「太陽光発電は、ほんとうに再生可能エネルギーか?」―「全国メガソーラー問題シンポジウム(茅野)」参加記 

10月14日付朝日新聞は、九電の「太陽光発電ストップ問題」について「原発稼働を優先している」ことを報じています。それは「国のルール」なのだとして世耕経済産業相が「原発はベースロード電源の一つ」と強調したことばを引用し、「ドイツやフランスでは原発で出力調整をした実績もある」のに、日本の原発優先は「旧来型の優先順位を維持する」もので「時代遅れ」という意見(都留文科大高橋洋教授)も載せています。そして論旨は、「再生エネルギーを有効活用するためには電力会社の自社中心主義ではなく、全国で融通できるシステムをつくるべき」という提言になっています。

「全国的に融通できるシステムを」という提起は既存の大手電力会社の独占を修正させるうえでは必要だと思いますが、太陽光発電の一定の部分がメガソーラーによってつくられているという事実にふれていないのは、どうでしょうか。15日付同紙の「天声人語」も九電が国の原発優先政策に従って太陽光発電を一部停止したことを批判、電力会社は「再生可能エネルギー受け入れをさぼってきたのではないか」と指摘していますが、メガソーラーへの視点はありません。

朝日新聞は2018年3月29日付「けいざい」欄で「アセスの強化は太陽光発電事業を停滞させる恐れもある」という趣旨の記事を載せ、わたしはこのブログで疑問を呈しましたが(2018.4.8掲載)、「原発反対」の姿勢はよいが「太陽光発電」なら内容を問わず推進すればいいのか、という疑問が残りました。今回も同じような危惧を感じます。

 

そこで、10月8日の「全国メガソーラー問題シンポ」を思い出しました。会場いっぱいの参加者は、メガソーラーが引き起こす自然破壊や生活破壊とどうたたかうか、という関心から参加した方がほとんどだと思う。各地からの報告は、山をひとつ丸裸にするようなパネル31万枚とか景勝の地に20万枚というようなべらぼうなものが多く、らいてうの家の「3千数百枚」程度の計画は「小さいほう」と思わせられるほどでした。わたしたちは「すでに開発済み(土地所有者のホテルがテニスコートなど造成)で大規模な森林伐採はない」「希少動植物もみあたらない」「水害の心配もすくない」「居住者が少なく被害が少ない」等々の理由で、「反対の根拠は弱い」と言われたのですが、この土地を愛したらいてうの自然への思いを受け継いで植樹と草刈りをし、この地を愛してきた地元住民(その中には創建1300年を迎えた地元山家神社「四阿山奥社への神聖な参詣路にあたる」という反対の声もあります)の思い、隣接の「薬草園」への悪影響、希少生物でなくともカモシカやノウサギ(クマも!)が生息し、アサギマダラがわたり、一文字蝶が舞い、山野草が自生する「当たり前の自然」をこわすな、という主張をしてきました。

メガソーラーにはもちろん反対ですが、そうでなくてもわたしたちにとってはかけがえのない「歴史的文化的価値」を持つ土地を「立ち入り禁止」にして景観や照り返しの危険を招いていいのか、と訴えてきたのです。現在事業者は昨年11月の説明会の後1年近くにわたって沈黙し、反対署名を送っても問い合せしてもノーアンサーです。「あきらめるなら早くあきらめてよ」と思いますが、他地域では長く放置の末突然土地や権利が転売されて新しい事業者が強行するケースもあるので油断はできません。そういう思いで参加したのです。

内容はチラシを観てください。内容を全部紹介できないので、感想を言います。

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シンポの内容

第一に、ここでの問題提起は、メガソーラー反対だけでなく、そもそも日本でいま展開されている「太陽光発電」そのものが「日本の国土の自然、生活環境に適合するのか」という問題提起をはらんでいるようにわたしには思われたことです。そこから出てくる第二の点は、ではわたしたちが望む原発やCO2削減をめざす電力はどうやって生み出せばいいのか、という問題。これらを含めて第三にメガソーラーを止めさせ、小規模ソーラーや水力、バイオマスなどによる発電で「地域の生活を地域で生み出す」あるいは「ソーラーシェアリング」のような太陽光発電と農業振興を結びつける方策が生みだされたとしても、それで大企業を含む電力需要全体が賄えるのか、という疑問です。

開会挨拶の小林峰一さんは、開口一番「日本は森林7割の国土。平地に田んぼや畑を作り集落をつくって山地とすみわけしてきた。この暮しの歴史がメガソーラーによって破壊される。さらにパネルの廃棄システムが確立していないことが問題」と指摘しました。このことを敷衍したのが基調講演の高田宏臣さんです。彼は、自然地形とは「大地がそれぞれの風土条件に於いて自律的に安定を図ってきたかたち」であるとし、そこに「草や木が根づき、土中の通気浸透を通して大地は安定してきた」というのです。現代土木技術の発想はその自然のはたらき(環境)にたいして(小規模であっても)「負のインパクト」をあたえるとズバリ。「山地における巨大メガソーラー」はいわばこうした自然の摂理に背く土木技術による環境劣化を不可避にしているのだそうです。それはじつはメガソーラーだけでなく、ゴルフ場や水力発電(ダム工事をみよ)に至るまでそういうことを繰り返してきた、と。では、それを食い止めるにはどうしたらいいか。「確かな視点での市民主導の経過観察調査の蓄積」が必要だと高田さんのレジュメにはありました。なるほど、わたしは環境アセス学会にも行ったことがありますが、こういう視点のアセスをやると言ってくれれば分かったのに、という感じでしたね。

続く「メガソーラーをやっつけろ!」という刺激的なテーマのお話も日ごろ疑問に思っていたことを指摘するものでした。梶山正三さんは弁護士ですが、これまたのっけから「太陽光発電の幻想を捨てよう」と題して太陽光発電は、ソーラーパネルをつくるのに膨大な石油資源を使い、CO2を排出する「ダーティ」な設備で、パネルが廃棄されるときもべらぼうな石油火力資源を消費するうえに「原発推進の口実つくり」にされている、と一刀両断。各地の裁判を手掛けてきただけあって、「ごまかされてはいけない」という熱意に目が回りました。

各地からの報告は省略します。短い休憩をはさんで4時間近くに及んだシンポでしたが、それでも会場発言の時間まではとてもとれず、主催者側からわたしに「懇親会で5分くらい話してください」とささやかれたので、ひたすら聞き役でした。「メガソーラー」反対ですが、メガだけでなく、そもそも太陽光発電は「自然エネルギーだから推進」と簡単に考えてはいけないのではないかということはこれまでの勉強から私も感じていたことですが、では、すべての太陽光発電に反対するのか?そしたら原発賛成になってしまうのか?それはとんでもない。地域の水路に水車を回す水力発電とか牛のふんや間伐材を使うバイオマス発電は有用だが大規模な電力を生み出されるのか?その展望を持つにはどうしたらいいか。わたしには結論が出せませんでした。

終ってからの懇親会で指名されたので、らいてうの家が直面しているのは30万枚のメガソーラーから見れば「小さい」が「歴史的文化的意味を持つ土地」ということで押し返し中と報告しました。すると長野県内なのになぜか静岡テレビが取材に来ていて、わたしに短いインタビューを求め、オンエアしたかどうかわかりませんが応答したり、新聞記者からも名刺をいただくなどの反応がありました。朝日新聞の記者が見えたので、率直に朝日新聞の記事(九電問題が起こる前)についての疑問を投げてみました。彼も正直に「部署によっても違うので」と言っていましたが、その後の記事を観ると私の危惧も根拠なしとは言えないのではないかと思いました。ともかく「ある程度反響があった」ことは確かです。

「太陽光発電は、ほんとうに推進すべき自然エネルギーか?」「たとえメガソーラーに限定して反対するとしても、原発や火力発電ではない電力を創出するにはどうしらいいか?」「小規模発電というかんがえかたは賛成できる面もあるが、これで生活電力はまかなえるとしても大企業の電力をどうやって確保するのか?」―これらの疑問を抱えて帰宅しましたが、その後ほぼ同じときに同じ長野県の飯田で「第10回市民・地域協同発電所 全国フォーラムin飯田」(10月5-7日)が開かれたことを知りました。こっちも行けばよかったかなあ。分科会が4つあって「里山資源を生かす小規模バイオ利用の促進」「地域再エネ事業を支える仕組み」「地域新電力と自治体政策」「多様に広がる生協の再エネ事業」です。新聞に出てないかさがしたら、やっぱり「しんぶん赤旗」が紹介(10月15日付)。「地域経済の活性化」と「自然エネルギー推進」で住民生活を豊かにし、かつ原発や火力化石燃料に依存しない「100%自然エネルギー社会をめざそう」とあります。それを聞きたかったなあ。

それにしても、らいてうの会では、目の前の太陽光発電問題には強力な反対運動を展開してきましたが、そこから先のことになると「足踏み」です。「先のこと」には二つ課題があり、一つはここで繰り返し考えたように、「原発や火力化石燃料に依存しない電力システムはどうすれば可能か」ということと、もう一つは現在のソーラー予定地になっている7000坪の土地を、ソーラーではなく地域の人々が愛し活用できる「いこいのひろば]として再構築する可能性の追求です。そのどちらもらいてうの会としては「とても手が出せない」「そこまでやる力はない」という気持ちの人が多いのです。だって会員の高齢化が進み、らいてうの家自体を維持していくのがたいへんなのだもの。でも、他でメガソーラーが横行しても「ここにソーラーが来なければいい」というのでは「エゴ」と言われても仕方がない、という気がします。

山中でクマに遭ったときみたいに、わたしたちはソーラーと目を合わせてしまったのだから後ろを向いて逃げ出すわけにいかない。クマに会ったときの鉄則は後ろを向かず、クマから目を離さず、そろりそろりと後ずさりすることだと聞いたことがありますが、人を取って食わないソーラーパネルからも後ろを向くわけにいかないと思う。ヒマもお金もなく行動力ダウンの年寄りが逃げ出せないゆえんであります。

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姉が「自立生活」に挑戦ちゅう。  18.10.14

10月7日、姉が2か月半ぶりに自宅に帰ってきました。7月に自宅で動けなくなり救急入院、約1カ月後に退院したものの自宅での一人暮らしは困難というので、そのままこれまでお世話になっていた「自立支援多機能施設(いわゆる老人ホームではない)」のショートステイに直行、結局10月初めまで「ロングステイ」させてもらいました。このあいだにかかりつけの診療所の先生にみて頂いたところ「一人暮らしはもう無理だから、介護付き老人ホームをさがしたほうがいい」とのご助言。姉も「そうします」と決心したのですが、1カ月余りショートステイで暮らしている間に、施設の方が献身的に面倒を見てくれ、一番問題だったひとりでトイレに行くことができるようになったのです。しかし食事の用意ができません。それでも姉は「うちに帰る」と言い、ケアマネさんが「週3回デイサービスに来てお風呂にも入り、昼と夜の食事をして帰る。後の3日はヘルパーを派遣して買い物や食事の支度を準備。夕方は安否確認電話をする。日曜は既存のレトルトパックや冷凍食品を組み合わせて過ごす」というプランを提案。わたしは心配でしたが、本人がそれでやるというのですから、「ダメ」と決めつけるわけにいかない。

というわけで7日はいっしょにショートスティから自宅に同行、万一の用意にパンなど買いこみ、帰宅しました。冷蔵庫は空っぽにして入院したので、お昼はパンで済ませましたが、とりあえず最低必要なものは買わねばなりません。日曜ですから今夜のご飯をどうするか。「ここで暮らすと言うなら、今夜のご飯から自分で才覚するのよ。どうする?」と突っ放したところ、「生協に買いものに行くならあそこのできたてのアジフライが食べたいから買ってきて。ご飯は自分で炊くから」というのです。

ふーん、その気ならやっていただきましょう、といちばん近い生協のお店に行き、まだ温かいアジフライとクリームコロッケ、千切りキャベツ(生協のはけっこうおいしい)とトマトなどの野菜、それに味噌汁もつくるというので、「タニタ食堂の減塩味噌」と豆腐、ネギなどを買い込み、朝はパン食だと思うので牛乳やハムも買って、いつも愛用のみたらし団子などには目もくれず帰りました。2か月以上「上げ膳据え膳」で暮らしてきた姉が、キッチンに立てるのでしょうか。ベッドの布団も夏用だったので、とりあえず薄手の掛け布団を引っ張り出し、「今度安い羽毛布団を買って来るからね」と言い置いて「今夜電話するよ」と別れました。ほんとは夕食をつくってやればよかったのかもしれませんが、ここはオニになってみたしだい。帰りに安売りのお店に行って羽毛布団を買い、配達してもらおうと思ったら「1週間後になります」と言われ、それでは明後日あたりから冷え込むのに間に合わない、と思ってもって帰りました。これをまた届けに行かねば。

その夜、しつこいかなと思ったけれど電話しました。なかなか出ないのは電話口まで歩いてくるのに時間がかかるからです。「子機があるでしょ?」と言ったら充電器を差し込むコンセントが遠くて届かない。携帯は入院中も何べんもかけたけど、そもそも通話の仕方が不慣れで声が聞こえないとか言って放り出してあります。やっと電話に出て「ご飯もたいたし、みそ汁もつくったし、ちゃんと食べたよ」と威張っています。「優っくり村(施設の名前)のヘルパーさんが夕方様子を見に来てくれた」とも。思わず電話口の前で拍手してしまった。翌日はわたしが茅野のメガソーラーシンポジウムに行くので姉のところには行けません。つれあいが「オレがもって行ってやるよ」と言いだしてくれたので感謝感激。

それから1週間。姉は施設の援助を受けながら、なんとかひとりで暮らしています。13日の土曜日に、うちでつくったクリご飯(むき栗がなかったので生栗を買い、皮をむくのがたいへんだったけどおいしくできたので)と、セブンイレブンンの「黄金のハンバーグ」というパックが日持ちもしてまあまあおいしいので、それと電話の子機を近くに置くための延長コードを届けに行きました。前日「足が痛い」というのでかかりつけの診療所に行って痛み止めをもらい、でもそれを飲むと便秘しちゃうと言うので下剤ももらってきた(もちろん施設の車で行き、弟が付き添いました)というから心配になったのです。

姉は「イタイイタイ」と言いながら、「だけどここでがんばらないと暮らせないものね。ひとりでやってみる」と宣言。その気力だけでも前向きになってくれたことを良しとしたい。サポートしてくれる施設があってこその話です。いつまで頑張れるかわかりませんが、本人がそういう気持ちになったことを大事にしたい。とはいうものの、タクシー代をケチって駅から彼女の自宅まで歩いたら結構くたびれ、夜バタンキューと寝てしまったのはこっちのほうでありました。「明日は我が身」だもんね。

 

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九電が「太陽光発電の出力制御(つまり発電停止)」とは何事ぞ

    10月8日、茅野で開かれた「全国メガソーラー問題シンポジウム」に参加してきました。会場は超満員で、第2会場まで設定される盛況。わたしは「高齢者」ということでメイン会場の一つだけ空いていた席に座らせてもらい、補聴器持参でかろうじて内容をキャッチしてきましたが、同行したらいてうの会理事さんは第2会場でがまん。「年寄りの特権」を行使して悪かったなあ。午後1時から5時近くまで衝撃的な講演と各地からの報告で、居眠りしてる暇もありませんでした。

 その内容を報告するのが遅くなっている間に、とんでもないニュースが。九州電力が、夏場を過ぎて電力供給が過剰になる恐れがあるというので「太陽光発電など再生可能エネルギーの出力制御」を実施したというのです。報道によれば九電が買い取った太陽光発電は8月末で807万キロワット、バイオマスなどを合わせると再生可能エネルギーは1160万キロワットになり、13・14日(土日)の予想需要見込み約1000万キロワットを上回るというのです。電力はこの間の北海道電力の「ブラックアウト」がしめすように、足りなくても困るが多すぎても「需給のバランスが崩れ」送電停止になるのだそうな。そこで九電は「余るから」と太陽光発電停止を決めたというので(離島以外では初のケース)。

問題は、九電では玄海原発と川内原発が稼働していてそれが414万キロワットあるのです。そっちに手を付けないで「再生可能エネルギー」をストップさせるとは何事ぞ、と目が点になりました。元日本環境学会会長の和田武さんが「電力の需給バランスをとることは必要だが、海外諸国では再生可能エネルギーの供給を優先している。他地域に余った電力を回せるよう地域間の系統連系網を強化し、再生可能エネルギーを優先利用できるようにすべき」と言われたのはもっともだと思う(以上はしんぶん赤旗10月13日付より)。

 福島原発事故以来、太陽光発電は自然エネルギーとして推進されてきましたが、国は、再生可能エネルギーを増やすと言いながら、原発を「ベースロード電源」とする政策に固執し、各地の反対を押し切って再稼働させる一方、再生可能エネを買い取る費用を一般国民の電気料金に「賦課金」として上乗せ徴収しているのです。ウチは九電ではないけれど、東電に払ってるわけ。「買わない」というなら買うための賦課金はどうなるのよ。だいたい九州の太陽光発電量が多いのは、2012年のFIT法以来「儲かる」というので由布院のような観光地の景観も自然も破壊して太陽光パネルを設置する業者が続出したからです。再生可能エネルギー推進を「営利事業」に丸投げし、大手電力会社に原発を維持させるために国が支援してきたのではないか。そのツケが8日の「全国メガソーラーシンポ」にみるような日本の自然と住民生活の破壊をもたらしているのです。

 もう一つ、問題は「太陽光発電」自体の問題です。わたしは、これまでらいてうの家の真ん前に計画された太陽光発電設置計画にたいし、「再生可能エネルギーとしての太陽光発電自体に反対するわけではないが、自然や住民の生活環境の破壊、その土地の歴史的文化的価値、そこを愛してきた人々の思いを蹂躙」と反対してきましたが、そのなかでじゃあほんとうに太陽光発電は「よいもの」なのか、という疑問が生まれてきました。今回のシンポはその疑問を増幅させることになりました。しかし、では太陽光発電を推進しないほうがいいのか?原発や火力発電を止めて地球環境を守るためにはどうしたらいいのか?その答えは、シンポに参加した今でも出ていません。シンポの内容報告を次回に。

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NHK「グレーテルのかまど」再放送のお知らせ!

昨年、NHKのEテレで放送された「らいてうのゴマじるこ」が「好評につき」再放送されるそうです。前回見逃した方は、ぜひごらんください。ちょっぴりですが「らいてうの家」が登場、ワタクシの「やまんば」ぶりも出てきます。この番組の後、「自分もゴマじるこをつくってみた」という方も続出しました。わたしも今や「第15代ヘンゼル」を名乗る瀬戸康史さんと声の出演キムラ緑子さんのファンになり、うちにいるときはよく見るようになりました。再放送の日程は以下の通り。「24分番組」です。

10月22日(月)22時00分~ (Eテレ)

10月23日(火)00時35分~ (NHKワールドプレミアム)これって22日の深夜?

10月26日(金)11時05分~ (NH総合―関東・近畿を除く全国)

10月29日(月)10時25分~ (Eテレ)

らいてうの「食」に対する関心は、戦時中「玄米食のすすめ」など国策に同調する発言があったとして批判されることもありますが、戦後も「食養」を唱え、実践したのですから「自然に生きる」という姿勢は一貫していて、そこから平和への意志も生まれてくるのです。ゴマじるこをつくる時はすり鉢で「すってすって」とろりとするまで摺る役目はパートナーの奥村博史で、指環つくりの名手らしく「オニキスのような漆黒の輝き」が出るまで摺り続けたそうです。番組では瀬戸さんがせっせと摺り、出来上がったゴマじるこを美味しそうに食べるシーンが印象的でした。どうぞお楽しみに。

グレーテルのかまど再放送

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「(戦争や紛争下で)レイプは兵器として使われる」「レイプはテロ」―ノーベル平和賞受賞のムクウエゲ医師とムラドさんに共感。

2018年のノーベル平和賞が決まりました。一時「トランプ大統領に出すのではないか」などとささやかれたときにはうんざりでしたが、このお二人に決まって心から歓迎。かねてから「慰安婦問題」を含めて戦場の「性暴力」は偶発的ではなく、戦争や武力紛争の本質を露呈するものだと考えてきたので、「兵器としてのレイプ」「テロとしてのレイプ」というコンゴ人医師ムクウエゲさんのことばに全く同感です。ムラドさんが自ら性暴力の被害者としての経験から、その根絶をめざして活動していることにも感動しました。昨年の核兵器禁止条約推進の「ICAN」への授賞に続くヒットだと思う。

先週、青山学院女子短大の1回だけの講義で「平塚らいてう」の話をし、その感想文が届いたのですが、その中に「らいてうは女性が平和をつくるといったそうですが、では男性はどうかかわるのですか?」という質問がありました。いい質問です。この返事は来週書きますが、もちろん女性だけが平和を主張しているわけではありません。ムクウエゲさんは男性です。しかし戦争がどんなにたてまえの「正義」をうたおうとも「生命殺戮」とその延長線上にある「性暴力」を不可避とする以上、女性は戦争に反対せざるを得ないし、その行動が男性を含めた「人権」を守る途を拓くことになるのだと思っています。ムクウエゲさんが一時襲撃されてドイツに逃れた時、彼の助けを求める女性たちが生活困難の中から「飛行機のきっぷを買って」帰国を懇望、武器をもたないのに彼の護衛を申し出たというエピソード(時事通信による)は、女性たちの発言や行動が平和への途を拓くことを示していると思う。「ICAN」も運動のなかで「女性の力が大きかった」ことはあきらかです。男性も平和構築に大きな役割を担っていますが、「男だけで平和は作れない」のです。

それに引き替え、安倍改造内閣は女性閣僚はひとりだけ、悪評に慌てて副大臣や自民党の役職に女性を配置しましたが、なんとあの稲田朋美サンが「復活」、「お友達政権」もいい加減にしてもらいたい…

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外出先でメガネをなくし、それを見つけるまで―「茅ヶ崎ツアー」余聞 

このところ、いろいろなものをなくします。数日前に割引きで買った化粧水がみあたりません。「エイジングケア」とあったから買ったのに、認知症には効かないのね、きっと。プノンペンのお土産に買った小さな石けんもどこかにしまったらしく見つからない。レジュメのコピーに行けば原版をコンビニに忘れるし、いっぱいとったコピーの入った封筒をどこに置いたか忘れてしまう。そして極め付きは2日に茅ヶ崎ツアーに付き合ったとき、読書用のメガネをなくしました。

なくしたことにも気が付かず、帰宅してからメガネケースを出してみたら空っぽなのでわかりました。行きの羽田行きリムジンバスのなかで、レジュメを読みなおすときに使ったことは覚えていますがあとは記憶なし。じつはもうかなり以前に作ったので度が合わなくなってきて、今度白内障の手術をしたらつくりかえようと思いつつ、眼科の先生が「もう少し様子を見よう」と言ってくださるので買い替えも延期していたのです。なくしても惜しくはないが、一応フレームはド派手なブランドものです。レンズを変えれば使えるのではないか。それより本や新聞が読めないのでは商売あがったりです。記憶をたどり直し、吉祥寺駅発の小田急バスだったことを思い出して、翌3日の朝小田急バス吉祥寺営業所に電話をかけました。ダメモトと思っていたのに、なんと「メガネ、届いていますよ」という返事ではないですか。そこでヨガやら「敬老のつどい」やらが終った後、営業所まですっ飛んで行きました。ところが出てきたのはごつい男物のサングラス。「いやー、違いますね」とがっかりしたら、係りの方はおもむろに「もうひとつありますよ」と出してくれました。こっちが女性とわかっているのになぜ男物から先に出すのよ、などとモンクを言うスジは毛頭なく、再会に欣喜雀躍、ちゃんと保険証も見せて有難く引き取ってきました。これでもうしばらくメガネを新調するのは延期です。来週はちゃんと眼科へ行って診察してもらおう。

それにしても、出かけるときの持ち物が増えるのには閉口です。財布、手帳、名刺入れ、メガネ、補聴器、シルバーパスとスイカ、保険証や診察券も持ち歩き(出先で交通事故に遭ったとき、身元がわかる唯一の証明)、ハンカチやティッシュペーパーも必須ゆえ、バッグは何時も超満員。聴力も低下を続け、調べたら「老人性難聴でもひどくなれば障害者手帳を申請できる」とあったので、相談に行ってみようか、と思いましたね。言い忘れましたがいつか大騒ぎした「甲状腺のう胞」もこの間半年ぶりに検査を受けたら、たいしたことはないが、以前2個だったのう胞が5個になっています」とのことでした。「そんなに増えて大丈夫ですか?」と聞いても先生は「まあ、これはガンにはなかなかなりませんからね。検査も半年後にしましょう」と相手にしてくれません。甲状せんガンになり、耳も聞こえなくなり、視力も落ちて、それでも樹木希林みたいに壮絶に生きられるかどうか実験してみようかと思うけれど、自信がない。来年3月までに400字60枚分の論文をひとつ書く約束ですが、昨日又400ページ近くある本の書評の依頼がきました。これは4000字以内。でも書評って自分の論文書くより大変なんだよね。迷っています。その前に今年の「女性文化賞」も結論を出さなくてはならないし。なかなか大往生というわけにいかないなあ・・・。

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「らいてうと博史をむすぶ平和のねがい」―北海道「戦争と平和を訪ねる旅」につきあって茅ヶ崎へ 

10月の最初の仕事は、北海道から「戦争と平和を訪ねる東京の旅」というツアーが、メインは小林多喜二ゆかりの七沢温泉に泊り、東京でWAM(女たちの戦争と平和資料館)や東京大空襲・戦災資料センターなどを訪ねるのですが、その前にぜひ茅ヶ崎の平塚らいてうの記念碑(全国でここ1か所にしかない!)を訪ねたいので、説明要員で付き合ってほしいと頼まれたことでした。羽田空港で御一行様をお迎えし、そのままバスに乗って車中で「新発見のらいてう戦後日記にみる平和への思い」を講演、茅ヶ崎ではらいてうと博史の出会いの場所「南胡院」を見学、それから「なぜ茅ヶ崎にらいてうの碑があるのか」をまたまたひとくさり、最後にらいてうの碑を訪ねて、七沢温泉へ、というコースだそうです。勿論わたしは茅ヶ崎でお別れ、一人で東京へ帰ったのですが、どうしてこういうツアーになったかというと、もともとの企画が北海道平和婦人会が中心になり、旅行社も「らいてうの家ツアー」を企画してくれたことがあるので、「東京へ行く前にらいてうゆかりの茅ヶ崎へ」ということになったらしい。で、初日だけわたしが「添乗」した次第です。依頼してきた旅行社の方は「頼んでから1934年生まれと聞いて、えーっと思いました」というから、トシをかえりみず引受けたほうがオッチョコチョイというものです。でも、はるばる北海道から、それも例の大地震で旅行どころではなくなった人も続出、「マイクロバスでも」と決行を決めたら9月下旬の台風24号のあおりで飛行機が飛ぶかどうかが危ぶまれる騒ぎ、それでも「地震ニモマケズ 台風ニモマケズ」くる方たちの心意気に感じてしまってひきうけた次第です。

当日は好天に恵まれ、渋滞もなく、無事空港で出会うことができてまずは茅ヶ崎までの車中で「パートⅠ」として、らいてうの平和思想の出発点は、奥村博史と恋に落ちたらいてうが法律婚を拒否して事実婚をえらび、初め産まないつもりだったのに妊娠、それを自分の意志で受け入れて二児の母となり、第一次世界大戦に直面して「いのちを産む女に断りなく戦争を始めていのちを抹殺するのは許せない」と考えて女性の政治参加による平和世界の建設を主張したいきさつをお話しし、「茅ヶ崎での出会いこそらいてうの平和思想の原点」と締めくくりました。道路が空いていて予定より早く茅ヶ崎についてしまったので、けっきょくバスの車中で話しまくったこおtになりました。寝たい人もいたでしょうに、メイワク?

お昼を地元のシラス料理でいただき(生シラスは残念ながら漁が出来ず出ませんでしたがおいしかったよ)、南胡院へ。明治から昭和にかけて「東洋一のサナトリウム」(結核療養所)として有名になった南胡院は、創設者高田畊安(こうあん)が1945年2月に死去のあと5月に海軍に接収され、海軍病院になったのかと思いきや、米軍上陸にそなえた基地になり、敗戦後は1957年まで米軍に接収されていたという悲運の歴史をたどります。返還後畊安のお孫さんが、祖父の思いを受け継いで有料老人ホーム「太陽の郷」を開設、2015年には茅ヶ崎市に創設時の姿をとどめる「第一病舎」を寄付、市は「将来は公開したい」と言っているそうです。今年3月には国の登録有形文化財に登録され、その保存活用が望まれるところです。以上の説明は「太陽の郷」の方がわざわざ資料を用意して説明してくださいました。じつはわたしがしなくてはならないかとひそかに準備していたのですが、詳しいお話はよくわかり、ほっとしました。わたしは老後ひとりになったら「太陽の郷」で暮らしてみようかと思ったこともあるのですが、その入居金にと思ってためておいたお金はあえなく?「女性文化賞」につぎ込むことにしてしまったので…。

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当時のままの「第一病舎」入口国の登録有形文化財

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全景

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説明を聞く

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庭園の藤棚も昔のままだそうです。

閑話休題。それから茅ヶ崎に来たら誰でも行ってみたい「茅ヶ崎館」(小津安二郎など著名な文人が愛好した旅館)の一室を借りて「パートⅡ」です。ここで博史とらいてうが出会い「一目で恋に落ちた」話、らいてうに表紙絵を頼まれた博史が「2,3日で描きあげたこと、らいてうを慕っていた尾竹一枝(紅吉)が嫉妬した話などは有名ですが、それだけで茅ヶ崎を語ってほしくないというのがわたしの論旨でした。

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『青鞜』1周年記念号。1912年9月。初対面の博史にらいてうが「1周年記念号の表紙を描いて」と頼み、2,3日後に早くも描き上げて茅ヶ崎へ持参したという作品。博史は『青鞜』の表紙絵を最も多く描いた画家である。

事実婚をはじめた二人の悲運は1915年9月博史が結核になって南胡院に入院したこと。オカネのない無名画家奥村の入院費を高田院長は「絵を買い取って」入院費にしてくれたそうです。このときらいてうはすでに妊娠していました。博史を案じながら12月に第一子出産、翌年2月には南胡院の近くに間借りして博史の退院を待ち、8月退院後は市内の「人参湯」の離れで親子3人の生活に入るのです。このときらいてうが生まれたいのちの素晴らしさを実感、エレン・ケイを読んで母性主義にめざめたことも有名ですが、その母性主義は「母親は子供を育てるだけが仕事」というせまいものではなく「いのちを産む」女性の文化としての平和にめざめたことが重要だとわたしは考えています。そのためには女性が自ら学び、自分で考える力をもち、政治参加の権利を持つことが必要だと考えたらいてうは、1917年に第二子を産んだ後、母性保護論争を経て猛然と社会運動に乗り出すのです。新婦人協会はたんに女性参政権運動だったのではなく、らいてうにとっては女性の学びの場であり、女性がつくる平和世界をめざすものだったというのがわたしの意見です。そしてその土台は茅ヶ崎で培われたということも付け加え、さらに奥村博史がどんなに自立した自由人としてらいてうを支えたか、その根底には彼が亡くなる少し前に書いたという詩「妻よ 何としてももう10年を一層よりよく生きやうよ そのころには世界にほんたうの平和がもたらされるだらうか」という平和への願いがあったというところまで一気にしゃべりました。博史は「新しい女を愛した新しい男」だったのです、と。

新婦人協会機関誌創刊号。1920年9月。表紙デザイン奥村博史

そこで予定の1時間はもうオーバー。みんないそいでバスに乗り、最後のお目当て「らいてうの碑」へ。公園の一角はきれいに草とりもされ、やや古びて風格の出た記念碑の前で記念撮影。それからみなさんは北海道出身の小林多喜二がひそかに過ごしたという七沢温泉に向けて出発です。茅ヶ崎駅前でお別れしましたが、茅ヶ崎は「前座」どころではない「戦争と平和」を考える舞台でもあったのだ、と自分でも考え直すいい機会になりました。

それにしても、くたびれたなあ、もうー。お昼をたくさんいただいたので夜は冷蔵庫の残り物で済ませ、お風呂にも入らずバタンキュー。翌3日朝「これはイカン」と思いなおして熱いシャワーを浴び、食欲もなかったのに「食べないとダメ」と言い聞かせて野菜にトマトジュースとパンとコーヒーだけはちゃんととり、洗濯も済ませ、あっという間に昼近くなったのでヨガにも行き、その足で武蔵野市の「敬老福祉のつどい」にも行きました。日赤奉仕団の方が熱心に「お弁当も出ますし、今年はボニージャックスのうたですから」とすすめてくださるのにほだされて申し込んでおいたのです。それでまたくたびれてしまった。3日は子ども食堂の日ですが、今日は「敬老弁当」があるのでカンパだけと決めて届けに行ったら、皆さん残念そうな顔をして「じゃあ代わりに」と「水を全く使わないでつくった」とあるトマトケチャップのびんをくださいました。チキンライスやトマトパスタ大好き人間なのでありがたく頂戴。全く「情けは人のためならず」だ。こうやって人は生きていくのですねえ。まだのこり話があるのですが、もうタイムアウト。今夜こそお風呂に入って寝よう。明日はゴミも出さねばならぬゆえ、ねなくては。おやすみなさい。

 

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