「介護シェルター」ってありますか?―NHKスペシャル「私は家族を殺した」を見て 

介護していた親や配偶者をわが手にかけてしまうケースを「介護殺人」と呼ぶのだそうです。その当事者を、服役中の刑務所まで(特別の許可を得たというクレジットつき)訪ねて悲劇に至る過程を追う、という意欲作でした。妻に「死にたい、殺して」と毎日のように訴えられ追い詰められてしまった人、「このままでは殺人者になってしまう」と訴えたにもかかわらず、救いはやってこないまま「加害者」になってしまった人、介護は「終りのない牢獄」と語る経験者。なぜか登場するのはみな男性で、「殺される」側は女性(妻や母)という構図を痛感させられました。これは女性が「被害者」になるという意味だけでなく、介護がどこからも助けのこない孤立状況のなかで担われていることを示し、男性がより孤立しやすい状況に置かれているという意味からも、現代社会のジェンダー構造を反映していると思いました。

番組は、「介護殺人」の社会的背景を深く掘り下げるというよりも、それぞれの「当事者」がどんな思いでそこに立ち至ったのかをナマの声で語るというスタイルだったため、見終って希望が持てるようなものではありませんでした。それでも印象に残ったのは、刑務所内で自らの行動を語りながら大粒の涙をこぼし続けた受刑者の一言です。離れて暮らしていた弟の彼が、母親の介護に疲れはてた兄から「助けてくれ」と言われ、「手伝ってくれと言われたら断ったかもしれないが、助けてくれと言われたら、断われなかった」ので母と暮らすようになり、結果的には悲劇を生むのですが(兄は「僕が弟を呼び寄せなかったら、こういうことにならなかった」と自分を責めていました)、「なぜそこまで?」と聞かれた弟が「家族だから」と答えるシーンです。わたしがここで思い出したのは自民党の改憲草案でした。現行憲法24条に「 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と付け加えています。こんなことを言われなくたって「家族を大事に」といえば反対する人はいないでしょう。そこにつけこんで保育所や老人ホームに子どもや老人を預けたいなどと言わず「家族は助け合うべし」と言うのは、社会保障・人権保障の切り捨てにほかならない。

そしてもう一つ、この番組でもちらりと触れていたのですが、個々の家族では看取りきれなくなったとき、入れてもらえる施設の不足です。番組に登場した一人が「(比較的負担の少ない)特養ホームには満杯で入れず、そうでないところはとても費用を払えない」と書いていましたがまったくその通りです。ここでもつい最近「特養ホームへの入居希望者激減」という報道があったことを思い出しました。番組でも指摘していましたが、政府は「5年待ち(待っているうちにあの世へ行ってしまう!)」と言われる特養の入居資格をこれまで申し込みだけはできた要介護1・2を不可とし、要介護3以上に限ることにしたのです。そりゃあ、そうすれば申し込みは激減、従って「待機者」は減りますよね。わたしなどまだ介護認定さえ受けていないのだからとても特養には入れない。では自前の老人ホームを、といくつか見学もしてみましたが、入居金が「ン千万円」、毎月の費用が「25万円以上」というところが多く、わたしの老後対策は、唯一「老人ホームの入居金をためておく」ことだったのですが、らいてうの家の運営につぎ込みすぎてわずかな預金は取り崩し中。麻生財務相が「老人はいつまで生きているんだ」と言い「将来の不安などといわず、せっせとお金を使え」と発言して批判されていますが、「金の切れ目がいのちの切れ目」の現実を何というのか。政府は「自宅で最期を」という希望にこたえるために「在宅介護の促進」というのですが、それが「介護殺人」という現実となっていることを、何とみるのでしょうか。

特養には入れず、民間の老人ホームでは費用が払えない「介護難民」の介護者をどうやって「殺人者」になる悲劇から守るか。「孤立しない」ことが重要ですが、そのうえでもう一つ、「介護者の負担軽減」をうたったショートステイを、いつでも緊急の時に無条件で預けられるようにする「シェルター」があればいいと思う。ショートステイは何か月も前に予約しないと入れてもらえないそうですが、それでは間に合わない。DVで逃げ出す女性の駆け込み寺としてシェルターがありますが、「今、肉親を殺すかもしれない」というひとの緊急避難の場としての「介護シェルター」はないのでしょうか。そういうのは、たぶん一般の施設よりも受け入れる側に十分な人材(専門家)が配置されていないとむずかしいだろうなあ。

今のわたしの老後願望は、せめて認知症になっても他人に当たりちらしたり妄想を抱かなくても済む「バアサン」になりたいということですが、こう世の中に不満がいっぱいだと、おだやかにニコニコ笑っている人生は望めそうもない。子どもたちに「親が認知症になって攻撃的になったらどうする?」と聞いたら、「逃げ出す」ですって。そうか、「家族だけで背負い込まない」なら、それはよっぽど親孝行かもしれないからね。

 

カテゴリー: Uncategorized パーマリンク

コメントを残す