「投票用紙一枚に重い責任が詰まっている」

10月9日付のブログ「NHKのBS1『父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦後~』を観ました」を読んだ方からコメントが届きました。わたしが、日本占領下のインドネシア(日本軍が占領するまではオランダの植民地だった)で何があったかを知らない日本人が多いことについて、「日本の戦争責任を忘れていいのか」と問うたことへのコメントだと思います。「同感です。それを突きつめれば2017年10月という時点で誰に投票するか。投票用紙一枚に日本人個々人の重い責任が詰まっていると思いました」とありました。

わたしもこのコメントに「同感です」。投票日までにもうあと3日しかない今、新聞の世論調査なるものでは「改憲勢力が多数」という予想を繰り返し、安倍首相は選挙後すぐにでも「改憲案」を出すと言いました。「北朝鮮のミサイルや核攻撃」の心配は「国難」だというのですが、そういうこと自体が「国難」ではないか。一方ネットでは自党の候補を下ろして「野党と市民の共同」を推進してきた共産党が議席を減らすのではないかという観測に対して「それはないでしょう」という声も上がっています。

わたしの母は戦後最初の総選挙のとき、40歳で初めて参政権を得ました。だれに入れていいかもわからなかったそうです。その時「官僚」の端くれだった夫が当然のように地盤看板の候補をあげて「○○さんに入れるのだぞ」といったとき、母は黙って逆らいませんでしたが、心の中で「お父さんが言った人にだけは投票しない。こればっかりは自分のものだ」と思ったというのです。戦前の家制度のもとで女には参政権も教育を受ける権利もなく、自分の自由になるこづかいさえ持てなかった時代に育った母が、「選挙だけは自分で決める」と思ったという、そこに戦後民主主義の始まりの合図があったとわたしは思っています。「投票用紙には個々人の重い責任が詰まっている」。戦争ではなく平和を、憎しみ(ヘイト)ではなく和解と対話を、人殺しではなくいのちを守る暮しを。2017年10月22日が、憲法を壊してしまう一歩になったという恥ずべき記憶の日にならないために。

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