「インドネシアの女の子」を支援してきたのですが…。

都知事選の真っ最中です。新聞の予想は?みるのもしんどいという感じです。自民党推薦候補はもちろんダメですが、自民党を割って出たというので話題の女性候補を「女性を知事に」と言わないのは、彼女が永田町のオトコが顔負けするくらい「勝ち馬」志向で男性政治家について回り、「核武装論」まで口走ったからではないでしょうか。平塚らいてうは、女がどんなにカッコイイことを言っても「男の後をついて行くようではダメ」と言いましたからね。情勢は厳しいようですが、なんとか希望をひらきたい。

ところが、今朝友人の訃報を聞きました。このところ永六輔さんや大橋巨泉さん、少し前には歴史家の中村正則さんなど「同期のサクラ」組が次つぎに旅だち、いささか粛然としていたのですが、このたびはわたしより9歳も若い日本近代史研究者の牧原憲夫さん。自由民権運動にたいする辛口の論考で知られています。わたしが2003年に『平塚らいてう』を出版した時の書評会で、らいてうの戦争加担責任を追及すべきと主張、彼女が「戦争したくない」と思っていたにもかかわらず当時の「東亜協同体論」などに惹かれて歴史認識の錯誤に陥ったというわたしの判断を「甘い」として、「知識人としてそういう錯誤は許されない」と批判しました。そこに彼自身の「知識人」としての矜持をみた、と思いましたね。彼の意見には納得しなかったけれど、批判にはこたえようと思い、その後の10年以上「らいてうと戦争の時代」をテーマに考え続けて来たともいえます。「なんでそんなに早く旅立ってしまったの」という思いと、生き残った自分をふりかえり、かの啄木のごとく「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」と思いつつ、もはや「仕事」は残されていないのではないか(あっても仕遂げられない?)という気分がよぎります。そこを踏み越えてもう少し生きなければならぬ…。

もう一つ、長い間わたしはアジアやアフリカなどの地域住民生活を向上させる「プラン・ジャパン」(今はプラン・インターナショナル・ジャパン)というプロジェクトに参加して毎月いくばくかの寄付をしてきました。寄付は個人にではなく地域全体の生活向上のために使われるのですが、寄付したものは「SP(スポンサーペアレンツ)」としてその地域の「SC(スポンサーチャイルド)」を紹介してもらえます。わたしは「インドネシアの女の子」を希望して、これまでに何人かのSCと写真や手紙の交換、約束の範囲でのプレゼント(シールとかハンカチとか)などもしてきました。何年か経ってその地域の生活環境が向上すると、「卒業」して別の地域で「SC」と出会うのです。今のSCのMariaちゃんとはかなり長く、時どき届く写真で成長ぶりが見えるので楽しみでしたが、最近「卒業」の連絡がきました。

じつは昨年あたりから、今度「卒業」の連絡が来たら、もうSPになるのはやめよう、と思うようになりました。在職中は何とかできた寄付も、今はささやかな年金が次々に減額され、おまけに後期高齢者医療や介護保険費がどんどん上がり、2か月に一度の年金が数年前からみると数万円も減っています。これは所得税や住民税、保険料などを「とりっぱぐれ」なくするために年金天引きにしたせいもあるのですが(わたしは抵抗して後期高齢者保険だけは年金天引きを断っているのです)、それにしても介護保険が当初月額3000円台と言われていたのが今や武蔵野はわたしのレベルでも年額10万円以上になりました。あまり高いので市役所に「どうしてこんなに高いの?」と聞いたら「うちは手厚くしてありますので」という返事。だって介護認定してもらえなければ意味ないじゃん。いくら助け合い精神だと言っても、なんだかむしりとられているみたい。わたしがインドネシアの女の子に寄付するのも「助け合い」だと思うのに、それがままならないのですもんね。でもそれだけじゃなくて、そろそろこうした社会活動も幕引きに近づいたという気持ちになったのです。

思案した末に以下のような手紙を書きました。

プラン・インターナショナル・ジャパン 御中

チャイルドスポンサーの松本佐代子(注記 ここも戸籍名でないと振り込めない!)と申します。このたび、私がかかわっているインドネシアSIKKA地域での活動が終了したとのお知らせをいただきました。チャイルドのMariaちゃんとはかなり長く交流しお手紙もいただいて、よい思い出になりました。感謝いたします。

つきましては、たいへん申し訳ないことですが、この機会に長年続けてきたSPをいったん辞退し、新しいSCを希望しないという選択の意思表示をさせていただきたく存じます。高齢化(9月で82歳になります)にともない、SCとの交流が負担になってすまないというのが最大の理由です。「交流しなくてもいい」とも考えましたが、SCからお手紙を頂いたりすると、心が動きます。でも、今は人生の「しまいどき」に直面し、身辺整理をする時期だと悟りました。長い間わたしを励ましてくれたSCたちに感謝したいと思っています。

余談ですが、わたしが「インドネシア」を地域指定した理由は、今は亡き父が戦時中、軍人ではなく民間人でしたがインドネシアを占領した海軍の軍属としてインドネシアのカリマンタン島に派遣され、軍政の一端を担った体験があることに由来します。父は戦後間もなく病死し、わたしたちにカリマンタン時代のことを語ることはありませんでした。インドネシアは親日的と言われますが、実際のカリマンタン島ポンティアナでは日本海軍による無抵抗の住民虐殺事件も起こり、今もその記念碑が現地に建っています。わたしは父の没後成人し、長く父がこの虐殺事件にかかわりがあったかどうかを疑問に思っていました。65歳で仕事をやめたあと、カリマンタン島へわたって当時のことをしらべ、現地発行の日本語新聞等の記事から父の在任中の事件ではなかったことが判明、現地では「トアン・ヨネダ」のことを覚えているという方もいて「友達のように付き合った」と言って下さいましたが、それでもその事件を日本人がほとんど知らないことに、責任のようなものを感じました。わたしが「インドネシア」支援の地域指定をしたのは、日本の戦時中のアジアでの行為について、せめてもの「贖罪」をという思いもあったからでした。

その「責任」はまだなくなっていないと思うのですが、いくらか気持ちのうえでは安らぐことができました。このプログラムに参加できたことをSCとの接点とともに二重の意味で感謝しています。でも、トシには勝てません。わずかな年金も減額され、介護保険などの医療費の負担も増え、つつましくとも人間らしい老後を、というねがいがいつまでかなえられるかわからない時代になりました。どうかSPをここでいったん打ち切ることをお許しください。口座引き落としは手続きが済んだら止めてください。長い間ありがとうございました。                         2016年7月21日

書き終わって封筒に入れるのに一瞬ためらいました。これぐらい「仕事」にしたら?と思う迷いが残っていたのです。でも、もう「終活」だもんね。

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