みかづき子ども食堂、今度は6月19日に成蹊大学とコラボレーション 

4月18日、今日はみかづき子ども食堂へちょっぴりカンパを届けに行ったついでに、カレー(野菜サラダつい)と杏仁豆腐のデザートでお夕飯をいただきました。大人300円、子どもは無料です。カレーは甘口と辛口の2種類あり、わたしは辛口を所望して美味しくいただきました。つれあいが伊豆へ家出して一人になり、残り物を片付けるのにあきちゃったので。

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デザートの杏仁豆腐。手づくりの味でした。

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「少し」と言ったのにたっぷりのカレー。完食!

そこで思いがけずこの家の「家主」さんに会いました。わたしがデザートに熱中しているときふらりとテーブルにやってきたご年配の男性に、「どちらからお見えですか」とアホな質問をしてしまい、ここの家主さんと判明したしだい。個人の家を開放するというのはなかなかできないのに、どんな方だろうと思っていたのですが、「いやあ、貸すと言えば貸し賃をとらなくちゃならないから、使ってもらうことにしたのですよ」と穏やかな笑顔でした。こういう地域の協力がなければ子ども食堂はできないと思う。その方も「役所の力も必要だけど、なんといっても地域の協力ですね」と言っておられました。外は4月半ば過ぎとは思えない寒さでしたが、心ががあったかくなりました。

帰りに来月のチラシをもらおうと手を出したら、5月の案内のほかになんと「成蹊大学で子ども食堂」の予告編までついてきました。へえー、こないだは延命寺でやったけど、6月19日は成蹊大学とのコラボです。会場は学内の国際交流会館で「留学生のみなさんもどうぞ」ですって。なるほど。スタッフの方たちは「出前するの」と屈託がありませんが、準備を考えたら大変だろうなあ。わたしのちょっぴりカンパなんて「雀の涙」だと思うけれど・・・。受け入れるお寺さんや大学があるところがうれしいですねえ。

なお、5月は16日と30日です。

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成蹊大学で子ども食堂

そこですぐ思いつくところがみさかいないのですが、「そうだ、らいてうの家でもどこかと提携して『夏休み子ども食堂』をやったらどうだろう。涼しいし薬草園のログハウスには大きなキッチンがあるし、それこそ太陽光発電計画を白紙撤回してもらって、あの草地でみんなでご飯を食べたらいい気持ちだろうなあ。おとなはそこで一句ひねるとか。これは「妄想」でしょうか?…。

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福田次官辞任会見の「みっともなさ」と、任命権者麻生財務相の責任を問う  

前回お知らせした「財務省セクハラ調査」撤回要請署名は1日のうちに25.000人を超え、今も毎秒増えて30,000人に近づいています。もたなくなった福田次官は辞職を申し出たというので会見が行われましたが、その往生際の悪いこと。公開音声は自分かどうかわからないが、みんなが似ているというからそうかもしれないなんて、ふざけないでよ。財務省の調査では「お店の女性と言葉遊びしたことはある」と認めたのに、「お店の女性に対してもあんなことを言うのはセクハラ」と批判されるとたちまち「言った覚えがない」と逃げ、セクハラを認めての辞任ではないという態度です。セクハラ発言してないなら、なんで辞めるのさ。次官辞任ではなく、罷免されるべきでした。

それに、今日まで「相手の女性が名乗って出なければセクハラはないことにする」と被害者を恫喝した財務省文書の責任者麻生財務相はどうなるのでしょうか。「本人が辞めたいというから認めた」だけでしょうか。そもそも財務省が福田次官をかばったのは麻生氏への忖度であることは明明白白です。これでもあの人は大臣を辞めないのでしょうか。安倍首相は「彼を辞めさせたら自分もコケル」からかばっているだけです。こういう「男同士のかばい合い」が横行するんだよね。それが一国の政治を左右しているのだから許せないのです。

じつは4月15日に「9条改憲ノー」という集会に招かれたのですが、そこでわたしは「トランプ大統領が英仏を味方にしてシリアに105発もミサイル攻撃し、日本政府は直ちに支持の姿勢を示したことと、財務省事務次官のセクハラ問題に財務省あげて加害者をかばっていることとは、憲法改悪問題をめぐる重要な争点を浮き彫りにしている」と言いました。その報告は後でするとして、今や記者クラブも新聞労連も財務省に抗議しています。これをうやむやにしたら、ほんとに「女がすたるでえ」と言いたい。それにしても新潟県知事も「女性問題」で辞任です。せっかく原発反対の県民世論で選出されたのに、「複数の女性と自由恋愛」したみたいな言い訳は情けない。というより「原発反対」と「セクハラ」が同居する政治世界をひっくり返さなければ、ほんとうの民主主義は生まれないと痛感しました。

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財務省福田事務次官セクハラ問題に対する財務省調査方針撤回を求める署名 

財務省セクハラ問題への財務省の対応と麻生財務相の応答は、セクハラ問題のイロハもわかっていないという意味で呆れた姿勢です。「被害者の女性は名乗りなさい」というのは恫喝であり、「名乗らなければセクハラはないとみなす」という麻生発言はこれまで長くセクハラが隠ぺいされてきた時代への逆行を公然と認めるものです。閣内の野田総務相からも異論が出され、各紙とも批判の論調をとりあげています。

そこで、「被害女性に名乗らせることを強要するような調査を止めさせるべき」という署名がよびかけられています。わたしとしては、それに加えて福田次官の罷免」と「麻生財務相の更迭」を求めたいところですが、それはそれとして、「被害者の人権」を無視しておいて「福田の人権は無いのか?」とは許せないので、署名しました。最後のURLから署名できます。全文とよびかけ人一覧を紹介します。以下引用。

財務省は、セクハラ告発の女性に名乗り出ることを求める調査方法を撤回してください!!

1 セクハラ被害者に名乗り出ることを求める調査は問題です
財務省は、本年4月16日、福田事務次官が女性記者に対してセクハラ発言をしたと報道されていることにつき(※1)、セクハラ発言をされた女性記者がいれば調査に協力するよう、マスコミ各社に周知を要請しました(※2)。
しかしその連絡先は、加害者であると告発された本人がトップの職を務める財務省が委託した弁護士らとなっており、第三者性が担保されていません。
匿名で申告できるとの記載もなく、調査方法の趣旨、結果がどのように利用されるか、及び被害告発者のプライバシーが十分に守られるのかが不明で、コンプライアンス上も問題があります(※3)。
2 セクハラ被害告発者にかかる圧力
そもそも財務省は、官庁の中の官庁といわれるほど圧倒的なパワーを持っており、記者は、財務省と報道機関、報道機関とそれに雇用されている記者、という二重の権力関係のなかにあります。このため、実名での告発は、記者生命と引き換えになりかねないことと思われ、そのことを福田次官も財務省も十分承知していることでしょう。
また、福田次官は、報道が自らに対する名誉棄損であって、週刊新潮の出版社に対する提訴を準備していると発言しており、女性記者が名乗り出た場合、自分も訴えられるかもしれないと恐れを抱くのは当然のことです。
このような状況下において被害者が名乗り出ることができないことは当然のことであり、申し出がなかったからといって事実関係を確認できないとすることは決して許されません。
3 財務省のハラスメント隠蔽体質を疑わざるを得ません
これらの報道について麻生財務相は、本年4月12日の参院財政金融委員会で調査や処分を行わない考えを示していました。当初は事実確認すらも行わないとしていたこと自体、財務省のハラスメント隠蔽体質を示しており、女性の尊厳を軽視していると言わざるを得ません。
さらに、加害者とされる当事者の一方的な言い分を財務省名で公表することは、そのこと自体、被害告発者への圧迫となります。
安倍政権は「女性活躍」を謳っていますが、女性の尊厳を著しく傷つけ、「活躍」を阻害するセクシャルハラスメントについてこのように鈍感で無理解な態度をとるとは、政権が目指している「女性活躍」とは一体どういうものなのか、疑問を抱かずにいられません。
4 被害告発者に名乗り出ることを求める調査方法を撤回してください
以上のとおり、本件に関しては少なくとも、被害告発者が匿名でも十分な保護の下で被害申告をすることができる相当な調査方法が必要です。被害告発者に名乗り出ることを求める調査方法はむしろ有害であり、財務省に対し、このような調査方法を撤回するよう求めます。
私たちは、財務省に対し、被害告発をした女性を守りながら福田次官の発言について適切な調査を行い、ひいては、性別にかかわらず個人の尊厳が守られる社会の実現のために尽力することを求めます。
2018年4月17日

呼びかけ人(順次追加する予定です)
弁護士 早田 由布子
弁護士 太田 啓子
弁護士 今泉 義竜
弁護士 内山 宙
弁護士 上谷 さくら
弁護士 佐々木 亮
弁護士 渡辺 輝人
弁護士 足立 悠
※1 週刊新潮が公開した音声データ
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04131400/?all=1&page=2
※2 財務省が公表した調査結果及びマスコミ各社への要請文
https://www.mof.go.jp/public_relations/ohter/20180416chousa.html
※3 コンプライアンス上の問題
厚労省は、職場でのセクハラについての相談対応につき、使用者は、相談者等のプライバシーを保護するために必要な措置を講ずるとともに、その旨を労働者に対して周知しなければならないことを定めた指針を出しています(平成18年厚生労働省告示第615号)。また、人事院規則は、セクハラ苦情相談対応につき、関係者のプライバシーや名誉その他の人権を尊重するとともに、知り得た秘密を厳守することを定めています(平成10年11月13日職福—442)。これらの趣旨は本件においても妥当しますが、今回の財務省の対応は上記趣旨をまったくふまえていません。
★なお、このキャンペーンの進捗状況を、適宜お知らせしていく予定です。差し支えなければ、このキャンペーンからのお知らせを受け取る設定にしていただけたらと思います。以上引用終り。

署名はここからどうぞ。  https://www.change.org/p/no-sekuhara

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ドキュメント映画『ラッカは静かに虐殺されている』を観ました。

この10日ほどの間に、映画を3本も観ました。1本目はすでに報告した「自然エネルギーと地域の暮らし方」を問うドキュメント『おだやかな革命』、2本目は未報告ですがシングルマザーで子育てするお母さんが「一緒に子育てして」と呼びかけるチラシを地域に撒いて集まってきた若者たちと子どもを育て、成人した子がその時関わってくれた「保育人」を訪ねて「家族ってなんだ?」と問いかけるこれもドキュメント『沈没家族』、そして3本目が今日見て来たばかりの『ラッカは静かに虐殺されている』―これは「アラブの春」で民主化成就するかと思われたシリアのラッカという都市が、政権軍敗退後にやってきたISに支配されて町は廃墟と化し、すこしでもISを批判すれば逮捕拷問、処刑の恐怖政治が敷かれる中で、その惨状をインターネットを通じて世界に発信するという抵抗を試みているラッカの市民ジャーナリスト集団RBSSを撮ったドキュメントです。

映画のチラシ

折からアメリカのトランプ大統領は英仏を味方にしてシリアに105発ものミサイルを撃ち込み、「成功した」と豪語しました。日本は直ちに「化学兵器使用に反対するという米英仏の決意を支持」と、事実上爆撃を支持しているくせにロシア・中国の顔色もうかがってのへっぴりごしのゴマすりです。シリアが化学兵器を使ったのではないかという疑いはありうることで、たくさんの子どもたちが呼吸困難などの犠牲になったニュースが流れています。しかし、それはきちんと検証されなくてはならない。それをしないでいきなり105発のミサイル攻撃というのはイラク戦争の二の舞になるのではないか。どれだけ子どもを含む一般市民を殺傷したかについて、作戦を実行し、それを実行し、支持した側は認識しているだろうか。明日から安倍首相は訪米するそうですが、そこでトランプ大統領にどんなゴマスリをするのだろうか。そのあいだにも大勢の子どもたちが死んでいくとしたら・・・。いたたまれない思いで、今日は映画館に行きました。だって、シリアで今何が起こっているかを知ることしか今の自分にできることはないような気がしたからです。場所は今やおなじみになった東中野のポレポレ。駅に近く、90分という短さも今のわたしにはちょうどいい。東中野駅前のパン屋さんでパンを一個買い,かじりながら12時20分開演に駆けこみました。

壮絶な映画でした。これはドラマではないのだ、と言い聞かせながら観ました。無惨な処刑シーンも出てきます。幼い子どもたちが親に買ってもらえないおもちゃや携帯電話などをばらまくISについて行き、ナイフでぬいぐるみの首を切るシーンも出てきます。こうやってISは子どもに爆弾を巻きつけて自爆させるという報道も既に聞いていましたが、その愛らしい表情にがく然としました。しかしそれよりも心を打たれたのは、死の恐怖と向き合いながらこの活動に参加している人物像です。

高校の教師をしていたが、生徒がアサド政権を批判して逮捕されたのをきっかけに革命運動に身を投じ、RBSSに参加したジャーナリスト。ラッカ大学で生物学を学んでいたがシリア革命に参加、2014年ISのラッカ侵入後仲間とRBSSを創設、数回にわたり逮捕拷問をうけて国外に逃れ、ラッカに残った仲間と暗号通信しながらラッカの惨状を訴えてきた青年、ISのテロに反対してRBSSの創設に参加、ISが彼の首に賞金をかけたため脱出せざるを得なくなったが、ISは代わりに父親を逮捕処刑、その映像が公開されたという青年…。衛星通信まで追跡して、彼らの通信をキャッチし居場所を確かめて「殺せ」と指示するIS,そのために仲間が何人も暗殺されます。それでも彼らは銃も戦車も持たず、ただ「スマートフォンを武器に」たたかいつづけるのです。ちなみにRBSSとは「Raqqa is Slaughtered Silently」(ラッカは静かに虐殺されている)の頭文字を取ったものです。RBSSは2015年、国際組織「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)により「国際報道自由賞」に選ばれました。しかし、今もこの戦いは続いています。映画は最後に、ISに父を処刑された一人が妻とともにドイツに逃れた「隠れ家」で子どもを授かり、「父と同じ名を」というシーンで結ばれていますが、この家族に平安のあることを祈らずにはいられませんでした。

シリアの国情は複雑です。ラッカは昨年「米軍・有志連合」の空爆のもとでIS「掃討作戦」が行われ、クルド人中心の「シリア民主軍」が制圧したとされました。しかしRBSSによると「テロとの戦いを口実にあらゆる人権侵害が起っている」というのです。「ラッカの新たな占領」とも報じられているそうです。RBSSの身の危険を冒してのたたかいは終わっていないのだ、と思いました。

わたしは、あらためて平塚らいてうの「(敵はどの国でもなく)ただ戦争だけ」という言葉を思い出しています。「だれの子どももころさせない」と訴えた日本の若いママたちのことも。やっぱり映画を観ただけじゃダメなんだ。自分は何をするのか、そのことに思いくたびれて帰宅しました。

一つだけ知りたかったのは、ここに登場するのはみんな男性です。女性は参加していたのか、あまりにも危険なので表に出る活動には参加できなかったのか、そんなことを考えること自体「西欧的基準」でイスラム世界を理解しようとしているのか。でも、「そのとき女性たちはどうしていたか」を知りたいと思いました。其れはこのドキュメントとは違う課題だと思うけれど。

 

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安倍内閣の支持率はなぜ3割台を維持しているのか―中野晃一さんの発言から  

「日報」隠ぺい、「森友」公文書改ざん、「加計」ウソ証言等々、「三位一体」で安倍内閣はもう「レームダック」といわれていますが、それでもへっちゃらけで「承知していない」とか「部下を信頼している」とか言いまくる安倍首相以下閣僚たちは、どうなっているのでしょう。普通ならとっくに政権崩壊なのに。

その理由の一つに、安倍内閣の支持率が、「大幅に下がった」といってもまだ3割台、時には「4割を回復」という世論調査もあるというのですからマカ不思議。それにはテレビや新聞の「へっぴり腰」や「忖度」の論調も大いに影響していると思いますが、それだけかしら。日刊ゲンダイ紙が中野晃一さんにインタビューした記事には、こうありました。以下部分引用。

<森友も加計も日報問題も、すべて官僚が悪い――という構図づくりに余念がない安倍官邸の策略が奏功しているということか。上智大教授の中野晃一氏(政治学)もこう言う。
「DV(ドメスティックバイオレンス)のようなもので、あまりにも異常なことが起き過ぎて、本来許容すべき事態ではないのに、世論が飼いならされてしまっているのです。しかし、官僚が勝手にやったのならそれこそ大問題で、内閣が無能ということになるし、内閣の責任は免れません。いまだに安倍政権を支持する人たちに対しては、『王様は裸だ』と喚起し続けるしかないですね」
安倍支持の“岩盤”3割が目を覚ませば、安倍政権なんてイチコロなのだが>(日刊ゲンダイ 2018年4月12日付)

 

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朝日新聞3月29日付「太陽光発電」の記事に疑問あり     

遅くなってしまったけれど「太陽光発電計画で摩擦」という朝日新聞の記事を読んで釈然とせず、しばらく考えていました。内容は、各地で太陽光発電設備設置をめぐって「反対運動」が起り、該当地域の市町村や県などが対応に追われているというものですが、その焦点がサブタイトルに「アセス義務化 事業の停滞も」とあるように、自治体が「独自の条例などで、環境アセスメントを義務付ける」ところが出てきたことをあげて、「手続きが煩雑で手間がかかるため、太陽光発電の普及自体を妨げる心配もある」という論調になっていることです。「国のエネルギー基本計画では、16年度に15%だった再生可能エネルギーの割合を、30年度には22~24%に高めるとしている。中でも太陽光が先行して普及しており、土地の有効利用の観点でも利点が多いとされている」とあります。ある事業者の声として「(負担が大きいので)アセスが必要なところでは事業はしない」という意見も載せています。

これはどうみても「国の政策である太陽光発電を推進するうえで、環境アセスは普及を遅らせるおそれがある」と言っているのと同じではないでしょうか。国が法的規制もキチンとせず、野放し状態で太陽光発電を推進、沸き起こった住民の反対に、やむなく自治体が「ガイドライン」や「条例」で地域の環境破壊を抑えようとしているのに、これは「アセスなどやって業者をチェックしないほうがいい」と言わんばかりです。記事中には岡山市や静岡県伊東市などの例が挙げられ、いずれも蛍の生息地破壊や景観悪化、海の環境悪化などを理由に反対の声が出ていると紹介されているのに、突然「アセスは事業を停滞させる心配がある」というのですから、これは業者側にヨイショしたのかしら。

わたしたちは信州あずまや高原で、らいてうの家の目の前の草地に設置するという太陽光発電計画に対して、景観悪化や水害の恐れなどと併せて、この地を「人間が自然とともに生きるひろば」として森に木を植え、草刈りをし、「森のめぐみ講座」を開いて山野草や鳥や虫たちをうけいれてきた歩みこそらいてうの家の存立基盤であることを訴え、隣接の薬草園や四阿山頂に鎮座する山家神社奥社の参詣路であることも含めて、「地域の歴史と文化をこわさないで」と計画の白紙撤回を求めてきました上田市も頻発するトラブル対策に知恵をひねり、事業者に「周辺住民・関係者の同意をとるように」という「指導要綱」や「国立公園内には推奨しない」としたガイドラインなどを打ち出しています。そういう住民関係者の声をくみ上げることこそ自治体の責務です。それを「アセスをやったら太陽光発電事業が停滞する」というのでしょうか。この記事の真意を疑いたくなります。

思うに、この記事を書いた記者は、岡山や伊東のケースをじっさいに現地取材しなかったか、しても「太陽光発電はいいことだ」という先入観で現場をみたのではないでしょうか。わたしたちも原発やCO2排出エネルギーには反対です。しかし一方で原発再稼働を進める国が「再生可能エネルギー推進」をうたい、大規模な自然破壊についても容認する姿勢を見せている矛盾を、この記者はどう見ているのでしょうか。「血が通っていない」という気がしました。

ちなみに、わたしたちの場合は、事業者のほうからわたしたちの同意なしに「アセス実施」という通告があり、はじめ「業者に有利なアセス(お手盛り)をするのではないかという懸念がありましたがアセス自体に反対はしませんでした。引き受けたのは、国基準のアセスでは大規模事業しか対象にしないが、それ以外のケースに大きな問題がある」というので、時間も費用も少なくて済む「簡易自主アセス」を実施している団体で、事業者と住民サイドとでよく話し合い、納得いく形で設置を進める「橋渡しをする」という立場です。全国的な運動になっています。

しかしわたしたちは、これまでのアセスが「大規模な森林伐採による自然破壊の有無」とか「希少生物の有無」、「土砂災害の恐れ」、「照り返し問題―パネルの角度調整」、「目隠しの木を植える」などの条件にばかり配慮して、わたしたちの言う「歴史的文化的価値」を守るというような点に目が向いていないのではないか、という疑問を提出、担当者と話し合い、アセスの中間評価書案に、その意見をある程度反映した報告が入ることになりました。ですから、「アセスをやっても白紙撤回」の可能性を求めているのです。この過程で、わたしたちはアセスの重要性を認識し、しかしそれは反対運動をする側でも勉強してこちらの望むようなアセス実施を提案できる力を持たねばならないことも認識しました。

「アセスをやれば、太陽光発電設置が遅れる懸念」というのはありうることですが、それはアセスのせいではありません。せっかく自主簡易アセスという選択肢が出て来たのにこの記事で「アセスなどしないほうがいい」という方向になったら、かえって矛盾は大きくなるでしょう。わたし自身は簡易自主アセスにも納得できないところがありますが、「アセスをやれば事業が停滞する」かのような言い方はおかしいと思う。朝日新聞に意見を言おうかしら。

記事をご覧になりたい方は朝日新聞2018年3月29日付「けいざい」欄です。コピーしようかと思ったら「転載禁止」ですって。

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「わたしには夢がある」―「自然エネルギーと地域活性化」を問うドキュメント映画『おだやかな革命』をみました。

一念発起して、ポレポレ東中野に上記の映画を見に行きました。「太陽光発電のことも取り上げているから」と勧められて気がついたのですが、じつはもう4月6日で終わり、おまけに朝10時20分の1回しかやらないというのです。でも、ポレポレは近い。ふんぱつして5日の朝早起きし、洗濯も済ませて飛び出しました。終りに近いから混むかと思ったら10人くらいしか入っていなかったなあ。

なるほど、面白い映画でした。福島原発事故の「現場」となってしまった福島県飯舘村で原発ではなく自分たちでソーラーパネルによる「飯館電力」をつくった経験、かつての人口1200人から255人まで減ってしまった「限界集落」岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)で、昔からの農業用水を活用した小規模な水力発電を始め、それをもとに若い世代の移住を呼び込みながら「地域づくり」に挑戦する人々、岡山県西粟倉村で、合併の道を選ばず村の95%を占める森林を生かして「百年の森林(もり)構想」を立て、森の手入れで出る間伐材を燃料に村の鉱泉を沸かす[薪ボイラー]で地域おこしをすすめる人々等々が紹介されています。いずれも「原発に頼らず、自分たちの電力やエネルギー源を自分たちで生みだそう」というだけでなく、「自分たちでやりたいことをやろう」という意欲と「住みたくなる地域づくり」が結びついているところがすごい。石徹白では、自治会が中心になって何回も話し合い、集落のほとんど全世帯が出資して水車を回して発電する協同組合を設立したというのです。そのほかにも各地での実践例が紹介され、パンフレットにはなんと「上田市民エネルギー」も紹介されているのです。勿論私もよく知っていて、一度話を聴きたいと思っていたところでした。そして読んだばかりの岩波新書『地域経済を創りなおす』の著者枝廣淳子さんも登場しています。

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映画『おだやかな革命』パンフレット

この映画で言いたいことは、「自然エネルギーでも地域の役に立たない事業(もうけ主義)や地域破壊の大規模事業など矛盾がある」「自分たちの生活や地域をゆたかにできる道に向かって自然エネルギーを生かすのが本来のあり方」「それには小規模でも自分たちがつくる電気を持とう」仕事を起こし、地域でやりたいことがやれる若い世代の可能性を開く」「高齢者の知恵をいかし、地域に合ったやり方をすれば人はあつまってくる」ということのように思われました。そういえば、「地域づくり工房」でも、「地域づくりにおけるエネルギー選択は…どのような地域づくりをしたいか、その足元にはどんな資源があるのか、どのようなエネルギーを使うとより効果的な地域づくりの展開になるのか、といった検討が必要」という意見を聴いたことがあります。「地域にお金が回てくるような仕組みを考えないと」というのです。岩波新書の著者枝廣さんは、地域を素通りして事業者や電力会社に利益が入ってしまうような「自然エネルギー」は「穴の開いたバケツで水を汲むようなもの」と書いていました。だから、わたしたちは今回のらいてうの家太陽光発電設置計画には、こういう視点がないではないかと反対したのです。「アセス中間評価書案」で「選択肢の一つ」とされた「ゼロ提案を」を実現し、もう一度初めから考え直そう、と。現在「協議中」で応答のない事業者とアセス担当者がどう着地して行くか、見守っています。

「地元」ってなんだろう、と考えさせられる本です。

5月27日にはドイツやスイスにまで視察に行き、地域農業を育てて産直をしながら農業と両立するソーラーパネルに取り組んでいる千葉県多古町の経験を聴く学習会をします(詳細は次に)。その意味でもこの映画は参考になりました。

でもでも―、わたしが悩んでいるのは次の2点です。

① 映画では風力発電はあまり出てきませんでしたが有力な自然エネルギーです。ところががこれも以前菅平高原にこの計画が出て来たとき、らいてうの会の会員さんは「イヌワシの生息地がこわされる」「工事用の道路をつくるので自然が破壊される」と反対し、けっきょく「採算の見込みがない」と中止になりました。風力だってこういう問題があります。小規模水力発電は比較的そういう問題が少ないように思われますが、太陽光発電の大きな問題点は、パネル製作に莫大な電力を要すること、何十年か後にパネルが廃棄されるとき、今の計画の多くはそのコストがきちんと計算されず、廃棄の技術もまだ十分でなく(技術自体は研究されているらしいですが)、莫大なシリコンとガラスの製品(絶対自然には還元されない)が「産業廃棄物」として放置される恐れがあるといった問題が未解決ではないか。景観や照り返し問題、それからいたるところに「儲かる」というだけであたりかまわず事業が始まるという矛盾など、国のFIT政策の破たんが見えていることなどをどう考えるのか、この点をクリヤしないと「自然エネルギーだからいい」とだけは言えない、という点がみえなかったのが残念でした。ここをクリヤしなくては太陽光発電の未来はないよ。

② もう一つは、いろいろ勉強して行くと、自然エネルギーの選択は、「地域づくりとむすんでこそ成功する」と言えそうなことがわかってきました。「うちの近くに作られては迷惑」というだけではその迷惑施設をヨソなら作ってもいいの?と言われます。昔東京都に「ゴミ戦争」というのがあって「ゴミ焼却場をつくる必要はあるが、うちの近くには作らないで。ヨソならいい」と言わんばかりの地区があり、ゴミ埋め立て処理を一手に引き受けていた地区が怒って「そういう地区からのゴミは受け入れない」と宣言したことがありました。これを解決したのがわが恩師で、東京都立大学(わが母校ですが今はもうない)教授の職をなげうって都庁に赴かれた柴田徳衛先生だったのですが、我らも「らいてうの家の真ん前に作るのは反対」だけではすむまいと思うのです。国立公園内でもあり、すでにこれまで訴えてきたようにこの地を愛し守ってきた人々の「思い」を大事にして、ここにソーラー設置は不可として、ここあずまや高原をどう「地域のみんなが生きいきと暮らせる場」にしていくかは考えなくてはならないのではないか。

わたしには、らいてうの家オープン以来の「夢」がありました。それは、らいてうが愛したこの地あずまや高原を「県民市民観光客、らいてうの家や別荘、ホテルとも協同して自然を大切にし、多くに人びとのいこいとやすらぎの地にしたい」という夢でした。しかし、いまらいてうの会にはそれを事業として取り組むだけの力がありません。わたしも、もう年を取り過ぎました。今年はあのキング牧師が暗殺されてから50年だそうですが、彼が「私には夢がある」というスピーチを残して倒れたことを思い出してしまった・・・もちろんわたしの夢はあまりにもちっぽけです。でも映画を見たら考えてしまったのです。

多古町には5月の学習会の前に行ってこようと思っています。「見ずして語るなかれ」。しんどいけれど、この目で見なくては。

ついでに。今年の桜は早く咲き過ぎました。かろうじて地元井の頭公園で、花見客で混雑する前の昼前に撮った1枚を今年の記念に。来年、花見できるかどうかわからないものね。

池にはボートがいっぱい

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