「マザーズバンドおれんじ」コンサートに行きました―7月の積み残し その4 

我が家から武蔵野市民文化会館までは歩いて行けます。昨年は改修工事で休館していましたが、座席を減らしてゆったり空間にしたそうで、小ホールのパイプオルガンは「名器」らしく、10数年前退職した時は、ここのパイプオルガンを毎月聴こうと思ったものです。その夢もとっくにおじゃんになりましたが。

7月17日、世の中は3連休でしたがこちらには関係なし。ところが突然、友人から「あなたも知っているMさんが、年に一度そこの大ホールでコンサートをするから聴きに行かない?」と誘われ、普段着のまま出かけました。それが「子育てママの吹奏楽団」というふれこみのバンドだったというわけ。吹奏楽団というと中学高校でやったのがきっかけでのめり込んだ人もいるかも。でも行ってみて驚いた。何しろ総勢数十人?「助っ人」の男性が3人ほどいましたがあとはみんな女性で、年配の方もいましたが若いママとおぼしき方が大勢。定番のフルートやサクソフォン、クラリネットからトランペット、トロンボーン、オーボエなどは言うに及ばず、チューバ、コントラバスからバスーン、そしてパーカッションまで勢ぞろいです。ド迫力の世界でした。

おまけに座席数をへらしたと言っても1300人は入る大ホールがほぼ満杯の盛況。あっちもこっちも子どもがいっぱいで、文字通り「マザースコンサート」です。曲目も「ハリーポッター」や「ライオンキング」などのアレンジを交え、もちろん「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」「メキシコの祭りより カーニヴァル」などもあって、楽しみました。206年発足だそうで、今回が10回目のコンサート。「来年も武蔵野市民文化会館で」とありました。来年ねえ。生きていたら行こうかな。

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マザーズバンドおれんじ のあゆみ

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ポレポレ東中野で映画『きらめく拍手の音』を観ました。―7月の積み残し その3  

 

この忙しいのに、なんで映画など観に行ったのか?7月21日、東中野を通って都心へ出るのに時間があったから、というだけの理由です。70分というのがちょうどよい時間だった。でも、最終日の一回だけの上映に間に合い、見てよかったです。ざわざわする心がほっと休まる気持ちになりました。

これは韓国の若い女性監督イギル・ボラが耳の聴こえない両親と向き合い、彼らの日常生活をありのままにとらえたドキュメンタリー映画です。この映画で、わたしは耳が聴こえるものにとって「拍手」は手を打ち合わせる動作とその音によって表現されるけれど、聴覚障がい者は両手をひらひらさせることで表現するのだと知りました。その「きらめく」手の動きの美しさを味わわせてくれた映画でした。

「どうして両親の映画を撮ったのか」という問いに、娘である監督は「聴こえない両親の世界を見せたいと思ったから」と答えています。ろう者の生活を「音のない世界」と思いこむのはまちがいで、日常生活にはたくさんの生活音があり、彼女の両親も声を発します。その声が美しい、とボラはいうのです。映画では手話が出てきます。手の動きを伝えなければならないので、顔だけクローズアップすることが難しい。そういった苦労を経て映画は、二人の子どもを育て上げ、自分たちの家を建てたいという夢を語り合う両親を、ただ「家族の一員」としてだけでなく、この世に生きる「美しい人」として描き出すのです。ふたりがカラオケで熱唱するシーンも、「ここに家を」と言いながら空き地でナズナを摘む風景も、魅力的でした。

両親が聴覚障がい者である子どものことを「コーダ(CODA―Children Of Def Adultsと」呼ぶこともこの映画で知りました。映画にはボラ監督の弟も登場、早くから障がい者の子だから「よい子」でないといけないような気がしていたという思い出を語ります。ボラもそうだった、と。そこから自由になろうと冒険する子どもを両親は驚きながらも温かく見守る。その中で「両親の美しい世界」を撮るようになったボラもまた美しい。わたしも手をひらひらさせて拍手を送りたくなった映画でした。映画の世界では今、(日本もふくめて)若い女性監督が輩出していますが、その感性を受け止めたい、と思いました。

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「きらめく拍手の音」パンフレットより

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「松川資料」ユネスコ世界記憶遺産登録申請、国内委員会で「推薦せず」

7月23日に、「松川資料を世界記憶遺産に」という講演会に行ったばかりなのに、今日の新聞記事を見てオドロキました。日本ユネスコ国内委員会は28日、「2018年に登録をめざす申請のあった3件(「松川資料」のほか、「伊能忠敬測量記録・地図」と「画家可能辰夫の呼吸平和の提言 フィリピン日本人戦犯赦免に関わる運動記録」)のいずれも選考基準を満たさないと判断、推薦しないことを決定した」というのです(毎日新聞7月29日朝刊)。

記事を読んで初めて知ったのですが、今回の申請は「アジア太平洋地域版」の国内公募によるもので、世界記憶遺産(「世界の記憶」)にはユネスコ本部の認定で「アンネの日記」などが登録されている世界版と、各地域委員会が認定する地域版があるのだそうです。日本で最初に「世界記憶遺産」に登録されたのは筑豊炭鉱の労働のじっさいを描き続けた炭鉱労働者山本作兵衛の絵でした。アジア太平洋地域版には、水平社博物館(奈良県)が申請した部落解放運動の資料が、昨年日本から初めて登録されたということです(日経新聞7月29日付)。国内委員会はどんな審査をしたか公表していませんが、松川事件とその裁判、「全員無罪」をかちとった「松川運動」の記録は「世界の記憶」にとどめる価値があると思います。今回推薦されなかったとしても、再度基準を満たす申請をして国内委員会は認めるようにしてほしい。

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弥生美術館の「恋愛事件簿」展で「赤い糸」を賞味…―7月の積み残し その2 

7月15日、東京本郷の弥生美術館「大正恋愛事件簿」展を観てきました。お知らせしたとおり、マツオヒロミさんの美人画とセットというきらびやかなチラシに、「化石世代」としては「お呼びでないいかも」と言う気持ちもありましたが、らいてうをとりあげるについて、史上有名な「煤煙事件」だけでなく、「茅ヶ崎へ、茅ヶ崎へ」の奥村博史との恋愛を中心に、半世紀にわたる「愛の軌跡」を丁寧に紹介してくれ、なかなかよくできた展示になっていましたので大いに満足、学芸員の方の力量に敬意を表した次第です。その中村さんのお話では、「らいてうの展示を見て、これまで女性解放の闘士というイメージだったのが、声も小さくはにかみやで人前に出るのが苦手(これは奥村直史さんの著書から)だったと知り、そういう人が後世に残る発言をしたと聞いて、驚きと親近感」といった感想や、らいてうの会が協力出品した「私の只ひとりのたいせつな博さま」という書簡の一節に「涙が出そうになった」という声などもあったと教えていただき、協力した甲斐があったと思いました。

他にも目配りのある解説があり、北原白秋の項でも「当時姦通罪は、配偶者のある女性との『不倫』は、夫が訴えれば罪になった(白秋の場合はこのケース)が、夫が『浮気』をしても妻は姦通罪で訴えることができなかった」という当時の女性が無権利だった明治民法も説明されていました。なお、らいてうも「ナマ資料」の迫力があったと思いますが、有名な宮崎白蓮が九州の炭鉱王に無理やり嫁入りさせられた後、宮崎竜介と恋におちて駆け落ちするいきさつの項では。彼女が竜介に送り続けた絵入り封筒の書簡がずらりと並べられて圧巻でした。

ご同行の方と感想を話し合ったのですが、「ここに出てくる人たちって男性も女性も<恋多き人物>で何遍も恋をしたり『浮気』したりした人が多いし、松井須磨子のように自死を遂げた人もいるけど、らいてうと博史は、半世紀にわたって「ただ一人」を愛し続けたという意味でも稀有なカップルだったのね」と一致。それはらいてうもたいしたものだけれど、「新しい女を愛した新しい男」である博史さんの偉大なところだと思っているのですが。

というわけで見た甲斐があり、マツオヒロミさんのイラストは別室でたっぷり楽しめるようになっていて雰囲気も良かった。土曜日の午後でしたが、早めに行ったので割合空いていましたが帰るころには若い女性が続々と詰めかけ、華やかな雰囲気でした。らいてうの家の案内リーフもあっという間になくなったそうで、追加を届けるほど。若世代にらいてうを知っていただく良い機会になったのでは、と意を強くしました。9月24日まで開催。

ついでに宣伝。らいてう令孫奥村直史さんも早やばやと見えたそうですが(奥村家からも博史のデッサンや指環などを出品)、そこで「飛び入りトークイベント」の話が持ち上がり、急きょ以下の通り開催決定したそうです。

http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/event/event.html

「命短し恋せよ乙女」展関連イベントを開催します

従来からのイメージとは異なり、極端に内気だった平塚らいてうと、彼女が生涯を通じて深く愛し続けた夫・奥村博史について、二人の孫・奥村直史氏が写真を紹介しながらお話しくださいます。
皆様のご参加をお待ちしております。

【日時】8月26日(土)午後5時半~ (約一時間)

【会場】弥生美術館2F展示室内
【定員】80名(先着順)
【料金】一般1500円、学生1400円(入館料込み)
【申込方法】電子メールor往復はがきによる事前予約制

◆メールの場合は件名に「らいてうイベント」と記入し
①氏名(フリガナも付記) ②住所 ③日中連絡がつく電話番号④参加人数を明記し、下記アドレスまでお送りください。

museum. event2★gmail.com ※★を@に変えてください。

当方より「参加券」をメールで送信いたします。
「参加券メール」が届きましたらお申込み確定となります。
※6日以内にメールや返信が届かない場合は、03-3812-0012  弥生美術館までお電話ください。

 

というわけで満足し、ついでに竹久夢二ゆかりのカフェ「港や(竹久夢二が大正3年(1914)に東京・日本橋に開店した小間物店「港屋絵草紙店」から命名)で、その名も「赤い糸」というロマンチックなドリンクをいただきました。「はちみつ・しょうが・とうがらし」など「乙女のホレ薬」にあやかったそうで、赤い糸唐辛子があしらってあります。「運命の赤い糸」は誰とむすばれているのでしょう?

これを注文するとおみくじも引かせてもらえ、わたしが引いたのは、なんとこの中でも数少ないという森田草平のメッセージでした。これが「赤い糸」だったのかな?「秘密こそローマンスのもと」ですって。わたしのように「やまんば日記」で何でもしゃべってしまう人間には、無理な注文?でもねえ、これでもしゃべらないことがいっぱいあるのですよ。「墓場まで持っていく」かどうかはわかりませんが。みなさまどうぞこの夏は弥生美術館へ。

カフェ港やの「赤い糸」

おみくじの言葉

出典 森田草平

定番 夢二の絵をあしらった珈琲も

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「松川事件」の「諏訪メモ」考―「松川資料のユネスコ世界記憶遺産登録運動」講演会に行きました 

先日、福島大学の「松川資料室」を訪問したとき、この資料をユネスコの世界記憶遺産に登録する運動が始まったことを知り、共感していくばくかのカンパを送りましたが、東京で23日、そのための講演会があると聞いて、猛暑のなか痛む足を引きずって出かけました。会場には松川運動に関する資料も展示されていて、被告とされた方たちの書簡や広津和郎・宇野浩二氏ら文化人の署名など感銘深いものがありました(この文化人の署名のなかに、「黒い雨」で知られる井伏鱒二氏の名前も確認して感無量。わたしの兄が井伏さんに私淑して「かわいがって」頂いた記憶があるからです)が、なんといっても1審2審の死刑を含む有罪判決を覆す決め手になった「諏訪メモ」がコピーですが展示されていたのが印象的でした。

展示風景

講演する鶴見祐策弁護士(元松皮事件弁護団)

「諏訪メモ」というのは、当時の国鉄と東芝松川工場の労働組合員たちが「列車転覆」を「謀議」したという1949年8月15日に、その中心人物とされて死刑判決を受けた佐藤被告が、じつは東芝の団体交渉に出席していたことが記された「日記帳」のことです。書いた主は、当時東芝の工場の事務課長補佐をしていた諏訪親一郎氏。団体交渉の様子を大学ノートに出席者の名前などともに書き込んでいたのです。そこに佐藤氏の名前が明記してありました。じつは、検察はこの検察にとっては不利な証拠を入手しながら意図的に隠していたのです。これをスクープしたのが当時毎日新聞の新人記者。最高裁が弁護団の要請によって「提出命令」を出し、全容が明らかになりました。検察はこの重要資料を隠しつつ、佐藤氏が団体交渉に出席しながら「謀議」にも参加したように見せるため、他の被告の供述を変更させるなどの小細工までしたことがバレ、「結局は検察側主張の命取り」になり、差戻し審で全員無罪になる一歩を築いたのでした(伊部正之『松川裁判から、いま何を学ぶか』岩波書店 2009)。

伊部正之『松川裁判から、いま何を学ぶか』

そこで、わたしはあらぬことを考えました。これは裁判の問題ですが、もしこの「諏訪メモ」の存在が明るみに出たとき、検察側が「これは個人の私的メモで、公文書ではない。書いた本人の思い込みによるものだから信ぴょう性はない」などと主張したらどうなるでしょうか。あるいは最初にこれを押収した検察側が「廃棄」してしまっていたら?そもそもこの資料によればアリバイが明白な「被告」に、その資料を隠して平気で死刑を求刑する検察の「人権感覚」も問題ですが、これは裁判だけの問題ではないという気がします。

今、安倍政権側の閣僚たちが、加計学園問題で安倍総理の意向をタテに「加計学園ありき」で押し通そうとした文書まで出てきているのに、その事実さえ認めないとか、防衛省の「日報問題で「ない」と言われた日報が見つかっても隠ぺいするとか、隠ぺい「共謀」の会議に出席していたことは明白なのに「隠したことはない」とウソをつくとか、「自分の記憶では」というかと思うと「記憶にない」というとか、「事実」「証拠」をあまりにも無視する言動が多すぎるのを見ていると、「諏訪メモ」で事件の虚構性が崩れたことを認めた裁判はまだ「事実」をなかったものにはできなかったのだ、と思ってしまった次第です。

「ウソの上塗り」をした安倍内閣の支持率は下がり続け、仙台市長選挙では、「野党共闘」の女性候郡和子さんが当選して、自公政権側は「都議選に続く大型地方選で敗退」しました。24・25日は安倍首相が出席して「閉会中審査」です。でも支持率低下で「安倍総裁三選」も揺れ、今「改憲」は出せないという声が与党内にも声が出ているというのに、「20年までに改憲」と言い張る安倍首相は生き延びられるだろうか?いや、こちらから引導を渡さねばならないと思うのですが。

追伸 鶴見弁護士の講演レジュメにあったのですが時間切れで触れられなかった「世界のえん罪事件」のうち「サッコ・ヴァンゼッティ事件」「ローゼンバーグ事件」はいずれも政治的背景があり、これに日本の「大逆事件」を加えると、いずれも死刑宣告された被告を救うことができませんでした。松川事件は20人もの被告全員が無罪を勝ち取った稀有なケースです。だからこそこの運動を「記憶遺産」に、という運動に賛同したい。そして同じ時期の「三大鉄道謀略事件」(下山・松川・三鷹事件)のうち、犯人の特定さえされなかった下山事件を別にして「犯人」扱いされたまま獄死してしまった元死刑囚竹内景助さんの再審請求が始まっていることも忘れないでおこう。ええ?「サッコとヴァンゼッティ」だの「ローゼンバーグ夫妻」だのと、なんだか知らない話がつぎつぎに出てくるって?そういう方のために歴史講座をひらきましょうか…。

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またまた「踵骨棘」その後―「新しい靴」は目下実験中。  

かかとの骨に「トゲ」が出て痛くなるという「病気」(奇病かと思いきや、ありふれた足の故障らしいですが)にとりつかれ、「加齢」と「歩き過ぎ」が原因らしいと聞かされて、「加齢」は止めることができないし、「歩く」ほうもストップできないので、足指体操とクッションの利いた靴に履きかえることで対応することにしました。

その「新しい靴」で1週間、一昨日は朝から夜まで4か所も歩き回り、1万2千歩を越えたのでさすがにくたびれ、とうとう「びっこ」を引いて歩く羽目に。でもフシギなことに、この足の故障は歩き始めが痛く、その時ガマンして歩いているとだんだん痛くなくなるのです。新しい靴はその時クッションが効いていいみたいですが、まだ実験中。ネットには「朝起きたときが痛い」とありましたが、寝起きだけでなく椅子に腰かけていて、さあ歩こうと立ち上がるときの最初の一歩も痛い。そこで身がまえてしまうから足全体に緊張が走り、ふくらはぎやももが痛くなります。

「つえを使ったら」と言われましたが、ただでさえ荷物を持って歩くのに、つえを持つ手がありません。絶対3日でなくすと思う。さすがに電車やバスで「座りたい」と思うようになりましたが、席を譲ってほしそうな顔をするのはハタ迷惑ゆえ、空いていなければ「涼しげな顔」で立っています。でも「見破られて」席を譲られるときもあり、この間は小学校低学年らしい坊やがお母さんに言われたらしく、空いた席に座らず譲ってくれました。「坊やエライね。有難う」と何べんもお礼を言っちゃった。

それなのに、9月初めには「東アジアの歴史認識と平和フォーラム」で、南京に行きます。多分このフォーラムの「ラストツアー」だと思うので。直行便が少ないので行きは上海から高速鉄道で行きます。列車の旅は好きだけれど、スーツケースを持って乗り換えは大変。なるべく小さなバッグで行こう。南京では「南京大虐殺記念館」など見学もしたい。ほんとうは、10月に婦団連主催の「ポルトガルツアー」に申し込もうかと思っていたのですが、それこそ「ハタ迷惑」になりそうだなあ。いやいや第一原稿が書けなければにっちもさっちもいかないじゃないですか。だけど、「来年」というのはもう考えないことにしなくては。長野の高校の同窓会あのお知らせも来ましたが、南京行きと重なって出られない。「来年は行きたい」と書きかけて、「そりゃ分らない」と思い止めました。「残り少ない人生」をどうやって生きるかが問題ですね。原稿に追われっぱなしで終わるのは情けないし、書かねばウラミが残るだろうし…。なかなかサトリはひらけませぬ。

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『ふぇみん』にインタビュー記事―7月の積み残し その1 

7月はあと1週間余り、もう夏休みになりました。もっとも学校も「夏休み削減」の声があるそうで、働く人にとっては有給休暇もない人がいっぱい。「企業が最高利益を上げているのに、賃金が上がらない」ことを怒る声がありましたが、それどころか今や「労働組合(「連合」といいます)の幹部が「残業セロ法案」に賛成すると言いだし、労働者が「連合」に「反対デモ」をかけるという前代未聞の事態に。1930年代の後半に「新体制運動」の掛け声のもと、『バスに乗り遅れるな』とばかり政党も労働組合も体制にすり寄って行った歴史を繰り返すのでしょうか。当時と違うところは、その時「治安維持法」で弾圧され、殺されたり獄中に閉じ込められていた共産党が、今「都議選でも存在感」と言われるような力を発揮していることですが、それでも「新たな治安維持法」と言われる「共謀罪」法がすでに施行されています。「権力のイヌになるな」と言いたいが、今やそれは「イヌ」たちにも申し訳ない。「連合」のみなさん、どうぞ「ふつうの」人間として理不尽なことにはノーという力を呼び戻してくださいね。

という具合に脱線するのは「認知症の始まり」かしら。そこで「ゴマメの歯ぎしり」ながら発言しようと思っているワタクシですが、7月5日付『ふぇみん』という新聞に、私の気恥ずかしいほど大きな写真入りのインタビュー記事が載りました。喫茶店で3時間くらいしゃべったような気がしますが、取材者がじつによくわたしの書いたものを読んできて、質問もたくさんしてくださったので、話しやすかったです。近頃こんなに念入りに準備してくる取材者の方には、なかなか出会いませんからね。

本文は読めなくてもいいですが、写真がきれいにスキャンできなかったのは撮影者のために残念。。

「遺影写真にしたい(わたしは葬式はしませんが)」程、よい写真を撮ってくださったのは、わたしから見るとずっと若い世代に属する女性カメラウーマン。彼女が「働くこと 育てること」というテーマで撮り続けた「母親&父親」の写真展があると聞いて、らいてうの家からの帰り閉館ぎりぎりに駆け込んだのは5月の話。その後、彼女が伊豆の山の中で一人暮らしをしている「絹ばあちゃん」のところへ、なぜか子育てしながら通いつめた写真と文章による『絹ばあちゃんと90年の旅』という本を知って買い求め、いたく感動したこと、その後『働くこと 育てること』(2001年刊)の本も送っていただき、これが草土文化という出版社から出ていることを知ってさらに感慨深かったことを改めて思い出しました。

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落合由利子 『働くこと 育てること』草土文化(2001年刊)

なぜって、わたしも同じ草土文化から『働くことと子育てと』という本を1987年に出しているからです。彼女もあとがきで「自分の子育てはめちゃくちゃ」と書いていますが、わたしも「子どもには言えない」ほどハチャメチャな共働きの子育てでした。「共働きの子どもはさみしいのです」と書いてあちこちの集会で「そんなことを言ったら母親は働けなくなってしまう。あなたは、母よ家庭に帰れと言うのですか」と詰め寄られ、「わたし、一度も仕事辞めませんでした。でも、<親がしっかり働いていれば、子どもはすくすく育つ>というのは思い込みです。子どもは親のことをよくわかっていて、でも誰もいないうちに帰って行くのがさみしいのです。そのさみしさを<そんなはずはない>と言ってしまったら子どもは本当にさみしくなってしまう。<さみしさ>を共有しよう」とうったえたこともあります。ひと世代違う彼女―落合由利子さんに親近感を感じ、2冊の本を読みました。

そこで、本論。少し「ホメられ過ぎ」の感がありますが、元はといえば「あなた、高良留美子さんの女性文化賞を引き継ぐそうですね?」と声がかかったのが始まりです。そしてその「女性文化賞」は今難航中。「自分で決めるのだから気楽?」などとはとんでもない。うなされるほど悩んでいます。アマゾンで毎週のように本を買い(不在再配達されないようにゆうメールで頼む)、図書館へ通い、とても片手間ではできないことがわかりました。それでも「人に相談しない」で、自分で探し当てたい。「踵骨棘」よ、早く収まっておくれ・・・。

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