永井愛さん渾身の「ぶっ飛び『青鞜』物語!」―二兎社公演『私たちは何も知らない』が始まりました

二兎社の『私たちは何も知らない』は、29日から12月22日まで池袋の東京芸術劇場シアターウエストで上演中です。今年の初め永井愛さんが直々にらいてうの会の学習会にみえ、ファンのわたしは舞い上がってしまったのですが、それからもやり取りがあって、プログラムに「『青鞜』の女性群像」なる文章を書くはめになり、ドキドキしているうちについに幕開けとなりました。そして無理を言ってなんと初日を観に行ったのです。というのは12月は白内障の手術をするので、それ自体は日帰りで心配ないはずですが、「予後がよくないと感染症になって失明する場合もある」とオドカサレ、もし万一見えなくなったら心残りと思って早く観ておこうと思った次第です。

いやいや、予想を超える「ぶっ飛び『青鞜』物語」でした。その細部を書いてしまうと「ネタバレ」になるおそれがあるので、なかみは「観てのお楽しみ」としておきますが、これはまぎれもなく永井愛さんが贈る「『青鞜』から現代の女たちへのメッセージ」です。
それは永井愛の名作といわれる『見よ、飛行機の高く飛べるを』が『青鞜』発刊と同時代の女子師範学校生徒を題材に、彼女たちが如何に時代に向かって飛び立とうとしたかをテーマに、現代の若い女性への強烈なメッセージを放ったことを思い出せば「あたりまえ」といわれそうですが、それにしても今回は実在の『青鞜』社員を登場させているのだから、少しは「歴史的事実」に即しているのかと思いきや、たしかに明確な事実に基づきながらその枠を超えた人物造形を試みているのが「ぶっ飛んでいる」と感じた理由です。それは登場人物に着せた衣装をみても明確。『青鞜』の時代の女性たちはみなキモノのはずなのに、ここでは白いブラウスに黒のスカートは言うに及ばず、真っ赤なドレスあり、ジャンパーとジーパンあり、ひざ丈のスーツありと全く時代無視。しかしそれが現代へのメッセージにつながっていると、わたしは感じましたね。
しかもその登場人物の選び方が異色。平塚らいてう、「紅吉」こと尾竹(富本)一技、伊藤野枝あたりまでは『青鞜』としては当然かもしれませんが、らいてうが生田長江に「女の雑誌」発行をすすめられてためらっているとき「やりましょうよ」と背中を押し、一貫して「事務局長」的雑務をこなして「無口な実務家」と思われてきた保持研(やすもちよし)や、夫岩野泡鳴が「浮気」して離婚を求めたのに対し当時の民法をタテに夫の「同居義務」を求める裁判を起こし、それが認められるとあらためて「協議離婚」という形で自分の意志を貫いた岩野清、そして補助団員(つまり応援団)の山田わかを取り上げて重要な役割を演じさせているのです。

なかでもケッサクなのは保持研。ド近眼だったといわれる通り大きな眼鏡をかけて登場する彼女が原稿を整理し、金勘定をしながら、よくしゃべり、笑う人物として生き生きと描かれます。後半は青鞜社の経営不振もあって精神的に不安定になって退社するのですが、らいてうが「この人がいなければ自分は『青鞜』発刊に踏み切れなかった」と語る人物です。舞台を観ながらわたしはこの人が主役ではないかと思ったくらいです。
もちろんそのほかの人物も個性的。「紅吉」は「天才少女」とうたわれた画家で長沼智恵子の有名な創刊号表紙の後、これまた有名な「太陽と壺」の表紙絵を描くのですが、らいてうに「恋」をし(これが本気の「同性愛」だったかについては異論あり)、らいてうが奥村博と「一目で恋に落ちる」と嫉妬に駆られてリストカットまでするのですが、その後富本憲吉と結婚して自らは絵を描かなくなくなり『青鞜』から退場した後、最後の場面に突然再登場するのです
伊藤野枝は『青鞜』最年少組の一人なのに(初々しい少女ぶりがよく出ています)、最後は『青鞜』の編集責任者になり、しかもらいてうに「自分の全責任でやる」と宣言するのに2番目の子を妊娠して故郷へ帰ってしまうのですが、そのわるびれない「さようなら」のせりふは、その後彼女が『青鞜』を捨てて大杉栄のもとに奔り、無政府主義者として活動、関東大震災で大杉とともに虐殺されるいきさつを知っているわたしたちにとってははなはだ暗示的です。野枝は1915年出産後帰京して1916年2月『青鞜』最後の号を出したあと、そのすべてを放棄するのです。らいてうがその結末に不本意な思いを持たなかったといえばウソですが、そのすべてを受け入れ、自己の新たな再生に向かって歩き出すことが終幕の舞台に唯一人立ち尽くすシーンで暗示されます。
では山田わかは?彼女の人物造形にもわたしは笑ってしまい、なぜこの芝居の登場人物に彼女が選ばれたのかを考えてしまいました。アメリカで娼婦に売られながらそこからの脱出を助けた山田嘉吉と結婚し、海外の女性運動などをつたえる役割をはたした彼女が、戦時中国民精神総動員運動や愛国婦人会に参加したいきさつが、これも暗示的に日の丸の小旗で表現されます。

こうしてみてくると、『青鞜』で交錯した6人の女性たちのそれぞれの運命が気になります。主人公のらいてうは野枝に『青鞜』を譲り渡した(わたしに言わせると野枝が“略奪”したのですが)あと、二児の母となり、母性保護論争を経て新婦人協会を設立、女性の政治活動を禁止した治安警察法の一部改正を実現、その後「協同自治社会」を夢みて居住地成城で消費組合運動を起こしますが、やがて日本の総力戦体制の中で動揺、かつての同志市川房枝が「涙を呑んで」国策協力に踏み出したときも迷いながら最後はそこからも逃れて茨城県に「早すぎる疎開」をして沈黙するのですが、その「戦争体験」の検証は今新資料を含めて発掘されつつあります。しかし、『青鞜』の時代にらいてうは自分の行く道を予見することはできなかった。いや、伊藤野枝が「さようなら」といったとき、数年後に虐殺される運命を知るはずはない。岩野清が新婦人協会に参加して論陣を張りながら1920年乳飲み子を遺して急逝することも、「紅吉」の富本一技が戦時中ひそかに共産党員を支援、治安維持法違反で検挙されることも予測されてはいなかっただろう。保持研が夫の愛人の子を育てて生き、1957年にひっそりと世を去るいきさつも―。つまりここに登場する人々は、だれも「何も知らなかった」。しかし彼女たちは「予定調和的な生き方」を拒否し、時代の空気を読まず(読めず、ではない)、「行きつくところまで行ってみよう」と走りぬけていったのです。その歩みからわたしたちが何を受け継ぐか、永井さんが問いかけるテーマは重い。しかし、だから登場人物に共感しながら一緒になって泣いたり笑ったりすることができるお芝居なのだと思いました。
最後に唯一登場する男性奥村博について一言。昔宮本研の名作とうたわれた「ブルーストッキングの女たち」にも奥村博が登場しますが、それはらいてうの後ろからついていくような風情の「頼りない男」みたいでした。二兎社の奥村は、らいてうに無理難題を吹きかけられても「あなたが希望するならどうぞ」とすっぱりきっぱり。つまりそれぞれが自分のしたいことをやりましょう、という精神がよく出ていたと思います。しかも彼は、智恵子や一技が去った後、『青鞜』の表紙絵を一番たくさん描いた画家としてらいてうを支援し続けた人なのです。さわやかすぎてちょっと実像と合わないような印象もありますが、これこそ「新しい女を愛した新しい男」といえるのではないか、と。

以上、いくらか駆け足で進む芝居なので、わたしが余計な解説を付け加えました。でも、こんな歴史的背景を知らなくてもだいじょうぶ。二兎社初参加も多い役者さんたちのはつらつとした舞台が楽しめます。チケットはまだ買えるらしいが、二兎社は売り切れることも多いから要注意。1月8日にはまつもと市民芸術館公演もありますよ。二兎社チラシ裏

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