らいてうの家「太陽光発電問題」の新展開―「ゼロ提案」は実現できるか?

 

10日間もブログを休んでしまいました。昼寝をしていたわけではなく、「目が回るほど」忙しかったのです。その理由は多々ありますが、第一に特筆したいのは、11月2日に事業者のHJアセット・マネージメント社が実施した説明会で、アセスを担当する「地域づくり工房」が、『中間評価書案』を発表、これまでの経過(つまり私たちの反対運動のこと)から見て、ここでのアセスが従来のような自然条件を中心にしたシミュレーションだけでは十分ではないことを認め、地域の人びとがこの土地に寄せる思いも考慮することが必要だという立場から、今後の事業計画について「原案通り」という提案のほかに「道路わきに盛り土をして草木を植え、パネルを見えないようにする(修景)」案、「規模を縮小する(縮小)」案、そして「何もしない(ゼロ提案)」案という3つの代替案を提示したことです。

もちろんそれはアセス案であって、事業者がそれを容認することを意味しているものではありません。むしろ説明会当日は新しい担当者が現われ、「中小企業経営を支援する」コンサルタントなるメンバーが3人も出席して「やる気十分」でした。それでもアセスの担当者は、この『中間案』に対し公開で意見を募り、それを取りまとめてアセスの「評価書案」を作成したうえで、さらに関係者による「ワークショップ」を開催、オープンな議論をしたうえで依頼主である事業者に提出すると言うのです。当日はこの提案をめぐって議論が沸騰し、3時間近く議論、当のHJ社はひたすら沈黙、応答はアセスの担当者がするという異例の展開になりました。

結局11月待つまでこの「中間案」への意見を受け付けるということになり、「説明会」は終わったのですが、これにどう対応するか、らいてうの会としては正念場を迎えたという気がしています。第一に、アセスの報告は事業への決定権を持つものではなく依頼主に報告するだけですから、幾ら議論しても「丁寧な議論をした」ということで事業の進行に「ゴーサイン」を出してやるような結果になるのではないか、という不信感です。しかし第二に、ここまで事態を追いこんできたのは、わたしたちが諦めず、事業者にも、アセス担当者にも、行政にもなぜ反対するかを強く訴えてきたこと、第二次署名運動は地元自治会を含めて広汎に行われていること、行政も法律的には権限がないとしても「指導要綱」や「ガイドライン」を策定して野放しの事業に歯止めをかけようとしてきたことなどが、たとえ事業者にその気がないとしても一定のインパクトを持つ提言をもたらしたことは事実です。そこでわたしたちの選択は、「やるという相手と幾ら議論をしても相手の手のひらに乗せられるようなものだ」という姿勢をとるか、それともこの「ゼロ提案」を手掛かりに事業者とも地域の人びととも行政とも話し合いを進め、わたしたちの考えを認めさせる努力を試みるか、ということになるだろうと思います。「話し合いで白紙撤回」という道を考えること自体が甘いと言われそうですが、ではどういう道があるか、考えた末にわたしたちは、反対運動が今年の4月着工を止めてきたことに確信を持ち、もう一歩すすめてみようという方向になりました。

そこで11月中にアセスの「中間案」に意見を送ることにしたのです。らいてうの会は、つまりわたしが原案を書くことに。この10日間は、そのために七転八倒していました。みんなに意見を聞いても中々返ってきません。必死になってどうしたかというと、けっきょく下書きだけで6000字も書いちゃった。ひとに書かせておきながら書けば「長すぎる」と論評するのだから、こちらは立つ瀬がない?でもそんなことを言ってはいられません。そこでどんな議論を展開したかは、アセス担当者に提出してからにしますね。わたしは今回の経験で、ただ「反対」というのはある意味でかんたんですが、「では、この地をどうして行きたいのか」と問われたときどうこたえるかが課題なのだということを痛感しました。「そんなことに責任はもたない」で済むか。そこが「七転八倒」の原因です。まあこれは「やってみなくちゃわからない」。何が出てくるかわからないからね。しかし、「伐られた木」と運命を共にしようと思ったわたしが、「最後の力」を振り絞って「らいてうの家に自然をこわす太陽光発電は似合わない」と叫ぶのですから、大げさに言えば命がけだね、これは。切り株たちよ、後を追うからすこしのあいだ私に力を貸しておくれ、などと取り乱しつつ、原稿を書いています。

 

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らいてうの家の「切り株」余聞 

3日前に、今年も冬籠りに入ったらいてうの家で、伐り倒された木への別れがたい思いを書きました。それを読んでくださった方たちから思いもかけないお便りをいただき、なんだかうるうるしています。宮沢賢治ではないけれど、木が人間の言葉を理解することがあるなら聴いてね、と言いたくなってしまった…。そしてわたし自身も「人は言葉によって殺されもするが、生き続ける力も受け取ることができる」ことを実感しています。少しホメられ過ぎてはずかしいが、一部引用させていただきます。

メールをくださったのは、満蒙開拓団のことを書いたときも感想を送ってくださったSさんです(10月13日付ブログに紹介)。以下引用。

「森のやまんば日記」のブログを紹介していた友人から下記のメールが来ました。彼女は現在78歳。私の高校時代の友人です。  一昨日、メールで「森のやまんば」の感想を送った所、昨夜メールが来ましたので、コピーを添付します。 同じような年齢の者は、あのブログを読んで皆、共感・感動!!

(以下ご友人のメールより引用)

貴女からのメールを読んで、ビックリして、森のやまんばさんを読みました。「らいてうの家」を愛し、ミズキ、シナノキ を護って来た米田さんの、深い 切々たる思いに…。そしてご自分の体調や、老いへの 抗いがたい流れに…充分 ご活躍なさった満足と、一抹の淋しさが伝わって…、あの切り株をみたら、涙を禁じ得ませんでした。😰

……色々と 仕事を 減らして、健康に留意されて、まだまだ ご活躍して頂きたい、大切な 方ですね。 米田さんの 感性の豊かさ、深さ、高い教養は、とても お年には 思えません(引用終り)。 

どうぞお体を大切にされながらのご活躍の継続を大ぜいが望んでおります事、お心にお留めください(Sさんのメール終り)。

本当のことを言うと、わたしはもうらいてうの家の館長もやめて引きこもりたいと思いつめていたのです(森のやまんばをやめて都会のアスファルトの道をさまよう「巷のやまんば」になるか…と)。でも、やっぱりまだ歩かなくてはならない、とガラにもなく涙をふきふき考え、Sさんに「『太陽光発電問題』が新しい展開になり、応答しないと進まないし、こちらの意見を言う機会が出来たので、もの言わねばと思っているので…。でも、取り組もうという気持ちにさせてくださったのはあなたのメールです。ありがとうございました。どうぞご友人の方に感謝していたとお伝えください」とお返事を書きました。とたんに、らいてうの会の事務局から(ケロリとして!)「会のニュースの原稿を書いてください」ですって。見透かされていたのか、と苦笑い。でも彼女もあちこち痛いと言いながら重任を背負っているのですよねえ。今日一日は違う仕事をしましたが、多分書くよ。

もう一つ、やはりブログを読んでくださった会員の方から、「署名を送った」というお知らせと一緒にこんなメールが届きました。以下一部引用。

13日付の「森のやまんば日記」を読ませていただきまして、米田さまが、卓越した行動力に加えて、豊かな心の世界をお持ちでいらっしゃることを、あらためて感得致しました。
私は1952年生まれですが、米田さまの体力・気力には到底及ばない、米田さまは、素晴らしいなぁと、日記を読ませていただく度に思い、励まされております。どうもありがとうございます(引用終り)。

すみません。もちろんわたしはそんなに「立派」ではありません。家族たちは「口先人間」と笑っております。昨夜も上田から地元新聞の記者に電話をもらい、太陽光発電問題を聞かれたので、なんと1時間以上もしゃべりまくって、向こうの携帯の電池が切れてしまうという「事件」がありました。おわったらがっくり。でもねえ、このトシになっても「お前は役に立つ」といわれたらうれしいのだ、と気が付きました。ウソでもいいからホメてほしい、と夢に思ったこともあります。今「愛されたことのない」子どもたちがたくさんいるのですね。心を込めて呼びかけよう、「あなたはすてき。あなたがいるだけで励まされるよ」って。そして「すぐキレる」年寄りもふえているけれど、どうぞ虐待なんかしないで家族や福祉の職員だけに任せないで、みんなで「ホメ殺し」にしちゃおう。すぐ乗せられる老人がたくさんいるよ、わたしみたいに。

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2017年晩秋―らいてうの家「庭の木」たちとの別れ 

らいてうの家閉館の大掃除に行って、じつは複雑な思いで帰ってきました。書くか書かないか思い悩んだのですが、予想を超えた感情にとりつかれて仕事が手に着きません。これは、だれかどこかに苦情や愚痴をこぼすべき問題ではないと思い、書くことでカタルシスにたどり着くかもしれないと思ったのです。でも、そうなりませんでした。わたしの結論は最後に書きます。以上がまえおき。

らいてうの家オープンから11年目が経過しようとしています。雑木林を切りひらいて小さな木造の山荘風の家を建て、「らいてう記念館」とは呼ばず「らいてうの家」と名づけてオープンしました。地元の林業士(つまり木こり)さんが目利きしてのこした樹木のなかにはすでに老木になっていたものもあり、実生で出てきたというヒョロヒョロのシラカバなどもあって、それらが10年の間にあるものは枯れ、あるものは嵐に耐えられず倒れ、やむなく伐採したものも少なくありません。それでもわたしが愛してきた木の一本がベランダのすぐ前に伸びたミズキでした。ふたまたに分かれた木の幹はもうかなり傾き、片方はやがて殆ど枯れた状態になりました。ベランダに近いので屋根に枯葉が積もる、倒れたら建物に被害が及ぶ、というので切り倒す案が出ましたが、わたしはそのたびに反対しました。

最初に目利きをしてくれた林業士さんに鑑定してもらい、「ふたまたの一方だけ伐ればまだ大丈夫」というお墨付きが出たので、そのとおりにしたら春には若葉が広がりました。梅雨時には広がった木の葉群れに落ちる雨の音を聴き、夏には日陰を作るミズキが好きでした。「眺望が悪くなる」という意見が出たときは、「森の中にいる気分になってどこがいけないの」とケンカしてしまったこともあります。しかし、それからまた数年が経ち、木の根元はだんだんえぐれて大風の日にはわさわさと揺れるようになり、「危ないか伐ろう」という提案が何べんも出るようになりました。そのたびにわたしは「もうしばらく木のいのちを全うさせて」と主張してみんなからヒンシュクを買うようになり、だれも賛成してくれなくなったのです。

そして今年、「地震や台風は少ない」といわれてきたこの地域も異常気象のせいで大雨に見舞われ、6月から9月にかけて何遍も道路が陥没するほどの被害が出ました。「これ以上放置できない」と入り口周辺のマツや生育の良くないシラカバなどを含めて伐採の提案が出たとき、私は激しくためらいました。いや、たしかにすでに風が吹くたびに枝がバラバラ落ちてくるようなマツまで残すことはできません。庭を整備するときすでにウロが空いて鳥の巣?になっていた枯れ木をわざと残し、アカゲラがドラミングに来るのも実際に見聞しましたが、それも倒れる危険があるので伐採することになりました。それでもわたしはミズキはもうしばらく残してほしいと言い、最後まで「伐採自体に反対はしないが同意しない」と言い張って、みんなを鼻白ませてしまいました。伐採案は「多数決(といっても同意しないと言ったのはわたし一人)」で決まりました。

閉館の大掃除に行ってまだ新しい切り株に出会ったとき、わたしのなかに予想を超えた反応が起りました。自分自身がらいてうの家を支えてきた思いに終りが来た、という感覚です。「喪失感」といっていいかもしれません。それはある程度予期していたことでしたが、強烈なインパクトでした。この夏から足の痛みに耐え、83歳の誕生日を迎えてそれでもまだ歩き続けようと自分を鼓舞してきたわたしですが、ミズキと同じように自分も十分に老いたのだ、ということを改めて実感したのです。それでも今歩くのをやめるとはできないし、しないだろうと思う。しかし、らいてうの家に関してはわたしはミズキとともに役割を終えた、と思いました。それはわたしにとって打撃であるとか落ち込むという認識ではありません自分自身の現実を受け入れようと思ったのです。それがせめて伐られたミズキへのわたしからの別れの挨拶だ、と。

同じ思いを、らいてうの家の東寄りに立っていたシナノキにも感じたことをつけ加えたいと思います。「信濃の国」の語源にもなったというシナノキを、わたしはかってにらいてうの家のシンボルツリーと呼んでいました。隣接の菅平には樹齢300年というシナノキの大木があり、曲がりくねった幹の風格は並みではありません。うちのシナノキはやたらに背が高くてあまりあいそがいいとは言えませんでしたが、ひそかに愛してきました。もう寿命だと言われ、隣に若い木が芽を出していると言われましたが、老いた木との別れという点ではミズキと同じです。

「いのちあるもののかたちはかならず土に還る」のが現実です。らいてうは「無限生成」という言葉を愛しました。かたちあるものはいつか消えていくが、いのちは無限に受け継がれていくという意味だと思っています。ミズキもシナノキも役割を終えたとみるべきなのでしょう。しかし、老いたわたしにとってそれは自分自身の運命と同じだと思うのです。そういう意味での「喪失感」を受け入れるのに数日かかりました。わたしももう役割を終えたのだ、と。それは理屈では説明がつかない感覚です。みんなは、如何にあの木を伐らなければ危険かを説き、木は伐ることによって他の木に受け継がれていくのだ、と説得しようとしました。それはわかっています。それでもわたしは、伐られる木と自分が同じだといういたみを感じないわけにいかなかったのです。それは「非科学的」で「不条理」かもしれません。では、お前はすでにあの家を建てるときに木を伐ったことをどう思うのか、いのちあるもののいのちを奪うなと言うなら肉や魚をなぜ食するのか、という反論が殺到することもわかっています。しかしわたしは、ここでミズキやシナノキたちに出会ってしまい、10年以上にわたるつきあいを通じて自分自身が老いて行くことを深く認識したのです。だからもう生きている甲斐がないのではなく、その認識からどう生きなおす途を見つけていくか。それが自分自身の責任だと思っています。

以下、上からミズキ、シナノキ、そしてウロが空いていた枯れ木の切り株です。考えてみたら、ミズキトシナノキの生い茂る全景の写真がありませんでした。ずっとあるように思っていたのかしら・・・。

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ミズキがあったころの庭でフルート演奏する大和田葉子さん

ミズキがあったころの庭で野点のお茶会

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らいてうの家は今年も「冬季休館」へ―『太陽光発電』反対は休みません。 

11月7-9日にらいてうの家の大掃除をして冬季休館の準備をしました。去年は悪天候で山道はもう凍ってしまうというので、恒例の「持ち寄り反省会」も中止になり、今年も10月最後の週が台風の余波で大荒れ、ハラハラしましたが、「天のカミサマ」が助けてくれたのか好天に恵まれて無事終了しました。その直前の11月2日に『太陽光発電事業者説明会』がって、自主アセス担当の地域づくり工房が「中間評価書案」を公表、そこになんと私たちが求めてきた「つくらない」という選択肢を含む「代替案」を盛り込んだので、こちらは「これでやってほしい」と意見をいっぱい言ったあとですから、掃除も念入り。床を石けんでこすりながら水拭きして一夜乾かし、翌日化学薬品を使わない「蜜蝋ワックス」で磨くという手間暇かけた掃除です。

みんなで床磨き

ひざを痛めないようにがんばって

磨き残しがないように

そして終わってから反省会。おやきから精進揚げ、かぼちゃの煮物、酢漬けの野菜やサラダ、お赤飯や混ぜご飯、キノコうどん鍋、リンゴや干し柿のデザートつきで、手づくりの山葡萄ジュースで乾杯。今年はマツタケが大不作で「大損した」はずのTさんが、最後にお釜ごと持参のマツタケご飯をひろうしてくれて、心もお腹も暖まりました。

みてください。このごちそう。

大なべ一杯のうどん鍋もすぐ空っぽに

今年も頑張ったよねえー

席上「太陽光発電問題』ではすくなくとも地域づくり工房がわたしたちの意見に耳を傾け、「ここは、風向きや気温や騒音といった条件だけではなく、この地域を大事にしてきた関係者(住民、別荘、そしてらいてうの家)の思いを考慮する必要がある」として「ゼロ提案」を含む案を提示したことに確信を持ち、しかし、事業者は「法的には可能」という立場を崩していないので、これからが「勝負」と話し合いました。その中身は後日報告します。11月中に、この「中間評価書案」に意見を、ということなので、だれでも意見を述べることが出来ます。どうかどなたでもご意見をどうぞ。「地域づくり工房 大町」で検索するとホームページが出てきて、そこに「真田町長(おさ)太陽光発電圭角自主簡易アセス 中間評価書案」で全文出てきます。なお、地元大日向自治化とも協同する署名運動もやっていますのでご協力を。

 

わたしが署名をお願いする方々へ送ったお願いのなかの「経過報告」をここに貼り付けますのでご覧ください。

追伸 その後の経過報告       (2017年11月12日)

この数か月間事業者とは「プッツン」になってしまい、こちらの問い合わせや署名送付にも応答しなくなりました。アセス担当の「地域づくり工房も予定が遅れて困っていたらしい(こちらは予定が延びても困りませんでしたが)。ところが突然事業者のHJアセットマネジメント社から「アセス中間報告」の説明会開催の連絡があり、放置しておけないので9月26日に地域づくり工房と意見交換会を行い、「太陽光発電設置を前提としたアセスには納得できない」と、らいてうの会と地域の人びとの思いを訴えました。

その結果11月2日の説明会に出された「アセス中間評価書」案には、「これまでのような気象条件や景観、工事騒音等の対策だけではなく、この土地が地域でどう受け入れられてきたかという経緯にも目を向ける必要がある」という趣旨が盛り込まれ、計画については「原案」のほかに「修景(景観配慮)」「縮小(パネルの数を減らす)」「ゼロ(何もしない)という「代替案」を提示するという異例の中間報告書が出されました。地域づくり工房は11月末日までこの案についての公開の意見を求め、その後最終評価書案をまとめてさらに議論したいという意向です。

これは、わたしたちの要望が「アセス」という(決定権のない)範囲とはいえある程度取り入れられたという点で、大きな転機になるかもしれません。勿論肝心のHJ社は担当者を入れ替え、「やる気」の意思表示でしたから、これで解決に進むとは思えませんが、これからの取り組みが試されると思います。わたしたちは「ゼロ」提案の立場からこの地域をほんとうに地域の人びととともに活かす道を考えようと思っています。どうぞよろしくご支援下さい。                        米田佐代子

 

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瀬戸内海の豊島(てしま)でも「メガソーラー反対」運動 

らいてうの家は、11月6日をもって冬季休館に入りました。その直前の11月2日上田駅前の会場で、太陽光発電事業者のHJアセットマネジメント社主催の「説明会」があり、前日開催された大日向自治会向け説明会の参加者を除き、らいてうの会員、現地居住者、別荘自治会等のみなさんが参加しました。わたしたちの立場は、計画の白紙撤回」です。今地元自治会、らいてうの会(NPO・真田・上田各らいてうの会)・別荘自治会共同で反対署名運動に取り組んでいます。

その内容は別に報告します。ここでは、そのあと7-8日とらいてうの家を丁寧に大掃除し、反省会も開いて帰宅したら、わたしのパソコンに瀬戸内海の豊島(てしま)から「メガソーラー反対署名の訴えが入っていました。「豊島」というのは、以前島全体が不法投棄のゴミで埋め尽くされ、町長以下島民が反対運動を展開、町長さんが襲撃されて重傷を負うという事件があったことを記憶している方もあるかも。その後島では「42年にわたる不法投棄のゴミ91万トンという廃棄物と汚染土壌の撤去を2017年3月完了」したのだそうです。「これでごみの島という汚名を返上し、ごみを乗り越えた島として歩み始めることに確信が持てると感じ始めています」というところに浮上したのが、今度は瀬戸内国立公園内であるにもかかわらず大規模なメガソーラー計画だということで、再び反対運動を起こしているという報道でした。

「他人ごと」とは思えないので、「Change orgという署名サイトを通じてわたしも「賛同」、一足遅れで「コメント」も投稿しました。以下コメントの内容を下記に引用。

わたしは、長野県上田市郊外の山林(上信越高原国立公園内)にある平塚らいてう記念『らいてうの家』の館長です。長野県産の木を使って建て、地域の方がたと共に森に植樹し、自然の山野草を育ててきました。その目の前(道路一つ向こう)に準メガソーラー級の太陽光発電計画が進行中です。わたしたちは、景観や照り返しといった条件はもちろんですが、それだけでなく、この地の自然を愛してきた人々の思いを営利事業で壊されることに反対して「白紙撤回」を求めて運動しています。豊島の問題は他人ごとではありません。業者は「CO2削減のため」といいますが、自然の森や草地はそれ自体CO2を吸収するのです。「もうけるため」のソーラー事業で環境破壊されることを押しとどめたいと思っています」。

 じつは、わがらいてうの会もこのサイトを通じてネット署名を呼び掛けたいと思ったのですが、ITに不慣れなものにはなかなかたどりつけません。今担当者が悪戦苦闘中です。どうか、とりあえず、紙の署名でいいですからご協力お願いいたします。「平塚らいてうの会トップページ」よりダウンロードできます。ここにコメントをくださればお送りすることもできます。

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NHK『グレーテルのかまど』「らいてうのゴマじるこ」好評!  

11月6日放送のNHKグレーテルのかまどの「らいてうの愛したゴマじるこ」を観たという知人たちから「観た」というメールが何通も届きました。さすがNHKですねえ。わたしがちょっぴり出演したせいもあったようですが、みなさん、「良かった」と大好評。頂いた感想の一部をご紹介します。

★京都の出版社勤務のYさん―これは見なくては、と思ってチャンネルを合わせました。良い番組でしたね。「グレーテルのかまど」けっこう好きです。大船渡の実家でも、お正月を迎える準備として、大晦日には胡桃を摺り、そして胡麻を摺りました。大きなすりばちが2つもありました。年が明けたら、胡桃のたれにはお雑煮を入れて食べ、胡麻のほうは焼いた餅を入れて食べました。
(米田―それは知りませんでした。そのゴマはご家族のどなたが摺ったのでしょう?)

★女性史研究者のNさん―この番組はわりと好きで、いつも録画して見ているのですが、先日は米田さんが出られたので楽しかったです。内容も落ち着いていて、なかなか感動的でよかったです。
(米田―追伸で「あのヘンゼルくんは、成瀬仁蔵だったこともありますよね」とのご指摘があり、なるほどNHKの朝ドラ『あさがきた』で、らいてうが通った日本女子大学校の創設者成瀬仁蔵(ドラマでは成澤泉)を演じたのは瀬戸康史さんでした)

★若手書家のAさん―昨日、グレーテルのかまど拝見いたしました。母が気づいてくれ録画予約もしてくれましたので見逃さずに済みました。
この番組は好きでよく見ていますが私にとって今回は特別でした。
塚本先生が見たら何と言うか聴きたかったですね。
(米田―何を隠そう。彼はらいてうにゆかりのある塚本澄子先生(故人)の教え子で、この夏銀座で開いた個展には、らいてうが若き日の塚本澄子さんに贈った揮毫「無限創生」の文字を見事に表現してくれた方です。そのうち「青木 瑛」個展があったら観てくださいね)。

というわけで、再放送の8日は、ちょうどらいてうの家の「冬籠り」準備で集まっていたのですが、「家」にはテレビの受信契約がないのでお隣のホテルのロビーまで見に行った人も。「ゴマじるこを作りたくなった」という感想や「もう作ってみた」という体験談も出てひとしきり賑やかでした。それにしても「グレーテルのかまど」は人気番組なのですねえ。わたしの11月6日付「速報」ブログもご覧ください。次回は宮沢賢治の「雑穀だんご」だそうです。勝手に乞うご期待。以下花巻市の広報から。

宮沢賢治関連テレビ番組のお知らせ ◆グレーテルのかまど「宮沢賢治の雑穀だんご」 NHK Eテレ 11/13(月)、15(水)・NHK総合 17(金) ◆英雄たちの選択「本当の幸いを探して 教師・宮澤賢治 希望の教室」 NHK BSプレミアム 11/16(木) 、23(木) 時間等詳しくはこちらからhttp://www.city.hanamaki.iwate.jp/shimin/176/181/p008474.html …

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NHK「グレーテルのかまど」に「らいてうの愛したゴマじるこ」登場―らいてうの家も映ったよ!

11月6日、NHKのEテレで「らいてうさんのゴマじるこ」が放送されました。24分という短い時間でしたが、らいてうの家の入口もベランダでみなさん歓談のシーンも、和室の文机もちょっぴりですがちゃんと映り、「宣伝になった」と大喜び。

それはお愛嬌ですが、よかったのは、これまでほとんど注目されてこなかった彼女の「疎開時代」を紹介していたことです。戦争へと雪崩を打って行く時代に、らいてうが「(このまま東京にいたら)もう自分には戦争に抵抗する力がない」と感じ、ほとんど逃げ出すようにして東京を離れて茨城県戸田井の農村に「疎開」するいきさつは、なぜ彼女がそうしたかという解明も十分ではなく、2013年に同じNHKの「日本人は何を考えて来たか」シリーズでらいてうと市川房枝の「戦争の時代」をとりあげたときは、こちらが「らいてうにとって重要な転機」と説明したけれど、全く触れられなかったという経験があります。今回は「疎開」がらいてうの転機になったという解説をちゃんと入れてくれました。

勿論これは「スイーツ」の話ですから、らいてうの戦時下の政治的葛藤にまで言及されていませんが、原稿もほとんど書かずに(多分注文が来なくなったのだと思う)畑を耕し、味噌を作り、もちのつき方まで教わって黙々と日常生活を営む日々の中から、自分の生き方を再発見して行ったことにさらりとふれていたのは、このような番組としては目配りの利いた取り上げかただと思いましたね。かくいうわたしも、ほんのちょっぴりですが出演し、同じNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」にひっかけて「らいてうは日常生活の営みのなかにこそ平和があると考えた」と解説させてもらいました。

というわけでこの番組は、かならず登場人物の社会的背景などに触れて紹介するので面白いのです。それに声だけのキムラ緑子と主演の瀬戸康史のかけあいが絶妙で、なんだか「やみつき」になりそう。制作担当のアトリエNOAの吉村ディレクターにに感謝。なお再放送は8日午前10時30分から55分までだそうです。

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