地さんでした。資料をたくさん持って見え、わたしに「吉浜に来たからには、ここの土地の歴史を知ってもらいたい」とおっしゃるのです。その第一は、ここが明治29年に大津波に見舞われて犠牲者も多数出たとき、村をあげて高台移転を決定、そのために昭和8年の大津波のときも、今度の東日本大震災の津波の時も、吉浜では犠牲者がほとんど出なかった、という有名な史実です。「でも、時代が変わってそういうことがだんだん忘れられていく。ちゃんと継承しなくては」と菊地さん。「学校の先生方も転勤してきたらこの土地の事を知ってもらわねば」というので学校に働きかけて先生方を地域探訪のフィールドワークに案内するそうです。津波の記念碑はもちろん、この地で事業を起こし、村の教育に力を尽くした人びとの事績も案内するので「4時間はかかる」とのことです。「あんたも吉浜まできたなら、いちど4時間いっしょにまわって見るべ。連れてってやるから」と誘われて、「じゃあ、次に来るときは時間を取りますから」と約束してしまいました。菊地さんの地域を愛し誇りに思う気持ちがわかったような気がしたからです。ついでに「そういう立派な方のなかに女性もおられたのではないでしょうか」と聞いてみました。するとたちまち「おるともおるとも」とすらすら名前が出てきます。なるほど、と感じ入り、今度はそういう話を聴きたいと思いました。

菊地さんに頂いた絵本。絵もうつくしく、英訳つきというのがスゴイ。

菊地さんに頂いた絵本。絵もうつくしく、英訳つきというのがスゴイ。

結局その夜は、わたしも少しばかり「母親運動のはじまりとらいてうさん」についてお話しし、みなさんが帰られた後田中英二さんとお酒を飲みました。といってもわたしは小さなグラスに半分くらい。じつは遅まきながら当選のお祝いにお酒を送っておいたのを開けてくださったのです。それでいい気分になってぐっすり寝てしまいました。

翌朝がまたたいへん。昨夜電話があって「6月1日解禁したばかりで明日はウニ漁ができるから、朝船着き場にご飯だけ持っておいで」という連絡がありました。それで寝坊せずに目が覚めたというわけ。「そら行け」とまたまた田中さんの車で駆けつけると、大きなムラサキウニと名前の通りコロンとしたバフンウニが籠いっぱいです。さっと殻むきをすませ、味付けは海水だけのウニを持参のどんぶりご飯の上に無造作にドサっとのっけてくれました。実はそのどんぶりにはわたしの3食分くらいのご飯がつけてあったのですが、塩味だけのウニのとろりと甘く美味しいこと!ついつい丼いっぱいのご飯を平らげてしまいました。おかげでその後ぜんぜんお腹がすかず、轆轤石でお昼に出たお弁当にも手がつかず、帰る途中の新幹線でもお腹がすかなかったという有様と相成りましたが。

これがウニ丼

これがウニ丼

帰港した船がぎっしり

帰港した船がぎっしり

轆轤石のお別れ会は10時からなのでゆっくりでいいと思っていたのですが、ウニ丼に熱中している最中に、轆轤石仮設の支援員さんで、今日のお別れ会を準備してくださった佐々木さんから電話です。「10時より少し前に来てくれませんか?相談したいこともあるし」とのこと。3月に行ったとき「仮設で5年も暮らしたのだもの。何か文集みたいなものをつくりたいね」と話し合ったことを佐々木さんは忘れてはいなかったのです。今日のお別れ会も、みんなの話を聴いてまとめられないかという思案もあったのだということがわかりました。それこそ「そら行け、アンパンマン」じゃないが飛んでいかねば。田中さんが車を飛ばして一路轆轤石へ。ここまでが前説(まえせつ)です。以下次号。

 

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