「しずおか女性の会」に招かれて―1月の放浪記その(2)

前夜は「女性文化賞のつどい」で午後11時近くに帰宅。翌28日朝8時半には家を出て静岡へ。「しずおか女性の会」が静岡市男女共同参画、多文化共生委託事業」として実施する「新の講演会」で、「思うことをまっすぐに―平塚らいてうと現在(いま)を生きるわたしたち―」というテーマです。昨年のNHK朝ドラでらいてうが登場したせいか、今年はすでに数か所から「らいてう」をテーマに話をという依頼があり、これは「らいてうの家」を知っていただくチャンスでもあり、現在(いま)の状況を見ていると語るべきことがたくさんなると思うので、なるべく引き受けるようにしています。この企画は静岡女性史研究会のみなさんのアドバイスもあったらしく、当日は古くからの友人たちも見えるという期待もありました。

雪を被った富士山を見ながら静岡までは「ひかり」なら1時間、居眠りする暇もなく、改札を出たら、なんと主催者のほかに「旧友」たちも出迎えに来てくださり、恐れ入りました。到着するとすぐ、実行委員会のみなさんと「JA」製の美味しいお弁当をいただきましたが、そのメンバーのおひとりが「私の母は大正生まれでしたが、若いときに家出して自立しようとしたのですよ」と言うお話を聞かせてくださり、『青鞜』にも伊藤野枝を始め、「家出」してきた娘たちがいたこと、わたしの母も山梨県甲府から関東大震災の少し前に「家出」して東京に飛び出し、郵便局員になって自活したことがあるので、昔弘文堂の事典に「家出」という項目を書いてと頼まれたとき、「大正時代は女が家出をする時代であった」と書いたことを思い出して、「それは静岡女性史のみなさんにぜひ記録しておいていただきましょう」と言ってしまいました。大正時代というのは、日本の資本主義が発達して、いくらかでも教育を受けた女性たちが「職業婦人」として自立する道が開け、しかしそれは都会でないと可能性が少なかったため、地方から「家出」するのです。然し彼女たちの賃金は安く、しかも「女性が一人で働いている」こと自体が「売春婦」並みにみられるという恐るべきセクハラ状況がありました。

大正期の『青鞜』で有名な「貞操論争」というのがありますが、その発端は四国から上京してきた生田花世が、食べるために(彼女の場合は弟を学校に行かせるためにも)働き口を探すのですが、やっと見つけた職場で雇い主に「貞操」を奪われるという「セクハラ事件」です。花世がそのことを隠さずに告白、自分はそれでもその勤め先を辞めることが出来なかった、「女に財産を所有させない法律がある限り及び女には職業がない限りは女は永久に『食べること貞操』との戦ひにおそらく日に何百人と云ふ女は貞操よりも食べる事の要求を先とするのである」という社会告発をしたのですが、論争は「貞操を守るべきか否か」といった方向に行ってしまい、花世の提起は必ずしも受け止められなかった、というのが私わたしの意見です。これって今も未解決の課題じゃないですか?ああ、また脱線した…。

講演会は会場いっぱいの参加者で無事に終わり、しずおか女性の会のみなさんと大喜び。わたしの話は「ドラマにも出てこなかったらいてうさんの素顔」がウリなのです。その後お茶会で歓談、それでもまだ話し足りない静岡女性史の会員のみなさんが残って夕方5時ごろまで話に花が咲きました。帰りには静岡名物のお茶やいちご等々お土産をいっぱい頂いて、ほんわかしながら今度は富士山を眺める余裕もなく熟睡して帰りました。写真が撮れなくて残念。

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