やまんば日記 「母の『被害』に想像力を」―「女性シェルターネット声明」追伸 

昨日は疲れていたので、解説抜きで「女性シェルターネット声明」を載せてしまいました。2月9日付のブログを読んでくだされば理解してもらえるかも。そこへ15日の朝日新聞「声」欄に、同紙「天声人語」(2月11日付)が「心愛さん」事件の母親のことを「矛先が自分にむかわぬように」娘への暴力を黙認したのは「信じがたい保身」と非難したことにたいし、「絶句した」という異議申し立ての投稿があったのを読みました。投稿者の若い女性は「母の『被害』に想像力を」と題し、「私も実の親から虐待を受けた」ことを明かしたうえで「それゆえ、夫の暴力が妻にどれほどの恐怖をもたらしたか、その本質を想像できる」と書いています。「わが子の命を守れなかった母親にも責任はある」けれど、「その母親自身も夫から暴力を受けた被害者なのだ」と。「暴力をなくすためにまずすべきこと、それは、被害者への想像力を働かせることだと思う」と投書はむすばれていました。

わたしは、親からの暴力もDVも経験したことはありません。愛されて育ち、ケンカしたことはあってもお互いを認め合ってきたと思っています。それでも心愛さんのいたみとともに、母親が受けた暴力と恐怖を「想像する」ことはできます。歴史を学んでいると、自分が生まれていなかった時代、自分が暮らしていない地域で何があったか、その真実は何かを「想像する」ことなしにその時代や地域を理解することはできない。その「想像力」を持たない人たちが「日本は戦争でいいこともした」とか「慰安婦問題は解決済み」とか言い放つのです。

今わたしは、アジアの人びととへの加害国日本の人びとがこうむった惨憺たる[戦争体験]を、「被害意識」だけでなく、しかし「被害ばかりうったえて加害の事実に触れない」と切り捨てるのではなく、どう歴史認識として普遍化できるかという論文を書こうとして、まだ一歩も前に進めず「発狂寸前」状態なのですが、そこでも「想像力」が一つのテーマです。この方が、ご自身も親からの暴力を受けたという体験をもちながら、それを「想像力」という言葉で普遍化したのは卓見だと思う。「天声人語」子も、「酷い母親」と非難した著名教育評論家も、この問いに答えてほしい。

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「全国女性シェルターネット」が声明―「心愛」さんの事件をめぐって

2月13日に、以下の声明が発表されました。全文紹介します。

    2019年2月13日 NPO法人 全国女性シェルターネット声明
全国女性シェルターネットは、1998年、サポートシェルター等の運営を活動の柱とするDV被害当事者の支援に関わる民間団体の全国ネットワークとして設立されました。
現在67団体がネットワークをつないでいます。
団体設立当初より、年1回の全国シンポジウムを開催し、「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護等に関する法律」の制定および3次にわたる法改正と関連諸法の運用改善に取り組んでまいりました。
女性と子どもに対するあらゆる暴力の根絶を目指す立場から、千葉県野田市の少女が虐待死させられた事件について、以下の通り表明いたします。

一、この事件は典型的なDV犯罪です。
DVという暴力支配のある家庭では、直接・間接を問わず、家族の構成員すべてが暴力支配にさらされます。
とくに、子どもの被害影響には深刻なものがあります。
「DV家庭には虐待あり、虐待の陰にはDVあり」。
DVと虐待をひとつながりのものととらえ、女性と子どもを連動して守る支援システムが必要です。

一、DV被害の渦中にある当事者が、どのような心身の状況にあるかを理解する必要があります。
DV被害は、別居や離婚など、支配の関係が変化するときに、最も過酷で危険な状況になることが知られています。
容疑者と妻は、一度離婚した後、再婚しています。以前にも増して、DV支配が過酷になっていたことが容易に推察されます。
DV加害者は、妻が最も大切にする子どもを痛めつけることで、支配と拘束を強めていきます。こうして、妻は子どもの虐待を止めるどころか、加害者の手足となって子どもを監視せざるを
得ない状況におかれるのです。
母親なのだから命に代えても子どもを守るべきだという神話は通用しません。
暴力支配下にある母親が子どもを守ることは至難の業なのです。

一、糸満市、野田市の関係機関は、DV虐待事案としての緊急対応を含む連携をとるべきでした。
糸満市と野田市双方の関係機関、学校、教育委員会、児童相談所、警察、市役所、医療機関等は、DV被害に気がついていたにも関わらず、それぞれの立場からばらばらの対応をしたことによって、母親と子ども双方の支援を実現することができませんでした。
連携の欠如が、子どもの命を奪ったのです。これらの機関が、必死に助けを求める子どもや女性の声を封じてしまいました。
その責任は重大です。
暴力の現場から、まず、被害当事者を安全な場所に保護することが何をさておいても命を守るための優先課題です。
親族からの訴えがあったとき、糸満市はDV被害者としての母親に対して、迅速に支援を開始すべきでした。
同時に、子どもたちの安全を確保すべきだったのです。
国は、DV虐待事案への連携対応マニュアルを作成し、周知・徹底するとともに、継続的な職員研修を実施する義務があります。

一、少女の母親は、まず、保護されるべきDV被害当事者であり、決して逮捕されるべき容疑者などではありません。
加害者による全人格的な支配の下で服従するしかなかった被害者が、一方的に批難されることがあってはなりません。

一、私たちは、今こそ国が、DV・虐待の根絶に向けて、DVと虐待を一体のものとして対応する支援システムの整備と、DV防止法の改正を含む抜本的な制度改善への着手を強く求めます。

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「佐藤さんとサンくん」を3回も観たのに「わからないから寄り添う」ことを忘れていた…。

NHKテレビで、心に傷を抱くベトナム難民の「サンくん」を「わからないから、寄り添うしかない」と寄り添い続けて佐藤さんに感動し、会いに行きたいと思ったくらいなのに、わたしはその気持ちを忘れていたのでしょうか。

ずっと一人暮らしで、何年も前から「足が痛い」とほとんど歩かなくなった姉は、わたしが「足を動かさないと歩けなくなるよ」と言い続け、お医者さんからも「運動しなさい」と言われていたのに、昨年夏の猛暑で体調を崩して以来身体状況が急速に悪化、入院を繰り返すようになり、そのたびに歩く力が落ちて、今は車いす生活になりました。衆目のみるところ、もう一人暮らしは難しいのではないかという判断なのですが、姉は「自宅で暮らしたい」というのです。「少しでも歩けないとそれは無理じゃない」というと、「歩けるようにする」というのですが、「来月には」とか「来週までに」歩けるようにするというけれど、それは無理というものです。

今一時お世話になっているショートステイは「自立支援」施設なので、「帰れるようになるまで」と一日延ばしで預かってくれるのですが、それも限度が来ているのではないか。わたしが心配していることを察した姉は、わたしにむかって「一人で暮らせるようにする」と宣言、わたしの言うことを受け付けなくなりました。おそらく姉は自分でも「願望」が現実にはそうならないことを承知のうえで「あすなろ」のように「明日になれば」と言い続けているのでしょう。それを「できない」という目で見ている(と思った)妹に反発しているのだと思う。時にはケンカ腰になる姉をどうしたらいいか、わからなくなってみんなに「SOS」を発して回りました。そして気がついたのです。

「サンくん」の番組を観た時にはあんなに感動したのに、わたしは「わからなくなった」姉にほんとうに「寄り添って」いるか、と。じつはわたしも昨年インフルエンザを経験して以来体力が落ち、「踵骨棘(かかとの骨が変形しトゲみたいに出っぱるので痛くなる―老化が原因の一つだとのこと)」の後遺症もあるらしく、かなり靴をえらばないと足が痛くなったりよろめいたりするのです。毎日10分でも体操をし、足のマッサージもし、都営地下鉄の深い階段を上る元気はないがエスカレーターを(やめろと言われそうですが)歩いて上り下りしたり、週1回ヨガに行ったり(この時間が確保できないのが悩み)して、わたしなりに「たたかって」いるつもりなのですが、姉にはもうそういう力もないのです。でも、がんばってほしい。この間は病院で車いすから降りてシルバーカートを押して歩いてごらんと言いました。掛け声をかけながら3メートルほど歩いた姉に「歩けるじゃん」と言いながら涙が出そうになりました。

そんなとき、親しい方にご自分も「サンくん」を観たと言われ、「佐藤さんの『わからないから寄り添う』という距離感がいいわね」と言われてハタと気がついたのです。あの番組を観たときは「わかるはずだと思うことの傲慢さ」を学んだはずなのに、実際にせっぱつまった場面では忘れたのだ、と。はずかしいがあえてここに書くことで忘れないようにします。そういいながら原稿書きで夜中まで夜なべを繰り返し、らいてうの家の太陽光発電問題で上田へ「ひとっ走り」行かねばならぬ。自分が転ばないようにがんばらなくっちゃ。

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2019らいてう講座(東京)『らいてう「平和の夢」の100年』は盛況でした。

年末年始を挟んで七転八倒していた「2月9日  らいてう講座」を、ともかく終えました。やたらに資料と写真を並べたパワーポイントとレジュメ3ページ&資料3ページ、当日朝思い立ってもう2ページ分自分でコピーして「何人来るかなあ」と心配しながら会場へ。大雪の予報は外れましたがモーレツな寒さで降った雨が凍りつきそう。それなのに会場には次々と来場者があり、ほぼ席が埋まるという盛況に思わず手を合わせたくなりました。京都から新幹線で駆けつけて来てくれた人、高校の同期生、何年ぶりかで会う友人、6月に行く約束をしている入間市の母親連絡会からも、動くかどうか心配だった北陸新幹線で上田からも、そしておどろいたことに、ブログでしか応答したことがなかった方が「僕ですが」と見えてくださったのには恐懼感激してしまった…。2月末から田端文士村記念館で開催される文士村ゆかりの作家たちの「恋愛物語」展に「らいてう×博史」も入れるからと、担当の学芸員さんが全員に配布するチラシを持ってきてくださり、もちこんだパソコン(わたしのじゃないですが)と施設のプロジェクターの接続がうまくいかず、あきらめかけていたらその方が手助けしてくれて無事作動、という一幕もあって、無事開会しました。

事前に「持ち時間は1時間10分」と言い聞かせて練習もしておいたのですが、始まってしまうともうレジュメも資料もほったらかし。あっという間に時間が経ち、結局一番肝心の「核兵器禁止条約と女性がつくる平和世界」の部分が時間切れという失態になって、意気消沈しました。パートⅡでらいてう令孫奥村直史さんと対談するはずでしたがその時間もなくなり、奥村さんに30分ほど話していただいたら会場質問の時間もなくなって、話したそうにしている方もいたのに、と慙愧の念に堪えませんでした。雪はやんだけれど帰りが心配なのであまり時間延長できなかったのです。しかし、『らいてう戦後日記』の公開を了承してくださったご遺族の立場から、らいてうの平和思想の根底に、彼女の「からだ=身体」に対する独自な発想があること、戦後日本国憲法9条に出会って「これこそ理想」と思うまで戦中戦後沈黙していたらいてうが、最初に書いた文章の一つが「神の分けみ霊」としての自己認識という発言であったことの意味を問い、らいてうの宗教的精神とそれを支える「身体観」をとりあげて話されたのは、さすがだと思いました。

というのは、公開した戦後日記のなかには大本教や三五教といった神道への関心が書き込まれ、自分自身や奥村家の「祖霊」をまつるという記述もあり、奥村さんご自身が子どものころ祖母といっしょに暮らしていた時も神棚に手を合わせ、祝詞をあげていた祖母の姿を記憶しているということをどう理解するかに関わるテーマだったからです。奥村さんは「それは特定の宗教を信じるというのではない」と言い、らいてう自身自分は「唯心論」と言っていたという思い出も併せて、彼女の「宗教的世界」を戦後の熱烈な平和運動への参加と切り離して捉えることはできないのではないかと発言され、わたしも納得できるご意見でした。

神道というと日本ではすぐに「国家神道」―天皇制を支え、今も「英霊を祭る」として戦争賛美の姿勢をとる靖国神社を連想するのですが、らいてうにとって「神」とは自己そのものであり、それはすべての自然のうちに神が宿るというアニミズムにつらなる自然観に裏打ちされていると思うからです。時間がなくて議論はできませんでしたが、終わってから「今までと違うらいてうを見つけたような気がする」と言って下さった方もあり、ほっとしました。さすがにくたびれ、じつはその夜銀座で会合もあったのですが力尽きて帰宅することにしました。吉祥寺駅で駅ビルの本屋さんに寄ったら『原初生命体としての人間』という文庫本が目に入り、それは「野口体操」で知られる野口三千三の著書でした。「野口体操」という名称は聞いたことがありますが内容は知りませんでした。もう本は買わないと言いながら「文庫本くらいならいいか」と買ってしまい、奥村さんに報告したら「あなたは初めて知ったのですか。僕は30年来野口体操に参加しています」とのお返事がきてぎゃふん。ただし奥村さんに言わせると「野口体操とらいてうは直接の接点はないと思う」とのこと。しかし野口氏は「生命の発生の最初の姿を、身体論の発端としており、もし、らいてうが野口を知ったら、喜んだだろうとは思います」というご意見でした。「何時か、らいてうの家で野口体操をやってみてもいいですね」ですって。奥村直史さんはただ「らいてうのお孫さん」というだけじゃないのだと恐れ入りました。本を読んだら感想を書きたい。

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会場風景その1

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会場風景2

これでは講座の報告にならないかしら。見えなかった方のためにわたしの長ったらしいレジュメを以下に転記します。読まなくてもいいよ。全部話せなかったのは、思い出しても恥ずかしい。以下レジュメです。

平塚らいてう「戦後日記」公開記念イベントPARTⅠ レジュメ 2019/02/09 於東京

平塚らいてう「平和の夢」の100年(1919-2019)―女性がつくる核も戦争もない世界―

平塚らいてう「平和の夢」の100年―「戦後日記」公開に寄せて    米田佐代子

はじめに

新年早々、「らいてうの肉筆日記」デジタル公開というニュースがメディアに紹介されました。それは1953年から58年にかけて断続的に記されたものですが、日記をこまめに書くことがあまりなかったらいてうとしては異例ともいえる継続性をもち、普通の小型大学ノートにびっしりと書き込んであります。この時期は、1950年に単独講和に反対し「基地も軍隊もない日本を」と呼びかけて以来国際的な平和運動に加わって行く時期に当たり、婦人団体連合会の初代会長、国際民主婦人連盟の副会長などを引き受けるほか、世界連邦運動や世界平和アピール7人委員会にも参加し、文字どおり「毎日平和平和」と忙しかった時期です。

自伝『元始、女性は太陽であった』の戦後編は、らいてう没後に小林登美枝さんが編集して完成したものですが、この日記がかなり使われていることがわかりました。しかし、自伝に使われなかった部分を含めて日記と照らし合わせてみると、1950年代のらいてうが、ただ組織的な平和運動に埋没したのではなく、独自な平和思想のもとに信念を貫こうとしていたことがうかがわれ、らいてうの戦後史を理解するうえで貴重な資料であると言えるように思います。それは、らいてうが戦後俄かに「平和」を意識するようになったのではなく、じつは第一次世界大戦(1914-8)の時期に2児の母となったらいてうが、自分自身の体験と戦争の惨禍をふまえて「いのちを産む性」としての女性が求める「平和」について考えるようになったことが起点であり、さらにさかのぼれば若き日に禅によって見性し、「いのちの自然」とその「無限生成」を自覚したことが原点であるといえるのではないか、それは戦後の平和運動のなかでも変わらずに連続していたのではないか、とおもわれます。

この日記の解読は今後の課題ですが、こうした意味で日記を多くの方々に読んでいただき、らいてう研究とともに現代世界が直面している「平和構築」の問題を考えるための議論を起こす一歩にしたいと考えて公開しました。2019年は第一次大戦終結後女性の権利と平和を求める国際世論のなか、新婦人協会が活動を始めてから100年です。ここでは『らいてうの平和』100年のあゆみをふりかえりながら、公開された日記を手掛かりに、いまわたしたちはどういう「平和」を求めていくのかを考えたいと思います。戦後湯川秀樹の「核なき世界」の訴えに共鳴した「らいてうの夢」は、21世紀の今、国連での「核兵器禁止条約」採択(2017)となって大きく前進しています。日本政府がこの条約に反対して批准を拒んでいるのは、まことに「時代遅れ」です。日記のデジタル公開を機会に、らいてうが描いた「平和の夢」100年のあゆみをふりかえり、その「こころざし」を受け継ぐ一歩にしたいと思います。

Ⅰ 第一次世界大戦後の国際的平和主義の思潮とらいてう

1)『青鞜』終焉後、出産から母性保護論争へ―単に「女性の経済的自立」と「母性保護=子育て」の対立ではない「女性がつくる世界構想」論争。

2)国際連盟の発足と国際的な女性の平和運動―エレン・ケイや1915年創立(初代会長ジェーン・アダムズ)の婦人国際自由平和連盟(WILPF)の平和運動及び成瀬仁蔵らによる「平和婦人会」創設の再評価

3)「女性の文化としての平和」の発見―らいてう個人の署名による「新婦人協会の創立に就いて」(1919)、および新婦人協会の思い出を語った平塚らいてうインタビューテープ(1962)。新婦人協会の「婦人参政権請願書」における「(女性に参政権を付与する意義として)戦争を防止し、世界平和を維持するため」。「世界民」思想へ(1921)。

4)「いのち」の発見―いのちを産む性」としての女性が新しい社会をつくるというらいてうの立場の確立。「社会改造に対する婦人の使命」(1920)『婦人と子供の権利』(1919)。

5)女性が担う「協同自治」の「相互扶助社会」の実践としての消費組合「我等の家」

Ⅱ 「戦争の時代」とらいてう

1)「国境を越える平和」の陥穽―「満州事変」(1931)から「国家総動員法」(1938)へ。

2)「迷いともがきの10年」から「緊急避難」としての「疎開」(1942)へ。

3)「戦時活動」(市川房枝との接点)から「戦争体験」(疎開、食糧難、息子の兵役、「孫」の誕生、空襲による曙町の実家焼失等)へ。

Ⅲ 戦後「沈黙」から「平和」の再発見へ

1)戦後帰京したのは1947年だった―「これからは平和」の模索

2)「ゴマじるこの平和」―「とと姉ちゃん」にみるらいてうの「平和がいちばん」(1949)」

3)「世界連邦」思想への共鳴―リーブス、マイヤー、デービスの3人の著書から

Ⅳ 『戦後日記』(1953-58)を読み解く―1950年代のらいてう発言と併せて

1) 国際民婦連などを通じて国際的国内的な平和活動への参加と、「対立ではなく、婦人のねがいをひとつに」という強い意志の表明。

2) 「戦争責任の自覚」―中国から魯迅夫人許広平来日(1956)の記述(1936年奥村博史が上海訪問時に魯迅の死に遭遇して描いた油彩画『魯迅遺像』をめぐるいきさつ(『紀要』2号2009の米田論文参照)。博史が中国の民衆を愛し、魅力を感じたことがらいてうの中国観にも影響を与えたのではないか。1950年代を通じて「中國に詫びなければならない」「中國と講和を」「戦争を阻止できなかったことを愧じる」という発言の背景。

3) 「世界連邦」「世界平和アピール七人委員会」の活動参加と、1954年の「ビキニ事件」をきっかけとする「原水爆禁止」への意志。特に湯川秀樹らによるパグウォッシュ会議をはじめとする国際的核兵器禁止運動への共鳴と支援。2017年国連で採択された「核兵器禁止条約」のさきがけともいうべき行動(『紀要』8号2010の米田論文参照)。

4) 一方で、これまでほとんど語られてこなかったらいてうの宗教的世界とのつながりを推測させる記述。母光沢(つや)帰幽(1954)にあたって葬儀を神式で行う。大本教、ユダヤ教、三五(あなない)教などへの関心も。この点は5)ともかかわり、らいてうの平和思想とのつながりを考えさせられる。

5) 「旅」と「自然」への渇望―らいてうが若くして禅に関心を持ち「見性(けんしょう)」したことは知られているが、その根底に森や海や川にも生命(神)が宿るという日本古来の自然信仰としてのアニミズムとも言える「自然と人間の一体化」「いのちの無限生成」といった人間観があったことを推察させる記述多数。らいてうは、自分の生き方に行き詰ったとき、「自然」に還ることでみずからの再生を図ったともいえる(「塩原事件」の時は信州に、『青鞜』末期には千葉県御宿に、新婦人協会がゆきづまった時は栃木県佐久山に、戦時下には茨城県戸田井に。それは、国際的な平和運動に熱中した戦後も続いていることがわかる。日記には1957年に信州あずまや高原(現在らいてうの家が建つ)の土地を「国際平和村」の呼び掛けに応じて買い求めたいきさつも書かれている(『紀要』3号2010年刊の米田論文、『紀要』11号2018年刊の奥村博史・折井美耶子論文参照)。

6) らいてうと湯川秀樹のむすびつき―この日記に湯川秀樹の核実験停止、核なき世界を求める運動への共鳴が、「新聞切抜き」の貼付という形で示されていることは重要。湯川とは世界平和アピール7人委員会で共同の活動参加、夫妻とも「世界連邦運動」の熱心な提唱者であった。1971年らいてう死去に際しては湯川夫妻が京都から参列している。

Ⅴ 「核時代」における「世界民」(らいてう)と「運命の連帯」(湯川)提唱の意義

1)らいてうは1921年に国家が強大な軍備を持つことを批判して「そのような国家は人民の敵」と呼び自らを「世界民」と宣言した。湯川は日本の原爆経験について、「原子爆弾の出現が地球上の人びとに『運命の連帯』を自覚させた」とし、「地球の人類全体がひとつの生物体のように互いに他の運命に敏感になり、互いに助け合おうとする方向」を示唆した。2017年の核兵器禁止条約国連採択は、こうした「予言」が現実になる可能性を提示したという意義をもつ。核兵器を「絶対悪」とする思想は、日本国憲法第九条の「非武装・非交戦」の真意―「すべての戦争の違法化」につらなる。

2)1928年の「パリ不戦条約」が[戦争違法化]の道を開き、それが第二次世界大戦後国連憲章に反映、日本国憲法もその流れの中から生まれた。しかし、国連憲章は個別国家の自衛権(集団的自衛権も)を容認する立場をとり、「すべての戦争違法化」を徹底させていない。「自衛権」を国家主権とみる考え、「自衛権」が個人の権利を制約し得るという考え方があるが、らいてうは武力行使に関しては「国家主権は制限されるべき」と考えていたと思われる(イタリア・フランス憲法の<平和のための主権の制限>規定に言及)。

3)「女性差別撤廃条約」(1979)、国連安保理決議1325号(2000)がしめす「平和構築におけるジェンダー主流化」の流れ。「安全な戦争」のためではなく『戦争という選択肢そのものを世界から根絶するために』女性を紛争解決のすべてのレベルの意思決定に参加させる必要がある」(元国連安保理議長アンワラル・チャウドリー発言)。

4)「国家主権の制限」としての「自衛戦争」の否定―「非戦・非武装・非核の世界」をめざす「9条地球憲章」運動―「人類最大の夢 それは世界から戦争をなくすことです

むすび―核時代を超え、「らいてうのこころざし」を受け継ぐ日本の女性運動の役割

 

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「心愛さん」事件のつらさ―ハムレットではないが「逃げるか、逃げないか」ではなく「逃げられるか、逃げられないか」の問題として 

10歳の少女が「親の虐待」で死に至らしめられ、父親と母親が「傷害」容疑で逮捕されたこの事件ほど、近頃重苦しい気持ちになったことはありませんでした。児童相談所や教育委員会は何をしていたのか、父親が悪いことはわかっているが、母親まで夫に逆らうことが出来なかったと言って娘を「見殺し」にしたのではないか、なぜ逃げ出して助けを求めなかったのか…、あまりのいたましさに怒る人々の声があふれています。ネットには「オレんちへ逃げてきてくれれば、どんなにしても守ってやったのに」という意見もありました。

いくつかの報道番組もみましたが、感想は2つあります。一つは、この国では未だに「家族制度」の呪縛があり、それは明治民法の家制度とは違って来ていますがそれでも血縁主義の名のもとに「親」の絶対的権力を認めてしまうのだということです。「親に強く言われて」秘密を守ると約束したはずのアンケートを渡してしまうというのは、ありえないと思いますが、これが「赤の他人」だったらどんなに言われてもわたしはしなかったでしょう。「親の言うことだから」という意識があったのではないか。児相や教委に「子どもの権利」を第一にするという認識がなかったから「親」の元へ帰してしまったり、「親」の言いなりにアンケートを渡してしまったりしたのだと思う。それが許せない。

もう一つは、「逃げればよかったのに」という論評についての意見です。特に母親が非難されています。「自分が暴力を振るわれるから子どもへの虐待に手を貸した」という報道があり、「母親が子供を連れて逃げるべきなのに夫の言いなりになった」という非難もあります。教育評論家の尾木直樹氏がブログで「酷い母親」と非難したという報道も読みました。それは事実でしょうか。

こうした報道に対して「DVを受けたものの状態を知らない」という抗議の声があります。「DVを受け続ければ、体力も精神力も尽き、マインドコントロールされて逃げるなどということは考えられなくなる―逃げることさえできなくなる」という意見です。その母親を「共犯」として逮捕したこと自体が現実を見誤っているという批判もあります。それは「子どもへの虐待」を不問に付す間違った意見でしょうか。「子どもを見殺しにしたというなら児相や教委も逮捕すべきだ」という意見もあります。一方で児相の職員が大幅に不足し、「どんなに一生懸命やっても一人ひとりを把握できない状況」を指摘する人もいます。

問題は「逃げるか、逃げないか」ではなくて「逃げられるか、逃げられないか」なのだという意見も読みました。今のわたしはこの考えに近い。父親(夫)のDVにたいし、母親(妻)もそして子どもも「逃げない」のではなく「逃げられない」のだということ、逃げられるようにするためのセーフティネットがなければ逃げられないのだと思う。どこも、だれもこの親子を守ってやれなかったのだということをその場に居合わせたものだけでなく、そういう社会システムを許してきてしまったわたしたちの「責任」の問題としてとらえるべきではないか。では、どうするか。もちろん児相であれ、警察であれ、学校であれ、公的機関は親からの、あるいは夫からの(妻からの)暴力から被害者を助け出すことを第一の課題とすべきです。そのための人員配置も必要です。でもそれを待っていたらこういう事態はこれからも起るにちがいない。今すぐどうするか。やっぱり被害者がまず「逃げられる」ようにする途をつくることだと思う。子どもが「助けて」と言ったとき何をおいてもその声にこたえてやれるためのシェルターや逃げ出した時のサポート体制を用意する。こっそり逃げ出せるようにサポートする。そういう安心のできる地域的つながりをつくる…。

そしてあえて言いたい。被害を受ける側が「マインドコントロー」されてしまう前に「逃げたい」という気持ちを持てるようにしなくては、という気がします。それは「人権教育」以外にない。子どもたちに自分は掛け替えのない存在であり、人にいじめられたり虐待されていい存在ではない、という「自尊」意識を育てておく必要があると思う。それは学校でも地域でも、親に愛されなくても、自分はだれかに「愛されている」という実感があって初めて育つ感情です。そのメッセージを子どもが受けとれるかどうか、その時当事者は「逃げたい」と思い、逃げられるようにするにはどうしたらいいか考えはじめると思うのです。おとなも同じだと思います。「逃げられるか、逃げられないか」という問いは、わたしたち自身が当事者を「見殺し」にしないために何をすることができるかという課題を提起していると思う。ここまで書いてきて、やはり「自分は何ができるか?」と自問しています。未完…。

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「子どもを社会の真ん中に」が、みかづき子ども食堂のモットーです。

 

みかづき子ども食堂は、2月はいつもの第1と第3水曜日に開くことになりました。ということは、先週やったばかりなのに続けて2月6日もやるのです。おまけに今日は雪になるかもしれないという冷たい雨です。これでは子ども連れで来るのも大変だろうなあと思いつつ、じつは今朝つれあいサマが伊豆に家出(仕事用のパソコンも史料も、全部置いてある)したので、「そうだ、今日はみかづき子ども食堂で夕飯を食べさせてもらおう」とダウンジャケットを着こんで出かけました。

寒いから来訪者は少ないかと思ったら、とんでもない。6時過ぎに行ったら「今ねえ、急にドドっと人が来ちゃったのよ。混んでるからちょっと待ってくれる?」ですって。きっと寒いからトロトロチーズのあったかいドリアと具だくさんのスープに惹かれてやってきたのかも。「じゃあ、遠慮する」と言ったら「ダメダメ。上って待っていて」と「逃がさないゾ」と言わんばかり。「わかった。いっぺん家に帰って出直してききます」と徒歩3分の我が家に戻り、7時ごろ出直しました。まだたくさん子どもも大人もいましたがいくらかすきまができていて、「はいどうぞ」と熱々のお夕飯にありついた次第です。デザートは予定変更で煮リンゴとクッキーつきのアイスクリーム。肝心の写真を撮り忘れて完食してしまいました。

玄関の靴の山。雨なので長靴は外に出してあります。

もうお皿はからっぽ

大人も子どももテーブルを囲んで

ここのモットーは、毎回チラシに書いてあるのですが、「子どもを社会の真ん中に」というのです。この言葉が気に入っています。子どもは小さいから隅っこにいていいのではなく、いつも「真ん中」にいなくてはいけない。子どもをかこむのは親や家族だけでなく、保育園や学校の先生も学童保育の指導員も、隣近所のおじさんおばさんも、公園で遊んでいる少し大きくなったお兄さんお姉さんたちも大学生も、児童相談所や役所の職員も、電車で隣の席に乗り合わせたおじいちゃんおばあちゃんも、みんなみんな「子どもを真ん中に」しよう。そうしたら10歳でいのちを断たれた心愛ちゃんのような悲劇を防げたかもしれない。このことについて書きたいことはいっぱいありますが、それは後で。ともかく子ども食堂に敬意と激励を贈りたい。ついでにお腹いっぱいにさせてもらってありがとう。

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「IoT」侵入問題ってなんだ?

わたしのブログを読む方は微々たるもので、大半はわたしの友人たちではないかと思うのですが、時どきまったく未知の方が「読んだ」とコメントを送ってくることがあります。その中にはネトウヨみたいな方もいるのですが、そうではなくて共感できる意見をくださる方がはるかに多く、はげまされることが多々あります。わたしは原則としてコメントは公表せず返信せずという主義ですが、時には個人的にお返事をさしあげることもあります

そのお一人の方がご自身のブログで発信されることばに惹かれるようになりました。出生地や生年も明らかにしておられ、どうやらわたしが最も苦手とする「IT」にくわしいようです。寡黙にして文章は短いところはわたしと対照的で、わたしのやたらに長く「言いわけ」ばかり書いているのとはおおちがい。それなのに、わたしの「らちもない」ブログを「読んだ」という合図を送ってきてくださるので、おそれいっています。しかも必ず鋭い自己省察が含まれているところに惹かれて愛読?しています。

その彼が最近書いた文章を読んでがく然としました。それは「IoT機器に政府が無断侵入?」という趣旨でした。それによると「国内のインターネット上の機器(2億アドレス)に対して国の組織が無差別に侵入テストを行う計画が報じられている」とあり、「IoT機器と報じられているが、実際にはインターネット上のあらゆる機器が対象である」と注があります。「オリンピックを契機にしたサイバー脅威とIoT機器の爆発的な普及に対策を取るのだ」と説明されているそうです。

彼は<多くの指摘があるとおり、これはすでに「調査」などではなく、警官が各戸のドアや窓を開いて周り、鍵がかかっていないと実際に足を踏み入れて帰るのに等しい。私的権利への無神経さ、疑わしい実効性、なりすまし他懸念される問題の多さ。これで「サイバー脅威」を低減できると本当に考えているのか、あるいは他に目的があるのか。いずれにせよ論外でしかない>と言います。引用されている資料を読むと、以下の通り。

「政府がサイバー攻撃対策の一環として、国内のIoT機器に対して、簡単なパスワードを使って無差別侵入を試み、脆弱なパスワードを使っている機器を洗い出してユーザーに注意喚起する――こんな計画が1月25日に報道され物議をかもしている。「セキュリティ対策として評価できる」など前向きにとらえる声がある一方、「事実上の政府による不正アクセスではないか」との批判も起きている。/この計画の詳細は、総務省のニュースリリース内の「資料」としてPDFで公開されており、誰でも確認することができる」

あわててネットで「IoT」って何?と検索してみました。あるわあるわ「国が公然と不正アクセス?」という疑いの声もいっぱい。この調査は、家庭や会社などにあるルーターやウェブカメラなど、インターネットに接続されたIoT機器およそ2億台を対象に無差別に侵入を試みてセキュリティ不十分な機器をみつけ、利用者に注意を促すというものだそうです。 しかし実際には「不正アクセス」と同じことを国がやるというので、ネット上では騒然と疑問。反対の声が上がり、総務省は「説明」を迫られている、というニュースもあります。

そしてこの方は、こう書いています。

「調べてみればこの「調査」を可能とするため、わざわざ昨年3月の国会に関連法案改定が提出され5月に成立、11月には実施組織である情報通信研究機構(NICT)がプレスリリースを出している。…恐るべきことにすでにこの「調査」は「適法」なのだ。」…「どこで私は歯止めをかけるべきだったのか、どこで声を上げることができたのか。立法審議に期待することはすでにできず(国会審議でも何ら問題にならなかった)、審議会や諮問会議の熟議機能は失われて久しい。それぞれの関心領域をつなぎ合わせることで、公共の視線(パブリックビューイング)を絶やさないこと。迂遠とはいえ、そこから始めるしかない。

彼は、その前にも例の政府による「勤労統計」不正調査事件に触れて

「検地刀狩りの例を引くまでもなく、計量・計数こそは権力システムの根幹である。複数人が時間と場所を超えて権力を継続し、正統性を主張する。測り数えること、記録し伝えることなくして、システムを構築し保持することなどできはしない。/勤労統計に大規模な不正が指摘されている。報じられるところによれば、全数を計量すべきところを抽出計量とし、その後の集計においては明らかに誤った計算を行っていた」と指摘、(中略)「誰のためか」「心せねばならぬ。この惨めな体たらく、関わる人々の卑小さ加減に憤り涙している場合ではない。この国の権力システムの根幹が相当の長期にわたり私物化(必ずしも現政権のみを指しているのではない)され、その下で/そこに乗っかって私たちは無自覚にその日々をすでに暮らしてきている、のだ。」と書いておられるところがわたしの共感するところです。さらに「極めて根深いところ。腐り食い荒らされた空洞の底知れない闇を埋める責任は市民たる私の側にある」というくだりも。

かつて戦争へ戦争へと流されて行ったこの国の人びとが、今また「オリンピック成功のために」とか「テロ撲滅のために」という言説に乗せられて、「市民たる個人」を丸裸にして管理しようとする道が開かれつつあるのではないか、それに対抗するのもまた「私たる市民」一人ひとりの責任なのです。「知らなかった」では済まされない。

 

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