「太陽光発電は、ほんとうに再生可能エネルギーか?」―「全国メガソーラー問題シンポジウム(茅野)」参加記 

10月14日付朝日新聞は、九電の「太陽光発電ストップ問題」について「原発稼働を優先している」ことを報じています。それは「国のルール」なのだとして世耕経済産業相が「原発はベースロード電源の一つ」と強調したことばを引用し、「ドイツやフランスでは原発で出力調整をした実績もある」のに、日本の原発優先は「旧来型の優先順位を維持する」もので「時代遅れ」という意見(都留文科大高橋洋教授)も載せています。そして論旨は、「再生エネルギーを有効活用するためには電力会社の自社中心主義ではなく、全国で融通できるシステムをつくるべき」という提言になっています。

「全国的に融通できるシステムを」という提起は既存の大手電力会社の独占を修正させるうえでは必要だと思いますが、太陽光発電の一定の部分がメガソーラーによってつくられているという事実にふれていないのは、どうでしょうか。15日付同紙の「天声人語」も九電が国の原発優先政策に従って太陽光発電を一部停止したことを批判、電力会社は「再生可能エネルギー受け入れをさぼってきたのではないか」と指摘していますが、メガソーラーへの視点はありません。

朝日新聞は2018年3月29日付「けいざい」欄で「アセスの強化は太陽光発電事業を停滞させる恐れもある」という趣旨の記事を載せ、わたしはこのブログで疑問を呈しましたが(2018.4.8掲載)、「原発反対」の姿勢はよいが「太陽光発電」なら内容を問わず推進すればいいのか、という疑問が残りました。今回も同じような危惧を感じます。

 

そこで、10月8日の「全国メガソーラー問題シンポ」を思い出しました。会場いっぱいの参加者は、メガソーラーが引き起こす自然破壊や生活破壊とどうたたかうか、という関心から参加した方がほとんどだと思う。各地からの報告は、山をひとつ丸裸にするようなパネル31万枚とか景勝の地に20万枚というようなべらぼうなものが多く、らいてうの家の「3千数百枚」程度の計画は「小さいほう」と思わせられるほどでした。わたしたちは「すでに開発済み(土地所有者のホテルがテニスコートなど造成)で大規模な森林伐採はない」「希少動植物もみあたらない」「水害の心配もすくない」「居住者が少なく被害が少ない」等々の理由で、「反対の根拠は弱い」と言われたのですが、この土地を愛したらいてうの自然への思いを受け継いで植樹と草刈りをし、この地を愛してきた地元住民(その中には創建1300年を迎えた地元山家神社「四阿山奥社への神聖な参詣路にあたる」という反対の声もあります)の思い、隣接の「薬草園」への悪影響、希少生物でなくともカモシカやノウサギ(クマも!)が生息し、アサギマダラがわたり、一文字蝶が舞い、山野草が自生する「当たり前の自然」をこわすな、という主張をしてきました。

メガソーラーにはもちろん反対ですが、そうでなくてもわたしたちにとってはかけがえのない「歴史的文化的価値」を持つ土地を「立ち入り禁止」にして景観や照り返しの危険を招いていいのか、と訴えてきたのです。現在事業者は昨年11月の説明会の後1年近くにわたって沈黙し、反対署名を送っても問い合せしてもノーアンサーです。「あきらめるなら早くあきらめてよ」と思いますが、他地域では長く放置の末突然土地や権利が転売されて新しい事業者が強行するケースもあるので油断はできません。そういう思いで参加したのです。

内容はチラシを観てください。内容を全部紹介できないので、感想を言います。

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シンポの内容

第一に、ここでの問題提起は、メガソーラー反対だけでなく、そもそも日本でいま展開されている「太陽光発電」そのものが「日本の国土の自然、生活環境に適合するのか」という問題提起をはらんでいるようにわたしには思われたことです。そこから出てくる第二の点は、ではわたしたちが望む原発やCO2削減をめざす電力はどうやって生み出せばいいのか、という問題。これらを含めて第三にメガソーラーを止めさせ、小規模ソーラーや水力、バイオマスなどによる発電で「地域の生活を地域で生み出す」あるいは「ソーラーシェアリング」のような太陽光発電と農業振興を結びつける方策が生みだされたとしても、それで大企業を含む電力需要全体が賄えるのか、という疑問です。

開会挨拶の小林峰一さんは、開口一番「日本は森林7割の国土。平地に田んぼや畑を作り集落をつくって山地とすみわけしてきた。この暮しの歴史がメガソーラーによって破壊される。さらにパネルの廃棄システムが確立していないことが問題」と指摘しました。このことを敷衍したのが基調講演の高田宏臣さんです。彼は、自然地形とは「大地がそれぞれの風土条件に於いて自律的に安定を図ってきたかたち」であるとし、そこに「草や木が根づき、土中の通気浸透を通して大地は安定してきた」というのです。現代土木技術の発想はその自然のはたらき(環境)にたいして(小規模であっても)「負のインパクト」をあたえるとズバリ。「山地における巨大メガソーラー」はいわばこうした自然の摂理に背く土木技術による環境劣化を不可避にしているのだそうです。それはじつはメガソーラーだけでなく、ゴルフ場や水力発電(ダム工事をみよ)に至るまでそういうことを繰り返してきた、と。では、それを食い止めるにはどうしたらいいか。「確かな視点での市民主導の経過観察調査の蓄積」が必要だと高田さんのレジュメにはありました。なるほど、わたしは環境アセス学会にも行ったことがありますが、こういう視点のアセスをやると言ってくれれば分かったのに、という感じでしたね。

続く「メガソーラーをやっつけろ!」という刺激的なテーマのお話も日ごろ疑問に思っていたことを指摘するものでした。梶山正三さんは弁護士ですが、これまたのっけから「太陽光発電の幻想を捨てよう」と題して太陽光発電は、ソーラーパネルをつくるのに膨大な石油資源を使い、CO2を排出する「ダーティ」な設備で、パネルが廃棄されるときもべらぼうな石油火力資源を消費するうえに「原発推進の口実つくり」にされている、と一刀両断。各地の裁判を手掛けてきただけあって、「ごまかされてはいけない」という熱意に目が回りました。

各地からの報告は省略します。短い休憩をはさんで4時間近くに及んだシンポでしたが、それでも会場発言の時間まではとてもとれず、主催者側からわたしに「懇親会で5分くらい話してください」とささやかれたので、ひたすら聞き役でした。「メガソーラー」反対ですが、メガだけでなく、そもそも太陽光発電は「自然エネルギーだから推進」と簡単に考えてはいけないのではないかということはこれまでの勉強から私も感じていたことですが、では、すべての太陽光発電に反対するのか?そしたら原発賛成になってしまうのか?それはとんでもない。地域の水路に水車を回す水力発電とか牛のふんや間伐材を使うバイオマス発電は有用だが大規模な電力を生み出されるのか?その展望を持つにはどうしたらいいか。わたしには結論が出せませんでした。

終ってからの懇親会で指名されたので、らいてうの家が直面しているのは30万枚のメガソーラーから見れば「小さい」が「歴史的文化的意味を持つ土地」ということで押し返し中と報告しました。すると長野県内なのになぜか静岡テレビが取材に来ていて、わたしに短いインタビューを求め、オンエアしたかどうかわかりませんが応答したり、新聞記者からも名刺をいただくなどの反応がありました。朝日新聞の記者が見えたので、率直に朝日新聞の記事(九電問題が起こる前)についての疑問を投げてみました。彼も正直に「部署によっても違うので」と言っていましたが、その後の記事を観ると私の危惧も根拠なしとは言えないのではないかと思いました。ともかく「ある程度反響があった」ことは確かです。

「太陽光発電は、ほんとうに推進すべき自然エネルギーか?」「たとえメガソーラーに限定して反対するとしても、原発や火力発電ではない電力を創出するにはどうしらいいか?」「小規模発電というかんがえかたは賛成できる面もあるが、これで生活電力はまかなえるとしても大企業の電力をどうやって確保するのか?」―これらの疑問を抱えて帰宅しましたが、その後ほぼ同じときに同じ長野県の飯田で「第10回市民・地域協同発電所 全国フォーラムin飯田」(10月5-7日)が開かれたことを知りました。こっちも行けばよかったかなあ。分科会が4つあって「里山資源を生かす小規模バイオ利用の促進」「地域再エネ事業を支える仕組み」「地域新電力と自治体政策」「多様に広がる生協の再エネ事業」です。新聞に出てないかさがしたら、やっぱり「しんぶん赤旗」が紹介(10月15日付)。「地域経済の活性化」と「自然エネルギー推進」で住民生活を豊かにし、かつ原発や火力化石燃料に依存しない「100%自然エネルギー社会をめざそう」とあります。それを聞きたかったなあ。

それにしても、らいてうの会では、目の前の太陽光発電問題には強力な反対運動を展開してきましたが、そこから先のことになると「足踏み」です。「先のこと」には二つ課題があり、一つはここで繰り返し考えたように、「原発や火力化石燃料に依存しない電力システムはどうすれば可能か」ということと、もう一つは現在のソーラー予定地になっている7000坪の土地を、ソーラーではなく地域の人々が愛し活用できる「いこいのひろば]として再構築する可能性の追求です。そのどちらもらいてうの会としては「とても手が出せない」「そこまでやる力はない」という気持ちの人が多いのです。だって会員の高齢化が進み、らいてうの家自体を維持していくのがたいへんなのだもの。でも、他でメガソーラーが横行しても「ここにソーラーが来なければいい」というのでは「エゴ」と言われても仕方がない、という気がします。

山中でクマに遭ったときみたいに、わたしたちはソーラーと目を合わせてしまったのだから後ろを向いて逃げ出すわけにいかない。クマに会ったときの鉄則は後ろを向かず、クマから目を離さず、そろりそろりと後ずさりすることだと聞いたことがありますが、人を取って食わないソーラーパネルからも後ろを向くわけにいかないと思う。ヒマもお金もなく行動力ダウンの年寄りが逃げ出せないゆえんであります。

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