東日本大震災から11年―「忘れず、記憶し続ける」ことが生きているものの責任

 3月はまだまだ駆け足で過ぎていきます。10日は東京大空襲から77年、そして11日は東日本大震災から11年でした。わたしは、末っ子だったのに兄や姉を「さしおいて」先に逝ってしまった弟に背中を押されるようにして津波の被災地大船渡へボランティアに行き、わずかな時間でしたが仮設住宅で「お茶っこ」して回った経験があります。そこで知り合ったかたにお花を送り、「3月11日にどうぞ海に投げ入れて」と頼んだこともありました。じつは海に物を勝手に投げ込んではいけないということを知らないまま、あさはかにも「気楽に」頼んでしまったのです。うけとった知り人は地元にできた慰霊塔にそなえたり、被災した方のお宅の仏壇に供えてもらったり、苦労して「こころざし」を生かしてくださいました。申し訳なく、しかし感謝しています。

 ことしはそれもご遠慮しました。わたしのほうも昨年姉を見送り、半年後には夫が倒れて長期入院という出来事に直面、「3,11から10年」という節目もおちおち考える暇がありませんでした。「生きてるもの」のことを考えなくてはならなかったのです。

 つい3日ほど前に、かれは療法士さんと一緒に病院を出て、エレベーターのない階段を上がって3階にある我が家まで帰る実験に挑戦しました。幸いなことにわがマンションの階段には手すりがついています。10年以上前に2階でやはり歩行困難になった方が「2階までだけ、自費で手すりを付けたい」と申し出た方がいて管理組合で大議論になり、「階段が狭くなる」「美観を損なう」という反対意見も出るのを、「つけるなら全階段にすればいい」「エレベ-ターがない代わりに手すりがあれば資産価値も上る」と説得して管理組合の予算で全階段につけることになったものです。そして彼は療法士さんが後ろから支えながらですが、そろそろと階段を上がり、半年ぶりの我が家に入ることができました。わたしは彼の退院に合わせてエレベーターのあるマンションを探して引っ越そうかと思ったのですが、かかり付けの診療所(名医の先生がひとりだけ常勤)でリハビリも訪問医療もやってくれるというから、ここを離れたくない。その悩みで夜も寝られなかった(というのは事実ではなく、すとんと寝てしまうのがわたしの特技)のが明るい希望が出てきました。それで「3.11」のことをブログに書くヒマもなかったわけ。

 でも、そうやって忘れてしまっていいだろうか。いやいや、忘れてたまるものか。わたしが大船渡に通ったのはわずかな期間ですが、それでもわたしにとって津波の記憶を共有した経験です。それを書き残しておかないと記憶はいつか薄れてしまう。ブログに報告を書き、小学校の校庭にできた仮設住宅を撤去すると決まったとき、「津波で何もかもなくし、やっと仮設住宅の生活になじんだのに、更地にして子どもたちにかえせば、自分たちの住んだあかしは何も残らないよね」と嘆く方の声を聴き、じゃあせめて仮設住宅に住んだ思い出を残しませんかと提案してささやかな記録ですが文集づくりをお手伝いしました。母の戦争体験を印刷し、亡くなった後遺歌集を出してやったのも、それから弟ががんでこの世に別れを告げた後、ささやかな記録を本にしたのも、わたしが言い出しっぺでした。そして今、何も残さず逝ってしまった姉の断片的な記憶をそれでもまとめてやろうと思いつつ、まだ手が付かない。

 どうしてわたしは「生きたあかし」を遺してやりたいと思うのだろう。それは、なによりも今生きているものが「なぜ生きているのか」と問い、死者と気持ちを共有し、じぶんの遺された時間を生きていく支えにするからではないか。  わたしは、最近公開する予定の平塚らいてうの日記を読んで、彼女が1950年に有名な「非武装国日本女性の講和問題についての希望要項」を野上弥生子や上代たのたちとともに発表し、単独講和反対、軍事基地反対、再軍備反対の意志表示をしたのと同じ時期に、霊媒に依頼して博史の祖先の霊を探しあて、自宅にまつったという記述があることに注目してしまった一人です。あわてて「コロナの時代」を念頭に「3.11」体験を含めて「死者と霊性」を問う文献を読みました(末木文美士編『死者と霊性』を読みました。まだ頭に入ったとは言えないので保留しますが、少なくともらいてうにこういう側面があってそれが一面では戦時下の天皇(神)との一体感も引き起こし、しかし他方では「ただ戦争だけが敵」という平和思想の原点にもなったのではないか、と痛感しました。わたしに残された時間はもうわずかしかないが、わたしにとって「3.11」を忘れないということは、「死者と呼び合う」精神が現実とどうつながるかということだという意味で、「生きているもの」の生き方を問うことだと思っています。『3.11』を忘れない。ウクライナを記憶する。今、生きているものを忘れない。

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