2021年最初のブログを、1月がもう終わろうという27日に書いています。いまさら「あけましておめでとう」とも言えず、124年ぶりの節分となる2月2日は目の前です。年賀状を「卒業」した代わりに「寒中見舞い」を出した年もあったのですが、それもパスしました。「生きてるの?」と聞かれそうでしたが、23日のWANミニコミ図書オンラインブックトークで5分間だけ「趣旨説明」を報告したので、視聴された方には「生存確認」していただきました。雲隠れしていたわけではなく、この一か月間はブックトークの準備と、書けない原稿をため込んで悪戦苦闘していたのです。言い訳のために何をしていたか報告します。
第一の難関は雑誌『経済』3月号の「女性労働問題」特集に頼まれた原稿でした。「労働問題なら専門家に書いてもらって」と断ったのですが、編集部からは「あなたが今思っていることを書いてください」という返事。そんなことをしたら特集の意味がなくなっちゃうじゃんと思いながら、じつは2021年に平塚らいてう没後50年を記念する企画を考えていたのと、百家争鳴の「コロナの時代」をめぐる議論に一言物申したい気分だったので、つい引き受けてしまったのが「マチガイのもと」でした。
1月10日が最後の締め切り日と言われ、年末の大掃除もせず、おせちも作らず書く予定でしたが、そこへ降ってわいたのが姉の「介護問題」。10月初めからほとんど病院暮らしだったのが暮れの26日に退院、しかしもう一人では暮らせない状態だというので病院からお世話になっている「小規模多機能自立支援施設」のショートステイにに直行、そのまま年を越しました。しかしそこはショートステイで、ずっといられるわけではありません、施設のケアマネさんと相談して姉の「終の棲家」を捜すことになりました。その段取りに時間を取られ、1月になってからコロナで見学も体験入居も難しい特別養護老人ホームにやっと出かけて行ったのもわたしです。3が日のお雑煮だけはわたしがつくったので、その間は完全に主婦業。結局1週間では書けなくて編集部に12000字の原稿を送ったのは15日の深夜でした。編集者はものも言わずに?印刷に回し、5日後には校正が出て「22日までに返して」。そりゃそうだ。本当はもう1冊参考文献をあげたかったけれど、アマゾンに注文した本が届かないので諦め、しどろもどろのまま2月初めには店頭に並ぶことになりました。「雑誌にアナをあけなかった」だけが取り柄だね。
ところが、もう一つの原稿と言うのはわたしが代表を務めたこともある総合女性史学会創立40周年記念論集の原稿です。これは昨年10月締め切りだったのを放置、文豪並みに「12月まで待って」「あと半月待って」と繰り返し,業を煮やした担当者から「5年前の会誌にあなたが書いた原稿を転載する」と言われて「5年間に世の中は大激動してるのに、それは勘弁して」と懇願して「1月15日まで」と約束したのを「裏切った」わけです。おまけに23日のブックトークを控えてその日までは手が付きません。「ほかの原稿はもう校正に入っています」と叱られながら、けっきょく2晩徹夜して4000字のはずが7300字も書き、それではページオーバーというので1000字分削って「はみ出し分は構成で削るから」と27日の朝送りました。
そして第三の問題は本業?の「らいてう没後50年記念企画」で、今年はらいてうの家を4月にオープンさせたいと思い、記念の展示パネル作成案を作る仕事でした。これは個人の仕事ではなく会の中に担当の委員会ができているのですがそこでの議論がなかなかまとまりません。1月になってからは役員会も集まるのを自粛していますが、これだけは対面でないと相談できないので少人数に絞って集まりましたが、そこでもわたしの意見はすっきり受け入れられず、もう一度議論することになりました。
そして最後に,1月23日のブックトーク。ミニコミ図書館が初めて取り組んだオンラインによる「全国女性史研究交流のつどい」全12回報告集を読むというイベントは、300人を超える申し込みがあり、東京と名古屋、松山、それにスタッフがそれぞれの自宅から、報告者の一人はブラジルから12時間時差のなかを参加してくれ、気が遠くなるような準備(わたしはちんぷんかんぷん)を経て成功裡に終わりました。聞いた方の感想は「面白かった」と言うのが多く、ほっとしたのですが、実行委員の一人としていうと予想外の展開もあり、ハラハラドキドキしながら聴いていたというのが実感です。どこがおもしろくてどこがハラハラしたのかは後で書きます。
というわけで、一段落した後めまいと吐き気に襲われて寝込むという一幕もあり、夜中に耳鳴り(幻聴?)が起こって寝られなくなる「事件」もありました。いずれも一日寝たら治り,電話してきた娘は「ストレスだよ」と一言、つれあいには「トシを考えろ」と言われてしまった。永年連れ添ったパートナーはよく見ていますねえ。で、何がストレスかというと、わたしにはもうオリジナルに自分の考えを(資料に基づいて)じっくり展開する能力がなくなったのではないかという絶望感というかあきらめの観念です。「時間がなかった」ことは確かだが、それだけじゃないと思う。何年か前にわたしより先輩の歴史家が歴史学の雑誌に原稿掲載を申し込んできたが、内容的にいささか首尾一貫していないので若い編集担当者が困惑したという話を聞きました。断っておきますが、わたしは自分の原稿を売り込んだことはありません。いつも断わるのに「書かねばならぬ」羽目に陥るのです。しかしどちらにしても「老醜」をさらすのは同じだ。じゃあもう書くのをやめるか?その葛藤がわたしのストレスなので
ちなみに、最近書いた原稿のタイトルだけ、列記しておきます。ブックトークでわたしが話したことについては次に書きます。
『経済』3月号(2021) ジェンダー視点で問う人権・平和・平等―女性がつくる「新しい世界」へ
総合女性史学会40周年記念論集(2021) 「女の顔をした世界」のために―「地域」から「世界」をつくりかえる女性史を
平塚らいてうの会ニュース 2021年1月号 女たちは「空を翔ぶ鳥のように」-らいてう没後50年を迎えて
『平塚らいてうの会紀要』13号(2020) 「コロナの時代」と人間の生きる力―2021年平塚らいてう没後50年を前に考える