「想像力」の欠如がもたらすもの―「自己責任バッシング」と「靖国訴訟判決文」を読む。  

「安田純平さん解放」をめぐる「バッシング」の嵐には、驚きあきれるばかりです。こういうときの「自己責任論」バッシングは以前からありましたが、今回は家族への個人攻撃を含めて常軌を逸しているとしか言いようがありません。すでにさまざまな反論が出ていますが、わたしはトランプ大統領登場以後、彼に追随している安倍首相のもとで「日本ではこういう言動が許される」という風潮が強まったような気がします。野口健さんや本田圭佑さん、ダルビッシュさんと言った国際的に活躍する人びとが「自己責任バッシング」に疑問を呈しているのは、こういった議論が国際的に通用しないこと、それが日本ではまかり通っていることを示しているのではないか。

しかし一方では今、トランプ大統領だけでなく、ヨーロッパ各国でも「移民拒否」や「難民拒否」などが公然と叫ばれる政治的状況が広がっていることも影響があると思う。日本は難民申請を認めないことで世界有数?という有難くない評価枝を受けている国です。まさか「自己責任」で難民になったという人はいないと思うけれど、じっさいに助けを求めているのに無関心で「自己責任論」が声高に横行するというのは、事実上「難民も自己責任」というのと同じではないか、と感じてしまいます。

「自己責任論」でもう一つ問われているのは、「ジャーナリストはなぜ危険とされている地域に取材に行くか」という点です。多くのジャーナリストが指摘していますが、「日本政府が危険と言っている地域に入り込んで拘束されたのだから自己責任」というバッシングです。シリアをはじめとする国や地域で自国の状況をメディアに知らせず、取材するジャーナリストを敵視していることや、テロ集団や犯罪集団による「誘拐―身代金」という構図があることも事実ですが、だからこそそこで今何が起こっているかが報道されなかったらどうなるか。内戦や過激派支配地で人々がどのように生きどんなメッセージを世界の人々に伝えようとしているか、その事実を知らずに(知ろうともせず)、のほほんと生きていていいか、それこそ「ぼーっと生きてんじゃねえよ」とチコちゃんに叱られるのではないか。そのためにジャーナリストは「危険」地域にも取材に行くのです。かつてカンボジアで「ポルポト独裁」の時代があり、その実態は長い間報道されませんでした。そこで300万人とも言われる虐殺があったことを、後になってから世界中が知ったわけです。わたしがその「キリングフィールド」から日本に難民として逃れてきたポンナレットさんの「追っかけ」をしているのはそういう反省があるからです。「政府が危険という地帯に行って拘束されたくせに助けなど求めるな」というバッシングには、「事実」を知ろうとしない無責任さと無関心があると思う。

わたしは、これらの「バッシング」に共通している「想像力の欠如」を批判したいと思います。人間にとって「想像する」ことの意味について、わたしはすでにこのブログで何回か書きました(2016年1月20日と2月7日)。法学者松平康弘さんの『憲法の想像力』を読んだ感想です。以下に一部を再録。

 

奥平さんはレイモンド・ウィリアムズの以下のような言を引用しています。「この語(想像力)は、imaginative arts(想像力の芸術)とかcreative arts(創造芸術)と呼ばれる特定の実践とは必ずしもつながりをもたずに、夢想(dreaming)・空想(fantasy)をさすこともあれば、一方ではいくつかの創造的な活動や作品において、実際に影響や効果をもつだけでなく具体的な形としてとらえられるような、拡大(extension)・革新(innovation)・先見(foresaight)をさすこともある」。そして彼は「このウィリアムズの二種類のうち、僕が意味するのは後者」と断言、「想像力」が「なにか新しいものを作ってゆく」「創造力」の源泉であるというのです。ジョン・レノンの「Imagine」を引き合いに出す「誘惑」に「あえて屈服した」という奥平さんの若々しさ!しかし彼はもういない。彼が生きていたら、今何を語るか、「想像」してみよう。>(引用終り)

このような「想像力」の欠如が、「後味の悪い」バッシングをもたらし、それをはずかしく思わない風潮を生んだとすれば、やがて戦争で人が殺されても痛みを感じなくなるのです。「想像力」とは何よりも人のいたみを受け止める力だと思う。

わたしは同じく「安倍首相靖国参拝違憲訴訟」控訴審判決が「平和とは理念あるいは目的等を示す抽象的概念であって、憲法前文にいう平和のうちに生存する権利もこれを主張する者の主観によってその内容、範囲が異なり得るものであり、未だ具体的なものではない」と言い放ったことにも「想像力の欠如」を感じています。それは前回書きました。今、わたしたちは「想像する力」を身に着け、みたこともない異国の地で何が起こっているかを「いたみ」をもって知らなくてはならない。いや、身の回りで起こっているいじめや貧困、虐待なども「自分とは関係ない」と思ってはいけないのだと思う。来年3月までに書く論文のテーマは「戦争体験の継承と想像力」です。ここ数日の論調で、その範囲が広がったことを実感しつつ―。

ついでに、「転載可」という「Imagine」の歌詞をここに。

Imagine all the people Living life in peace        和訳 Akihiro Oba

Imagine there’s no Heaven
It’s easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって…想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

●この和訳は自由に転載して構いません。
転載の場合は、転載元としてこのページをリンクしてください。
(できれば必ずお願いします)http://ai-ze.net/kanrinin/kanrinin5.htm
リンクや転載してくださった場合は、一応こちらからお知らせください。
(強制ではありません) http://day-jp.net/imagineform.html

 

 

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