「生長の家」が「与党とその候補者を支持しない」  

宗教教団「生長の家」が、この夏の参議院選挙で「与党とその候補者を支持しない」方針を発表しました。以下は生長の家の公式ホームページです。 全文はここで読むことがができます。

http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html

以下、この情報の発信者である後藤富和弁護士の要約を紹介します。

来る7月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。

戦後の一時期、東西冷戦下で国内が政治的に左右に分裂して社会的混乱に陥っている時、当教団の創始者、谷口雅春先生は、その混乱の根源には日本国憲法があると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を繰り返し主張されました。

(中略)

安倍政権は、旧態依然たる経済発展至上主義を掲げるだけでなく、一内閣による憲法解釈の変更で「集団的自衛権」を行使できるとする”解釈改憲〟を強行し、国会での優勢を利用して11本の安全保障関連法案を一気に可決しました。

これは、同政権の古い歴史認識に鑑みて、中国や韓国などの周辺諸国との軋轢を増し、平和共存の道から遠ざかる可能性を生んでいます。また、同政権は、民主政治が機能不全に陥った時代の日本社会を美化するような主張を行い、真実の報道によって政治をチェックすべき報道機関に対しては、政権に有利な方向に圧力を加える一方で、教科書の選定に深く介入するなど、国民の世論形成や青少年の思想形成にじわじわと影響力を及ぼしつつあります。

最近、安倍政権を陰で支える右翼組織の実態を追求する『日本会議の研究』(菅野完、扶桑社刊)という書籍が出版され、大きな反響を呼んでいます。同書によると、安倍政権の背後には「日本会議」という元生長の家信者たちが深く関与する政治組織があり、現在の閣僚の8割が日本会議国会議員懇談会に所属しているといいます。これが真実であれば、創価学会を母体とする公明党以上に、同会議は安倍首相の政権運営に強大な影響を及ぼしている可能性があります。事実、同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線とほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。当教団では、元生長の家信者たちが、冷戦後の現代でも、冷戦時代に創始者によって説かれ、すでに歴史的役割を終わった主張に固執して、同書にあるような隠密的活動をおこなっていることに対し、誠に慚愧に耐えない思いを抱くものです。先に述べたとおり、日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず、古い政治論を金科玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば“原理主義”と呼ぶべきものです。私たちは、この“原理主義”が世界の宗教の中でテロや戦争を引き起こしてきたという事実を重く捉え、彼らの主張が現政権に強い影響を与えているとの同書の訴えを知り、遺憾の想いと強い危惧を感じるもので。

(中略)

私たちは今回、わが国の総理大臣が、本教団の元信者の誤った政治理念と時代認識に強く影響されていることを知り、彼らを説得できなかった責任を感じるとともに、日本を再び間違った道へ進ませないために、安倍政権の政治姿勢に対して明確に「反対」の意思を表明します。この目的のため、本教団は今夏の参院選においては「与党とその候補者を支持しない」との決定を行い、ここに会員・信徒への指針として周知を訴えるものです。合掌。

2016年6月9日                     宗教法人「生長の家」

(追記 「歴史認識と東アジアの平和」フォーラムで一緒に活動してきた俵義文さん(教科書ネット)が『日本会議の全貌―知られざる巨大組織の実態』(花伝社、A5判144ページ 1200円+税)を6月に出版されています-米田記)

わたしがこの報道に注目するのは、もちろん参議院選挙を控えて、かつて「憲法改正」を唱えて「宗教右翼」の一翼を担ってきた生長の家が、その路線と決別したにもかかわらず過去の「時代錯誤」的発想を固守する旧信者たちが安倍政権のバックボーンと言われる「日本会議」をささえていることへの「慚愧の念」とともに「反安倍政権」の姿勢を明示したという点ですが、もう一つ過去に平塚らいてうが生長の家の初代教祖谷口雅春と親しかった事実を思い起こすからでもあります。

らいてうが、自らの宗教的宇宙観により大本教に関心を持ったことは知られていますが、生長の家についても初代教祖谷口雅春と親しく、1936年に「『生長の家』の谷口雅春氏が常に万教帰一を説き(中略)我が意を得たりと喜んでいました」と書いています。それはらいてうにとっては「我が国の宗教者が、ようやく過去の狭隘な宗派的因襲から解放され、いっさいの宗教に帰通する、その本質、真髄に徹することによって、唯一絶対の生命の真理に帰入し、和協統一せられるものであることに気づいてきたことを思わせる」という趣旨だったのです。日本女子大学校の創始者成瀬仁蔵も世界宗教の統一をめざす「帰一協会」を組織したことにも触れています。

彼女のこのような宗教的宇宙観が、戦後「生長の家」の右翼的方向とも結びついて、らいてうを「保守反動」とみる傾向を生んだと思います。らいてうが戦後平和運動のよりどころにした「世界連邦運動」も、アメリカもソ連も世界平和構築に失敗したと断罪したところから「反共運動」に手を貸したとみられています。しかし、そうしたらいてう観は、皮相な見方だったのではないか。らいてうが危うい道を歩きながら、最後にたどり着いた「非武装・非交戦」の主張は、こうした試行錯誤の中でつくり出されたということをとらえなおしていいのではないか、と思います。

らいてうが生きていたら、生長の家の今回の見解を歓迎しただろうと思い、紹介しました。

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