ついに大船渡へ!―1月の放浪記(その4) 

「放浪記」のラストシーンにたどり着きました。1月30日、6時に目が覚めました。ここは安いビジネスホテルですが、かの悪名高きアパホテルではありませんからね。なにしろ女性に限り5泊すると一回分無料。ネットで予約すると300円引き。そして日曜日は20%引きという会員カードを持っています。おまけに「無料サービスの朝食」があり、ロビーに椅子を並べて、おにぎりと味噌汁、サラダやパンとコーヒーなどがあって、わたしなどこれで十分なのです。でも7時19分の大船渡線に乗らなくてはならないので、とてもありつけないと思ったら、フロントのお姉さんがニッコリして「6時半からだしていますよ」ですって。身支度してフロントに下り、ゆうゆうと朝ごはんを済ませて大船渡線へ。でも電車は気仙沼までしか行かないから、そこで乗り換えてBRTバスに。あいにく雨もよいになり、陸前高田の「奇跡の一本松」も見えませんでした。乗り換え時間を含めてめざす盛駅に着いたのは約3時間後。うちからでてくると7時間近くかかるのです。

駅にはなんと今回の冊子づくりで大活躍してくださった支援員のSさんが車を止めて待っていました。轆轤石仮設住宅が解体撤去された後、「燃え尽き症候群」になってしまったというSさん、この冊子づくりでもみんなの話をまとめたり、写真を集めたりして頑張ってくれたのですが、年末に体調を崩されたとの知らせがあったきりだったので、心配でした。」「今日も仕事を抜け出してきたので相談の時までいられなくてごめん」という彼女に「謝りたいのはこっちよ。ごめんね、無理させて」というのがやっとでした。でも、今日の校正はちゃんとやってくださる方がいるのです。その一人元ろくろ石地域公民館館長だったMさんのお宅で校正の相談をすることになっていました。ご自宅というのは、1月になってから越してきたばかりの県営住宅です。Mさんも被災して轆轤石の仮設に入居、6月に撤去になった時は一時別の仮設に転居、正月明けてやっと県営住宅に入居されたということでした。さぞお忙しかったでしょうし、おまけに今日は月末の平日です。民間企業にお勤めのMさんが、けっきょく仕事を休んで付き合って下さったのです。この方のお人柄についてはいつか書きたい。ともかくそこにスポンサーでもある猪川地区公民館長のK先生にも来ていただき、細かい事実関係や「てにをは」に至るまでチェックしていただいて、そのうえ、各章には「リード」をつけて「ここには何を書いてあるかがわかるように」というご提案もいただき、なるほどなるほどとうなずいているうちに、その原稿は時間がないからわたしが書くことになってしまいました。そりゃ断われるはずがない。トントンと話がすすんで、2時間あまりでめどが立ちました。

でもそこからが問題。ひる過ぎていたのですが、「さあ、時間がないからお昼を食べて行って」と出してくださったのが奥様手づくりの大きなカキフライと蒸したカキ。それどころかウニとイクラとぴちぴちのヤリイカと、ホンモノのカニ(うちじゃカニカマしか食べたことないもん)がどーんと乗った豪華海鮮丼まで出てきてしまいました。「はい、みーんな大船渡産ですよ。カキはノロウィルスが心配だから火をとおしてあります」という説明も上の空で遠慮なく箸をつけさせていただきました。そのカキのおいしかたこと!おまけに、「お宅の旦那様にも食べさせてあげてね。クール便で送るから」とおっしゃってもう冷蔵用のバッグが荷造りしてあるのです。今さらご辞退申し上げるわけにいかないので、「ではありがたくわたしが担いで帰ります。新しいうちに味見させますから」と欲張りバアサンよろしくいただいて帰ることにいたしました。いったいわたしは何のために大船渡まで来たのでしょう?

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ぜーんぶ大船渡産。上が蒸しガキ、真ん中がカキフライ、下がウニとイクラとヤリイカとカニの海鮮どんぶり。

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そしてお昼が済むと「水沢江刺まで送るから」とおっしゃるではありませんか。お仕事は?と思いましたが、じつは新幹線の駅まで1時間半くらいかかっていったとしてもあのBRTバスに乗って行くより2時間近く早く帰れるのです。誘惑に耐えかねて「ではよろしく」と乗せていただきました。車の中では携帯が何べんも鳴り、あちこちに指示を出したり、業者に連絡したり。やっぱりお忙しかったのだ、と反省しましたが、もう後の祭りです。帰りはお腹はいっぱいだし冊子もめどが立ってきたので、すっかり寝てしまい、行きより元気になって帰りました。

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水沢江刺駅の巨大な南部鉄瓶のモニュメント

カキの後日談ですか?じつは「旦那様」だけじゃなく離れ離れで暮らす娘息子たちにもふるまってやったのですよ。みんな異口同音に「こんなおいしい牡蠣は初めて」と叫んでいました。三陸名産のカキが津波で全滅し、船も牡蠣小屋も流されながら「不屈に」立ち上がった三陸漁師たちのことは、いつかこのブログにも書きましたから読んでください。これでは、冊子づくりをかならず完成させよう(といっても実際にやるのは戸倉書院の八木さんと表紙デザイナーの岡部さんなのですが)、三陸のカキは偉大なるかな…。これで4日間にわたった「放浪記」は終わりです。ここまで来たからもう大丈夫と思うのでタイトルだけ事前に宣伝しますね。

「2011年3月11日 東日本大震災  あの日から・・・そしてこれから  岩手県大船渡市轆轤石仮設住宅の1800日」

というのです。津波体験の記録は今までにもあちこちで出されていますが、仮設住宅の生活を住民のみなさん自身の言葉で語った記録はまだあまりないと思う。それにここの仮設が「地域公民館」だったということの意味は大きいと思うのです。「名前なんてとても出せない」「顔の見えちゃう写真は入れないで」という女性の方たちの気持ちをだいじにしてつくった文集、3月11日発行予定です。

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