ヒロシマの被爆体験集『木の葉のように焼かれて』53集ができました

昨年11月、広島で開かれた平和フォーラムに参加したとき、『木の葉のように焼かれて』53集の編集委員のみなさんにお目にかかることができました(昨年のブログ参照)。そのご縁で「すいせんのことば」をと頼まれ、喜んで書かせていただきましたがこのほど完成、送られてきました。

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表紙絵 小山景子さん「原爆 痛い魂」  題字 田口孝夫さん

そこでわたしが書いたのは<「名前のあるひとり」の生きたあかしを記憶する>ことの意味についてでした。『木の葉~』が1964年に創刊されてから半世紀あまり、体験記を書くことのできる方が少なくなり、「被爆体験は語りつくされた」という声もあるなかで、「まだ語っていない人がいる」と「ききがき」やご家族の手記を含めて毎年出し続けてきた(1968,70,71年は発行できなかった)努力へのオマージュのつもりでした。そして今回も19歳で入市被爆した三刀屋さん、14歳で被爆し、同じく被爆した同級生をパートナーに、彼女を看取ったあとも被爆者救援運動をしておられる本保さん、「70歳過ぎて」初めて自分の体験を人前で話せるようになったという田中さんなどの体験記が収録されています。「ききがき」や「家族の手記」を含めて16人の記録が載ったのです。

人間には「個」として生きる権利があります。1994年に国連で採択された「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」では、「児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利がある」と規定しています(日本も1994年世界で156番目に批准)。広島や長崎、沖縄や東京大空襲などでは一家が全滅し、戦後「あの家には小さい子どもがいた」と言う近所の人の証言だけでしか記憶されていない子どもたちがいました。わたしは以前海軍の少年兵として戦死した若者たちの墓地で「年齢不詳」と書かれた墓標を見て、厳重に管理されていたはずの兵士にさえ「個人」としてのあかしが残っていないことにがくぜんとした記憶がありますが、無差別爆撃や国内戦で犠牲になった民間人の場合には「子」としか記録されないままの子どもたちがいるのです。戦争は人間を「名前のある個人」ではなく「数で数える」モノにしてしまうのだと痛感しました。

『木の葉~』は、一人ひとりの被爆体験がみな同じではなく、あの日のあの時間にどこにいたか、何歳だったか、仕事をしていたのか、学校に行っていたのか(動員を含む)、遊んでいたのか、歩いていたのか、電車に乗っていたのか、家族構成や生活経験をふくめて全部ちがうこと、そして戦後の生活もまた全部ちがうことを掘り起し、確認し、その事実によって一人ひとりの「生きたあかし」を残すという作業を55年間も続けてきたところに意味があると思う。それは国連NGOでもあり、[戦争に反対し、女性と子どもの生命を守る]ことをモットーにする女性団体(新日本婦人の会)の広島県本部という組織に支えられたから可能だったのですが、それでも「今度はあなたね」と頼まれて引受ける戦後世代の女性たちが編集委員会に参加しなかったら続かなかったと思う。その意味で『木の葉~』は、らいてうが語ったように「女性の文化としての平和」発信の場なのだと思わずにはいられませんでした。読みたい方は<新婦人広島>へ問い合わせを(℡082-263-0402)。

 

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 「選択的夫婦別姓賛成」に一人だけ挙手しなかった安倍首相の写真をみましたか?  

先日の党首討論会で、「選択的夫婦別姓に賛成か?」という質問に一人だけ手を挙げなかったのが安倍首相。バックの日本会議が「別姓」に反対しているからだといわれますが、憲法24条に「家族は助け合わなくてはならない」と書き込ませるという自民党改憲案が基盤です。そもそも「夫婦別姓」の要請は「選択的」であって「同姓」を希望する人はそうすればいい、「別姓」を強制するものではありません。わたしの友人(女性)たちは、自身が結婚のとき同姓=「夫の姓」を選択した人でも「選択的別姓」に賛成しています。「どちらでもいいという法制度にして」と言っているのに「別姓」を認めない「不寛容さ」を許せない。トランプ大統領ではないが、今に「夫婦同姓にしたくないのは日本人じゃない」とか「日本から出て行け」とか言われるのではないかしら。

かくいうわたしは、今年結婚60年ですが、当時は新憲法と新民法で「家」制度が廃止され、「婚姻は両性の合意のみに基く」とあるのを信じて法律婚をしたら「夫婦同氏強制」が生きていてやむなく改姓(なぜ夫の姓にしたかって?向こうも変えたくなかったのだもの。わたしの姓にして解決する問題ではないから)、60年間「通称呼称」してきて、その効力のなさにへきえきしてきた一人です。自分が何者であるかが分からなくなる体験をしました。行った先で「わたし、マツモトでしたっけ、ヨネダでしたっけ?」と聞いたことが何度もあります。このブログでも何べんも書いて来たからもう書きませんが、最高裁までが「旧姓を通称で使えばいい」というのですから論外。安倍首相のあのシーンは21日の投票日にしっかり思い出してほしい。

「同姓強制」論者は「同姓でないと家族のきずながこわれる」というのだそうですが、よく言うよ。わが家族は60年間離婚もせず、子どもも一人前に成人し、この子らが子どものころ、押し売り(今はサギ?)電話がかかって「マツモトさんを」と言われれば当然のように「おとうさーん」と呼んで、相手を「いや奥さんを」とへどもどさせ、本人は「マツモトさんのオクサマですか」と聞かれて「ちがいます」と返答、「ではお嬢様ですか」と聞き返される始末でしたが(今は「オクサマではありません、ソトサマです」ということにしています)、それが理由で家庭不和になったことはありません。ともかく21日の投票日までに、あの安倍さんの写真をよーくみてください。ネットから拝借しようかと思ったけど、無断転載できない写真が多いのでここには載せられませんが。

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参院選「野党統一候補」の約半数が女性 

友人から「新潟選挙区の野党統一候補打越さくらさんを応援して」というアピールがきました。彼女は弁護士で選択的夫婦別姓や婚外子差別問題、DVや子ども虐待など家族におけるジェンダー平等と女性・子どもの権利問題に取り組んできた方です。自民党の安倍・麻生への「忖度発言」で有名になった塚田候補との一騎打ち。わたしもあと何年生きるかわかりませんが、「選択的夫婦別姓」を実現して、「通称呼称」などという何の実効もない呼びかたで名乗らなければならない理不尽から解放されてから死にたい。この秋までにパスポートを更新しようと思うのは、「両姓併記」が認められている(といってもローマ字印字部分だけですが)唯一の公的文書を保持しておきたいからですが、新潟のみなさん、よろしくお願いします。

ついでに「野党統一候補」が成立した32の選挙区(一人区)で女性候補は約半数です。政策が違う政党が一致して推すのは如何かという意見もあるそうですが、小選挙区制という最悪の選挙制度で政権与党の強大化が進んでしまった以上、「一致する政策」で対抗するのは当然だと思う。「無所属」というのは本籍隠しという人もいますが、鳥取・島根選挙区の中林よし子さんなんて「筋金入り」の共産党だけど「野党統一候補」として無所属で出ています。はじめから同じ意見のものだけが手をつなぐのではなく、異なる意見を持つものが「一致点」で共同するのが「統一戦線」の原則ではないか。率直に言って「野党」のなかには、わたしと意見が違う政党もあります。しかし「戦争したがる安倍政治にノー」という点で一致出来る「野党統一候補」は支持したい。

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吉祥寺駅前で参院選候補者の演説を聴きました 

参議院選挙が始まりました。以前は宣伝カーが住宅街までまわってきて連呼するので、「うるさい」と思ったこともありますが、今は気が抜けたビールみたいに静かになり、選挙公報以外に政策を知る機会がありません。日本の選挙は禁止規定が多すぎるという批判もあるそうですが、そのまえに「選挙したって変わらない」というむなしさを乗り越えるにはどうしたらいいか。せめて「改憲発議に必要な勢力(議員数の3分の2)を割る」ことに期待をかけたい…。

でも今日(14日)は、吉祥寺駅前で久しぶりに候補者の演説を聞きました。それも、わたしが東京選挙区でいちばんヒイキしている女性候補者です。東京選挙区は定員6名で立候補20名、うち女性の立候補者が6名という「激戦区」です。勿論女性だからいいというわけにいかない。わたしとしては女性議員も増やしたいが、憲法改悪推進勢力が増えては元も子もないという思いです。しかし6年前に彗星のごとく現われて、はじめは「泡まつ候補」扱いだったのにあれよあれよという間に人気上昇、わたしも演説を聞いてその歯切れの良さと明快な論旨に「女性議員はこうでなくっちゃ」とほれ込んだのが彼女です。まず第一に若い。わたしの娘世代どころか孫世代に近い?のですからね。第二にめでたく当選した後も、自分自身の経験を生かして若い世代に対する人権無視の働かせ方を改善しようと奮闘、いわゆる「ブラック企業」(「ブラック=悪」というイメージへの異議を知ったのでこの言葉をつかいたくないが)名を公表させるところもあっぱれです。

その彼女の最近のヒットが、いわゆる「就活セクハラ」をなくそうと国に迫った質問で、「女性活躍推進法」改正が就活生へのセクハラを企業の禁止義務の対象にするかどうかあいまいなままだったのを、行政対応の窓口をはっきりさせたことです。「就活ハラスメント」は就職したいという希望に付け込んだ卑劣極まるセクハラで、当の企業に被害を訴えれば就職から締め出されるかもしれないから泣き寝入りせざるをえなかったのです。以下は、その報道。引用は しんぶん赤旗 2019年7月7日付 です。

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就職活動中の学生が深刻な被害を受けている「就活セクハラ」について、厚生労働省は都道府県労働局にある「総合労働相談コーナー」の「紛争解決援助」の窓口で相談を受け付け、事業者に必要な助言・指導を行うよう、6月にホームページを改定していたことが分かりました。
日本共産党・吉良よし子参院議員の女性活躍推進法等改定案の質問(5月16日、厚生労働委員会)に同省が初めて答弁したのを受けた措置。来年度には案内パンフレットに就活生・求職者も対象と明記する改定を行うことも明らかになりました。
求職者も対象とした「個別労働関係紛争解決促進法」によるもの。就職活動中のセクハラ被害は各労働局で相談が受けられます。さらに就活生が事業主側に被害を伝え、「個別労働紛争」が発生したとみなされると、就活生が助言・指導を申し出た場合、都道府県労働局が事業主に必要な助言・指導を行うことができます。申し出の期限につき同省は「就活中が望ましいが、期限は定めていない」(雇用環境・均等局総務課)としており、就活が終わってから申し出ることも可能です。
吉良議員は「相談先が不明確で被害者の多くが泣き寝入りしていた就活セクハラ被害の救済へ一歩前進です。引き続きILO(国際労働機関)で採択されたハラスメント禁止条約が批准できるよう、あらゆるハラスメントを禁止する法改正を求めていきたい」と話しています。
労働政策研究・研修機構副主任研究員の内藤忍さんの話 先に成立した女性活躍推進法等改正案では、就活生がセクハラ防止措置義務の対象とされないまま終わりました。しかし吉良議員は質問で、これまで就活生に積極的に運用されてこなかった「個別労働紛争解決促進法」による相談や、事業主への助言・指導を可能とする答弁を引き出しました。ハラスメントに悩む就活生への行政対応に事実上門戸を開かせたと言え、問題解決や救済に向けた大きな一歩です。

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彼女の所属政党は「憲法を守り抜く」共産党です。この党は今回の選挙で立候補者40人中女性比率が55%(22人)で社民の71.4%(7人中5人)に次ぐ高さでもあります(政党別で女性候補22人は最大)。自民党の82人中12人(14.6%)、公明党の24人中2人(8.3%)とくらべてみてください。わたしの希望は、この党が志位委員長の次には政治力豊かな女性委員長を実現してくれることなのですが。そのためにも「キラキラよし子」の吉良候補にがんばってもらいたい。

ついでに一言。「若者よ、選挙に行くな」という動画が出回っているそうです。もちろんこれは「反語法」。アメリカで始まったという動画で「若者よ、選挙に行かないでくれ。自分たちは金持ちで、税金もまけてもらい、年金もたっぷりもらっている。戦争になっても行くのは自分たちではない。20年30年先にはもう生きていないから、地球環境が悪化しても関係ない。若者が選挙に行かなければ自分たちが政治を動かせる」と「扇動」するものだそうな。若者だけでなく「現状維持でいいじゃん」と思っている人にも考えてもらいたいと思うのですが…。

追伸―前回「落ち込んでいる」と書いたら、コメントやメールが届き、「どうしたの?」と心配してくださる方やご自身の体験から「老いを乗り切る方法」を伝授してくださる方などのメッセージをいただきました。いつかも書いたとおり、個別にお返事はしませんが、ぜんぶ拝読し、共感したりはげまされたりしています。ありがとうございました。ただ一点だけ付け加えると、言葉が足りなかったかもしれませんがここでの主題は「老いの他者理解」の困難さと大切さについてでした。どんな場合にも「他者理解」は簡単に「うん、そうね」とか「わかるわかる」といったあいづちではすまないと思います。ましてや今は、ヘイトスピーチはもとより国政においても日常生活の場においても不寛容極まる「他者排除」が横行する時代です。トランプ大統領がしめすあからさまな「他者排除」の言い分に「なれてしまった」と言ったジャーナリストがいましたが、この場合の「なれ」は「狎れ」にちがいない。いちばんトランプ氏に[狎れ狎れしく]しているのは安倍サンじゃないかと思うけど…。

それはともかく、わたしにとって「老いの他者理解」でぶつかることは、それが他者のことでありながら自分自身のことだからです。しかも、そうは言っても「他者は他者」であって「他人事ではない」という言い方ではおさまらない。つまり「自己」と「他者」との関係についての哲学的認識を問われるからです。哲学って「空理空論」のかたまりみたいに思ってはいけない。少なくともわたしにとっては極めて具体的ないたみをともなう現実認識なのです。身近な「他者」の老いを見つめながら落ち込み、七転八倒するゆえんです。

で、今の心境は?と聞かれたら、宮澤賢治が妹トシの死をうたった「永訣の朝」ではないが、そしてその詩からとった題名を持つ若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』ではないが、やはり[Ora Orade Shitori egumo]と答えたい。「骨折事件」でおとろえた足を引きずってでもね。

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今、落ち込んでいます―自分自身の老いとその先を考える 

今週は、少し落ち込むできごとがありました。人間は、だれでも老いて身体の自由を失い、思考力もモノを書く力も減退して、昨日出来たことが出来なくなるという経験をします。その現実を絶望したり焦ったりせず一つの過程として受け入れながら、ゆっくりと人生の終わりにむかって、あるだけの力で「死ぬまでは生きていく」というのがわたしの理想でした。しかし、このところ、親しい人びとの訃報を聞くことも重なり、身近な方たちの「老い」を実感することが多くなったせいでしょうか、悟りを開いた高僧のような心境にはほど遠い自分を痛感しています。もちろん瀬戸内寂聴さんのように、お年を召してもお元気で、身体能力の衰えがあっても自立の精神を堅持している方もおられ、身近にも何人もおられますから見習わなければなりませんが、一方で現実のさまざまな「老い」のかたちにうろたえ、呆れ、戸惑い、そしてそういう自分にハラを立てるときがあるのです。

こういう経験はたとえば親の介護をされる方がごく普通に経験することだと思います。わたし自身は父を早く失い、母は90歳で入院するまで毎日のように新聞も読み、日記代わりに晩年気に入って熱中した行わけ短歌を書きつけ、近くの公園に散歩にも行き、わずか3カ月足らずの入院中も文庫や新書の軽い本をいっぱい持ちこんで消灯後も読むくらい「頭脳明晰・言語明瞭」のまま亡くなりました。しかし、世の中にはたとえば認知症になった親を「あんなにきちんとしていた人なのに」と受け入れかねて悩む子世代もいます。わたしは娘に、もし自分があきらかにつじつまが合わなくなってきたり、被害妄想的なことを言い出したら、だまくらかしてもいいから医者に連れて行って、しかるべき措置をするように、と頼んでありますが、その彼女が日本国内にずっといる保証はありません。ちなみに娘は「おかあさんは今でも被害妄想の傾向があるし、やたら世の中のことに怒ったりする(それは正常だと思うけれど)から認知症になっても慌てない」と約束してくれるのですが。

それはさておき、他人の「老い」を受け入れるということは、ある意味で「他者理解」のもっとも困難で深い洞察を要するテーマなのではないかという気がします。「他人事」ではないからです。わたしが今「落ち込んでいる」のは他者の老いを理解することだけでなく、そのことを通じて自分自身の老いを見つめる必要に迫られているからにちがいないのですが、そこが今揺れているのだと思う。なぜ自分の「老い」を直視したとき、こんなに心が揺れるのか、もう一度考えてみようと思っています。

一言だけ書いていいでしょうか。それでも書くべき原稿や調査の段取りを立て「骨折事件」をものともせず?遠くまで出かけ、「今年の女性文化賞をどうしよう」と思案しながら、この10月に期限が切れるパスポートを更新しようかと考えている(これにはちょっと理由があるのですが、その話はまたあとで)わたしを、どうか「あなたは元気」「まだまだ仕事ができる」と言わないでください。はげましてくださるのは痛いほどわかるので有難いのですが、一方で「もうできないよ」と訴えている自分がいるのです。その矛盾がわたしを「落ち込ませている」のです。いつか電話で最近ぶつかったできごとを話したら「あなた、かわいそう」と言ってくれた友人がいました。その一言でほっとした記憶があります。そのくせ「お前はもうできない」と言われたら死にたくなっちゃうだろうと思いつつ、これは「わがまま」なのかしら、とまた悩んでいるのですが…。

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福島県立図書館から借りた鈴木天明編『平和の来る日まで』に千田ハルさんの作品も載っていた!

7月6-7日と上田市市民フェスティバル参加とらいてうの家の「お当番」を済ませて帰宅したら、武蔵野市立図書館を通じて福島県立図書館に貸出依頼をした本がもう届いたという知らせが来ていました。さっそく駆けつけて入手。鈴木天明編『平和の来る日まで』(1956年4月刊)と鈴木天明自伝『六十六年を生きて』(1967年刊)の2冊です。

帰る時間も惜しく、その場で開けてみました。『平和の来る日まで』には平塚らいてう(婦団連会長)と高良とみ(同副会長)の「序文」があり、なんと千田ハルさんの「生活記録」と題する短歌も載っていました。千田さんは、「花貌新聞」に出ていた通り鈴木さんのよびかけにこたえて原稿を送ったに違いありません。それは『花貌』に掲載された作品と共通していますが、『千田ハル詩歌作品集』に収録されていないものもあり、見つかっていない欠号に載っているのかもしれません。「あざやかな大輪のダリヤに水ふくませながら/少女はげしく水爆を怒る」という一首は未見でした。ドキドキしながら帰宅しました。

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福島勤労婦人会 鈴木天明編『平和の来る日まで―東北婦人の手記(1956)

鈴木さんの自伝も借りられたことで、1950年代に福島の地で1947年に「福島勤労婦人会」が結成され、市内で勤労婦人会の店を経営してちり紙やせっけんなどを市価より安く販売、「物価暴騰の抑制」につとめたこと、1949年第一回福島地区婦人大会を開催して「家庭生活の合理化は男女力を合わせて」「戦争反対、平和を守れ」などを話し合ったこと、1951年には「世界連邦支部」が結成されたこと、この年平塚らいてう・櫛田ふき編の『われら母なれば』にここから会員2名の手記が選ばれたこと、1952年には勤労婦人会が「高良とみ先生基調報告会」を主催、その後結成された全日本婦人団体連合会に加入したことなどが書かれていて、1950年代の福島が全国的な女性運動の先頭に立っていたことがわかりました。こっちにも平塚らいてうの序文が載っています。4年後にらいてうは帰幽するのですが、亡くなる直前までこうした序文やメッセージを断らずに書いたことが分かっています。それは鈴木さんのような活動に共感したからでした。鈴木天明さんの壮絶な人生については別にとりあげたいと思います。ちなみに鈴木天明さんは女性ですよー。

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鈴木天明『六十六年を生きて』(1967)

千田さんが『花貌』の活動を通じてそのような動向とも結びつきを持っていたことは、『花貌』が一地方の文学愛好青年集団というだけではなく、「世界の動き」とつながって「戦争反対」と「平和」への意志を貫き続けていたことの現われでもある、と思いました。千田さんといい、昨年の久郷ポンナレットさんといい、じつは賞をさしあげてからあらためて彼女たちの思索と行動の意味を再発見することができ、さしあげてよかったという思いを深くしています。

「女性文化賞」に取り組み始めてまだ2回、今年の女性文化賞をどうするか、まだ見当もついていません。「女性の文化としての平和」を訴えたらいてうのこころざしを今に生かしたいと思うわたしの「最後の仕事」として今年もすてきな方とめぐりあえますことを―。

 

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「吉里吉里」駅もある三陸鉄道駅名考 

三陸鉄道の釜石―久慈間を2日がかりで乗り通しました。盛-釜石間は大船渡に通っていた時代に乗りましたから全線乗車を果たしたわけ。記念に全線の駅名を列記します。駅は全部で40.距離は163キロメートル。少し解説します。

三陸鉄道駅名一覧

盛―陸前赤崎―綾里―恋し浜―甫嶺―三陸―吉浜―唐丹―平田―釜石―両石―鵜住居―大槌―吉里吉里―浪板海岸―岩手船越―織笠―陸中山田―豊間根―払川―津軽石―八木沢・宮古短大―磯鶏―宮古―山口団地―一の渡―佐羽根―田老―摂待―岩泉小本―島越―田野畑―譜代―白井海岸―堀内―野田玉川―十府ケ浦海岸―陸中野田―陸中宇部―久慈

「盛(さかり)」はかつてJR大船渡線の起点でした。津波のため不通になり、今は気仙沼までBRTという代替バスになっていますが、盛駅からは三陸鉄道が出ています。

「恋し浜」は、昔は「小石浜」でしたが改名し、無人の待合室には願いを書き込んだホタテの貝殻がどっさりぶら下げてあります。「縁結び」の駅ということらしい。

以下は読み方。綾里(りょうり)、甫嶺(ほれい)、磯鶏(そけい)、吉里吉里(きりきり)などは直ぐには読めない。井上ひさしの「吉里吉里人」は、日本列島に独自の憲法を持つ独立国を宣言する人々の架空の物語ですが、地名は実在しているのです。列車でないから脱線してもいいと思うが吉里吉里国憲法には日本国憲法九条から「かっぱらった」という「9条」があります。…吉理吉理国民は、はァ、シェーギとツツゾばケトーとする国際平和ばシェーヅツにのんぞみ、国権のみせびらかしたるドンパチど、ブログさよっかがったおどす、まんだァ、ブログのコースは、はァ、もめごどばほんどぐでだでとすては、とことんこればポイすっと。このめあてば達っすっため、陸海空軍、そのほがの戦力は、はァ、もだねーど。国の交戦権は、はァ認めねえ。」「 おらだづ、吉理吉理人は、このくだりば日本国憲法から盗んだっちゃ。このくだりさ、惚れで惚れで、惚れ抜いで、そんでそっくり掻っ払って来たんだっちゃ」(井上ひさし『吉里吉里人』より)。

唐丹(とうに)、平田(へいた)、両石(りょういし)、堀内(ほりない)などは音訓取り混ぜ読み。

鵜住居(うのすまい)、大槌(おおつち)、山田(やまだ)、宮古(みやこ)、田老(たろう)などは津波の被害が大きく新聞にもたびたび名前が登場しました。

「海岸」という名前の付いた駅がいくつもあり、三陸鉄道が海岸近くを走っていたことがわかります。それだけ津波の被害甚大だったのですが復興を果たし、JR山田線の釜石―宮古を引き継いいで盛から久慈まで全線を三陸鉄道リアス線として開通したのが今年の3月。今はその賑わいの時期です。一時の賑わいに終わらず、三陸鉄道がもちこたえられるように応援したい。

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